⭕️藤波さん!誕生日おめでとう(^。^)
70歳の現役プロレスラー・藤波さん
あの柴田さんも、一緒にお祝いします🥂
記録より記憶に残る名選手
藤波さんは、こんなすごい選手と闘って来た!
藤波さん対戦相手全員集合 藤波さん対戦相手
441-479
おことわり、
このあたりの選手と言うか、闘いぶりについて、正直、見ていない時期があって、
コメントの付け方が、難しい😓選手が、続出。(笑)
がんばって、やっていますが、みなさん、コメントで応援してください。
●2001●
※なんとかいう武藤のユニット(失念。調べろよ!)との対戦。それぞれの個性が出て、楽しかったなあ。ここだけの話、藤波・西村のタッグコンビは、藤波さんが新日本を退団してからも、最高タッグチームだったように思えてしまうんですよね。(遠い目) このころは、藤波さんと、スポット参戦的な新崎との対戦と見ていましたが、2023年の(すごい最近)タッグでは藤波ともタッグを組んで、相手チームの高橋ヒロムの「逆・拝み渡り」を受けてやったり、(高橋があまりに歩みが遅いので、船木がおとしてしまいました)その後の新崎の「元祖・拝み渡り」を藤波さんがにこにこしながら見ているという奇跡(!)な光景が繰り広げられています。みちのくプロレスの重鎮ですね。
※なんと、藤波さんと竹村の初めての対戦は、タッグでした。私、RSDは、竹村選手が「無我」に入団して来ての、博多での、アレクとのデビュー戦を見たよ。 「TAKEMUGA」という愛称もあったんだけれど。肩の負傷がもとで引退して、第二の人生をを歩み始めました。
下関市議会議員をつとめながら、令和4年に藤波さんの50周年記念試合を下関体育館で主催、試合にも出場して、ファンを喜ばせてくれました。
※この6人タッグは、棚橋、鈴木健三、真壁という若手3人に経験を積ませてやりたいという温情からの試合かな。それにしても、藤波・木戸・長州って、渋すぎますし。 あ、気づいたら、木戸選手のメモリアルでしたね。「きど~」という声援がかかる、すごい人気の札幌での開催。セレモニーが苦手な木戸選手。どんな感じだったんでしょう? そして、真壁選手、まさに、発展途上ですね。
セコンドについていると、よく、nWoの蝶野や武藤に棒で殴られていましたね。。今や、「何してやがんだあ?」のスイーツ王で、新日本プロレスを支えるベテランですね。
※この鈴木と藤波の対戦は、本当にレア。2022年「アントニオ猪木の追悼番組」のディレクターをつとめてよい番組を作成してくれました。
※「ドラゴン」「NEVER」「新日本」と、いろいろと継承してゆくエース棚橋の、藤波さんとの最初の接触です。ドラゴンを継承してゆくという姿勢が、藤波が新日本から出て行ってからも、ときどき見られて、ファンとしては応援したくなります。 藤波社長の時代にあたたまって、その後「新日本プロレス」を支えた功労者ですね。 2021年に「藤波の自伝本」を遠征にゆく途中で読んでいるとブログ発信がありました。さらに、2022年、コロナ発症でピンチの藤波さんの「ドラディション」に緊急出撃して助けてくれました。すばらしい肉体美を誇る、新日本プロレスの功労者です。
令和になって、藤波さんとのシングル対戦が実現し、「すごいボディープレス」を食って、藤波さんの1敗。
さらに、なんとなんと!令和5年末には、新日本プロレスの社長に就任しました。もちろん、藤波さんもエールを贈っています。
藤波さんが社長時代の若手・棚橋選手
※この試合、怒ってましたねえ!藤波さん。 村上選手との初対戦が、シングルとは。 ま、藤波さんは、無作法者は許さないんです。あの阿修羅以来!?
