記録より記憶に残る名選手
藤波さんは、こんなにすごいレスラーたちと、闘って来た!
ヘビー級時代
藤波選手のはじめての対戦・対戦選手全部紹介!(対戦相手データベース) 2023.12.27更新
1996-2000 27人
●1996●
※WARで天龍の手下?となって頑張っていましたが、どうしても新日本ファンからは嫌われていましたねえ。よく見ると、がんばりを見せているんですけど。
※まあ、令和になっても頑張ってプロレスラーの人です。笑える(笑えないのもある)エピソード満載のキャラクターですね。この90年代は、蝶野と敵対したり、手下として鉄壁の「悪口」軍団になったり、忙しい選手でした。
天コジ時代のインタビューで、天山が「こりゃあ、ふざけんな長州!」と吠えた後、小島が「長州選手、待っててください」と、はにかみながら述べてしまうのが、好きでした。 おらぁ!技とか、試合のこととか、ねーのか!? (すいません)RSD
藤波さんとのシングル対戦は、全3戦、藤波さんの2勝1敗。
※カッキー!人気者。スコットスタイナーとの一騎打ちで、投げっぱなしジャーマンをやられて、完全にのびちゃったときは、レフェリーもお客さんも、そして当のスタイナーが心配しましたよ。
令和の時代になってからは、昆虫博士の垣原選手と、藤波さんとのタッグ対決がありました。
※「無我」時代からの愛弟子でしたね。「藤波さんは人間国宝です」とか「藤波さんはプロレスラーの世界遺産です」とか名言を聞かせてくれましたが、、。
藤波さんとのシングル対戦は全10戦、藤波さんの6勝3敗1引分け。
※藤波が日本プロレスに入門したころにお世話になった東洋の小悪魔「ミツヒライ」選手の息子さんですね。容姿も瓜二つで、誰がどうみても「親子」でした。ミスター・ヘイトになって独特の地位を築いていましたが。
※はい。平田です(笑) 別に笑う事も無いんですけど、藤波さんとは因縁がありますねえ。ストロングマシン時代の。いつの間にかマスクを脱いでの闘いも増えていました。藤波さんとの初めての「素顔」での対戦です。
※WWFとかWCWとかのアメリカでの活躍が記憶されていますけど、正直、新日本での参戦のインパクトはあまりなかったように思います。藤波さんとも、対戦していたの~、という程度かなあ、ごめんなさい。
※いろいろあって復帰してきたら、健介のパワーウオーリアーが居て、トリオでの参戦となりました。藤波さんとはこのトリオでの対戦が初となりました。
※「無我」でのタッグマッチは珍しいと思いましたが、ビリーライレーの選手の底上げのためにあえて組んだのでしょうか。なんとなくなじめないうちに、終わってしまいました。
●1997●
※ジャンボ鶴田や谷津選手とのタッグも記憶にある、あの仲野選手が、「無我」に来てくれました。対戦後の「頭なでなで」が藤波の喜びを表しています。SWSやらいろいろあって、引退したのち、
2014年に信州プロレスで「一日限りの復帰」で、藤波とタッグで対戦しました。
※正規軍に対して悪いことばかりする「nWoジャパン」に属していたので、わたしRSDは「偽スティング」と呼んでいましたが、チーム2000のころに「スーパーJ」と改名したころは、その実力に敬意を払って、「Jおじさん」と呼びました。(以上、私の呼び方)
※こいつ、G1に参加したとき「マッチョドラゴン(歌入り)」で入場して藤波さんと対戦しました。
実況のアナが「カシンの新しい入場テーマか?」と述べたが 「カシン! お前は石沢だあ! ファンはみんな知っているぞ!」 と騒ぐ藤波ファン。 あ、すみません、つい。
こんなことを書くから、藤波の初対戦相手「データだけ出してくれ!」といわれるんですね(泣)
実力者、石沢常光選手です。ちょっと(いや、かなり)いっちゃってる性格だと聞きました。「賞金はコソボ難民に寄付しろ!」なんて口走る選手でした。
※この日のタッグの二人、カオスとレイジで「ハイボルテージ」として活躍。新日本の常連外国人となった。この初来日時、ちょうどnWoJAPANが勢いがあり、抗争が始まった。小柄ながらも二人の筋肉男のタッグは連携技もうまく、蝶野・武藤らを苦しめた。藤波さんとは対戦することもあれば、組むこともあって、2005年に引退するまでにシングルでの対戦もあったはず(これは、調査中です)
※「ハイ・ボルテージ」は「高圧線」の意味であります。編者RSDが腰痛の治療に「整体医院」にゆくと「ハイボルテージ治療をします!」とよく言われます。そのたびに「カオスとレイジのタッグ」を思い出します。 レイジと藤波さんとのシングル戦績は調査中。 なお、カオスとレイジは、選手としての期間には二人で対立したり、また負傷に泣いたりしたこともあり、特にこのレイジは、ステロイドなど薬物にたよることも少なくなかったといいます。
●1998●
※大矢選手は、FMWでは、さすがの新日本出身の実力者でした。藤波さんの「無我」に来てくれた時も、たのもしい選手でした。
※新日本初期のトムジョーンズ選手、黄金期の「ビリーグラハム」選手、そして、この「ブライアンアダムス」選手と、まあ、同じ理由で(笑)名前には記憶がありますが、残念ながらファイト内容には、記憶がありません。
※このタッグの対戦相手は、フライもジョンストンも、まとめて、やばい二人です。藤波さんにとっては、斎藤彰俊が頼りですが、はらはらどきどきして見る試合です。 のちに、藤波 vs ドン・フライ というシングルマッチも組まれましたが、そちらは、見る側にも覚悟が要る試合でした。藤波さんとのシングル対戦成績は、藤波さんの1敗です。
※格闘技路線の選手ですが、正規軍に入ってくれて頼もしい助っ人でした。ただ、肉体的な限界を迎えてしまった気の毒な選手でもありました。
●1999●
※いまからみると(いや、当時でも)めちゃくちゃなマッチメイクですね。これは、試合を調査しますね。(さすがに私RSD,転職前の多忙な時期で見ていません。)
後にアントニオ猪木の軍団に行き、「PRIDE]での圧倒的な強さを発揮しました。若手時代の藤田は合宿上でも先輩からいじられるアイドル的な存在だったようですが、まあ、「野獣」と言われるほど強靭な肉体と技の切れから、最強の選手といっていいでしょう。藤波さんは若手時代の藤田選手としか対戦しては逢いませんけれど。令和の時代になってもノアで活躍している。
※ご存知、AKIRA選手との藤波さんの初対戦がこの試合です。もちろん野上選手の変身ですが、令和の時代になっても藤波さんとタッグを組むことがあります。メイクの妙は、もう芸術的な境地に入りましたね。
※あの強い「プリンス・トンガ」「