なお、令和の時代になって、「ドラディション」リング(長井満也選手の記念試合)で「魔界倶楽部」が復活、村上選手も参戦して、藤波さんとも対戦しました。
※「バトラーツ」でバチバチやってる田中稔選手と、藤波さんが一騎打ち、お互いに刺激になったでしょう。もちろん、見ているファンにもですが。まあ、プロレスファンとしては、奥様の府川由美(唯未)の旦那として色々な意味で「うらやまし」がられました(笑) ジュニア戦士としての活躍は素晴らしく、このシリーズではG1参戦して、藤波さんとのシングルが組まれました。
※ 藤波さんが日本プロレスの若手時代の「別の世界」の人。日本プロレスの末期から来日したNWAの新しいチャンピオン。馬場・猪木の両巨頭との名勝負を残す。とくに猪木との60分ノーフォールの試合は伝説の名勝負という呼び声が高い。まさか、新日本のマットで相まみえるとは夢にも思わなかったです。 このメモリアル試合で、藤波さんの「炎の逆さ押さえ込み」が発動しました。 編者RSDはネット社会になってからドリーとメールのやりとりをする機会があり、「DOMO arigatogozaimasu」の文面に大喜びでした。ドリーは、日本語の漢字も意味がわかるようで、テレビ番組で、ドリーがパソコン画面で「shi」と打って、それが「死」と変換されると「Oh! No!」と首をふりつつ、急いで変換しなおしていた場面を見た。
NWAヘビー級チャンピオン時代のドリー・ファンク・ジュニア
藤波さんは、最年少若手 1971年頃
※ドリー・テリーのファンクスが、まさか新日本に来日し、しかも藤波さんとタッグ対決をするとは! ということが大事なメモリアル・タッグマッチ。試合そのものも、すっかりベテランズの試合でありました。バックランドの「おうおう歩き」やドリーのスピニングトーホールドが見れただけで、いいんです。 猪木以来のドリーからのフォールを藤波さんが達成!といっているのは私だけです。
全日本での「テリー引退シリーズ」では「forever!」と叫んでいた場面が印象的でした。
※マウナケア・モスマンは馬場さんがいろいろな場面でほめていた選手。全日本を代表して、登場です。このときは、すっかり武藤も全日です。
※パットタナカ選手ですね。古くからのファンとしては、ジャイアント馬場さんがアメリカ武者修行中に登場する日系レスラー デューク・ケオムカ選手の息子ですね。(「ジャイアント台風」参照)
FMWに参戦していたときに活躍していた邪道・外道選手の関連?からか、極道(だと思われる)リングネームになったのかな?(推測) この試合は「チーム2000」の一員としての対戦のようです。藤波さんとのシングルは組まれませんでした。
●2002●
※この邪道外道のコンビが、その後の新日本プロレスを陰に日向に支えてくれているのですね。あの当時の冬木も加えてのトリオの「勝利後の笑顔」には、誰も勝てません。TPG出身という「黒歴史」を持ちます。(笑)
藤波さんとのシングル対戦成績は、それぞれ楽しく調査中です。
※蝶野が連れてきた「でかいガイジン」コンビ。思ったより「よく動く」選手たちでした。まあ、新日本プロレスの奥深さを象徴する外人選手の起用でした。ふたりは、仲間割れを起こし、対決して、帰国してゆきました。
※デビューして2年半ほどのヤングライオンでの対戦でした。大抵、第一試合に出場して、闘志いっぱいのファイトをみせ、大会を盛り上げてくれました。
※初めての藤波さんとの対戦は、そろそろサンダー杉山を意識し始めるころか? サムライチャンネルでは、いつも笑顔で道場の紹介をしていました。いわゆる好青年でしたねえ。だんだん巨大化して、ピンクを基調とした独特な「吉江ワールド」を展開。 藤波さんの「無我ワールド」や「ドラディション」にも参加して、藤波さんへの恩返しをしてくれました。 そうそう、藤波さんをフォールしたことがありましたね。あの体重でコーナーからとんで藤波さんをつぶして(笑)
※ドルゴルスレン・セルジブデですね。名前を「やっと」覚えた頃、ブルーウルフになって、応援しやすくなりました。「ブデー」では連呼して応援しにくい(近くに女性がいた場合とくにね)
藤波さんとのシングル対戦はなかった模様。
※正体を含めて調査中、といって終わりにしたかったんですが、メールをいただきましたので、追記します。なにしろ、2023年の令和の時代になって、田中稔のお友達が来るかもしれない、などと話題になりましたからねえ。
藤波さんとの対戦は、本当に調査中なんです。
※「藤原組」から「パンクラス」そして、新日本のリングにもあがりました。藤波さんとの初対戦のこの試合は、ルールがこっていました。まあ、「1本勝負を3つやれ!」と思いましたが、こういう対戦もあったんですね。ただ、どの試合も、どうみても、落ち着いた試合ではなさそうです。星野総裁もいましたし。
※この選手は、、、調査中(笑)
※サバイバーシリーズの6人タッグで対戦。藤波と蝶野・天山のタッグも珍しい。全日本から新日本に部隊を変えて出場。のちにラブマシーン・スチールにもなるなど、いろいろなマスクマンやリングネームで活躍した。この試合では藤波のドラゴンスクリューを初めて味わったようです。
※全日本プロレスでは天龍にも勝って、新日本に。スチールとのコンビに、このシリーズでは永田が入り、三人で敬礼ポーズも取ってアピールした。この試合では藤波のドラゴンスクリューを初めて味わった。2006年の「無我ワールド」にも参戦。藤波さんとのシングル対戦は、調査中。
※矢野と言えば、evil選手との試合中に電気が消えて、「まっ暗じゃねえか?なんだ?おい!」 そして後ろに敵が、、、それ以来「暗闇が」苦手でも黒頭巾マッチ、、、というのは2021年の話ですね。 若手当時から「平成の上田馬之助」ということで、ヒール修行をしたり、日本酒を飲んだり、番傘を持参、ユニットを裏切ったり、いろいろありましたが、どうしても天性の人の好さが出てしまいますねえ。ヒールとコミカルの二面性を持つ実力者です。
いまや、進化した新日本プロレスを支えているベテランになりました。著書も楽しい本です。ときどき真面目な一面が出て、基本はおふざけ本(失礼)なんですけど。
この藤波さんとの初対戦はタッグリーグだったんですね。なお、2022年の新日本プロレス50年の記念試合では、他の選手に「足4の字」をかけている藤波さんを押さえ込んでフォール勝ちしました。
※TAKAみちのく選手とは、のちに「無我ワールド」のリングで、シングルが実現しています。シングル、藤波さんの1勝です。
※この頃は、週プロでも「若造がひとりで、新日本プロレスをひっかきまわしている」と、リアルにヒールになっていました。私も「あんなのに好き勝手やられて、新日もおわりだ!」と憤っていましたが、あれぐらいで終わっていたら、何回「新日は終わって」いたでしょう。(笑)
いまや、すっかりメインエベンターの顔ですね。九州プロレスに参戦しています。
※藤波さんは「魔界」とはほとんど絡んでいないんです。ですから、この「無我」(当時) vs 「魔界」の対決は非常に貴重ですね。 「ドラディション」2021年長井選手の30周年イベントの試合にも「魔界2号」が登場しました。試合が終わって、藤波が「あの糞野郎」と言ったとか言わないとか(あ、糞野郎は長井選手についてですね。試合で集中攻撃を受けましたから、65歳を越えた人・藤波のこと・をあんなに殴ったらいけません) あ、魔界2号は、筑前りょう太選手です。九州プロレスで対戦もしています。
●2003● 初めての対戦者 なし
●2004● 藤波さん、試合そのものを
していない。当然、なし
●2005●
※最初「WJ」から「健介オフィス」へ、そして現在は「ノア」で活躍しているベテラン選手になっていますが、藤波さんとのこのシングル戦時は、17歳になったばかりで高校生でした。矢野との対戦では、未成年なのに、試合中にあやうく「日本酒」を飲まされそうになったり、かわいい一面を発揮していました。今やGHCのチャンピオンにもなって、すっかりベテランになりました。
私、ですが、そんな新日本プロレスで苦労している中嶋を見ていただけに、2023年12月31日の「全日本プロレス」の大会で、全日本の「三冠選手権」を奪取して、馬場さんのリングで、「闘魂」を宣伝、「1,2,3、ダー!」をリングから、「炎のファイター」で締めくくった中嶋選手に、感無量です。はい。
※真っ赤な闘魂タオルをもち、「ワールドプロレスリングのテーマ」で登場。昭和プロレスを継承すると意識していたころの後藤洋央紀(ひろおき)選手です。藤波さんとのシングル対決は無かった。
※リアル「闘う牧師」のウオーターマンです。格闘技系の団体で勝利すると「十字を切って」いましたが、あれは本物の!十字でした。 パンクラスで高阪と熱戦して、その勢いで新日本にも。春に、誰が相手をするのかと思っていましたが、なんと秋には、この藤波さんとのタッグ対戦が組まれました。「無我」(当時)に対する嫌がらせか?という人もいましたが、仲人もしてやった蝶野もいますから大丈夫。
でも、V1アームロックが決まったら、さすがの藤波さんも(いや、誰でも)ギブでしょうねえ。
※さすがにデンジャラス・Kこと川田選手は強かったです。でも、川田が嫌いな「試合後の握手」は藤波さんとかわしましたよ。全日本のにおいのする(というか、全日本プロレスそのものです) 馬場さんが亡くなり、いろいろな事情があったにせよ、元子さんのもとからみんなが離れてゆく中で、渕選手とこの川田選手だけが全日本に残りました。そr3えだけ、全日本を背負ってやっていたんですね。 川田選手は、のちに「無我ワールド」にも参戦してきました。藤波さんとのシングル対戦はこの1銭だけで、藤波の1敗。
若いころの川田選手
※このシリーズ(G1)での藤波に対して「昔の名まえで、出てんじゃねえ!」はいいコメントでした。あんがい猪木流を受け継いでくれているのはこの鈴木なのかも、と思いました。ただ、藤波さんに対して、「鈴木流の気の遣い方」?で闘ってくれました。
この時、信頼感に基づく闘いであったかというと、はなはだ疑問も残ります。鈴木のキックや容赦のない攻撃に、立つことができない藤波さん。お客さんにも「ほら、お前ら、応援しろよ!」と煽り、自ら「ドラゴンコール」をする鈴木。ドラゴンコールの応援すらさせない「お客さんまでもを馬鹿にした態度」は、さすがにやり過ぎでしょう。本気で頭にきましたもの! で、藤波との対戦はシングルではこの1試合のみ。
バラエティ番組で、有吉にバケツぶつけられて、流血というのも、素晴らしいアクシデントを引き寄せましたね。ザマミロ。。 若手の頃から「態度が悪かった」と蝶野に言われ、藤原組長に「嫌いだ」と言われるのは勲章です。
嫌われ者(?)の鈴木も「鈴木軍」を統率し、2022年、新日本の50年記念試合にも出場しました。2023年には藤波さんとタッグで組んで同じコーナーに立ち、しかも、夢のような「タッチ」と試合終了後の「深々とした藤波さんへのお辞儀」が見られました。長年、新日本に毒づきながら、新日本を守ってくれて、ありがとうね。なんて言うと、愛甲投手と共に「うるせぃ」と叱られるか。。
※「みちのく」の大将が、藤波さんとの最初の対戦は、ライガーと組んでの闘いでした。ただし、サスケは、かなりコンディションが悪い様子で随所に技の失敗があって、ひやひやしました。そういうスリルはいけませんね。普段はすごい紳士なんだそうです。
※あのデイビーボーイ・スミスの息子で、のちに「ジュニア」を名乗ることになる。この初来日の時の試合は、私(RSD)は見ていなくて、すごく残念です。この謎の「ハングマン」とのタッグ試合のVTRをお持ちの方、ぜひ、情報をくださいませ(ビデオ本体も、もちろん可)
※「ハングマン」といえば、ネイル・グアイの変身と、詳しい方なら指摘するでしょうけど、この選手は違うようなんです。最近のファンだと「ハングマン・ペイジ」かな? のわけありません。
2005年ですと、ちょうど、テレビ観戦していなかった時期でして、たぶん覆面レスラーなんだとおもいますが(それすら不明) どなたか、情報をお願いします。
※G1観戦ブログで「顔の下半分だけを覆うマスク」に長髪。背が高い。入場曲は「喜びの歌」という情報を発見しました(2021.6.13)画像もお借りしてます。
※2023年の、いまや泣く子も黙る石井智弘ですが、このころはまだリキプロの若手でした。
※やまもとなおふみと読みます。現在は「ヨシタツ」ですね。海外で活躍した後、新日本へ、その後、全日本へ。現役バリバリで活躍していますね。このころの藤波との対戦は、若手に経験を積ませようという意図なのだと理解しています。
※あんざわあきやと読みます。当時の若手をベテランと組ませるタッグマッチ。安沢は新潟県の出身、竹村と組んでタッグタイトルに挑戦するも敗れた。翌年には引退するので、この藤波さんとの対決は貴重です。また、藤波さんのパートナーの長尾浩志(ながおひろし)は、のちに「ハッスル」で「ジャイアント・バボ」にもなった長身の選手。翌年の1月には新日本を退団するので、こちらも藤波さん絡みの貴重な対戦となった。
※今を時めく中邑真輔です。新日本へ入団して3年目、前年までの格闘技路線が終わって、プロレスに専念する頃の対戦です。この試合で、どのくらい藤波さんと絡んだのかはわかりませんが、なんとなく飯塚との絡みが多かったような気がします(メンバーから見て) ちょっと調査してみたいですね。これまた、中邑と藤波さんとの貴重な対戦です。
つづいての 2006- に参りましょう!
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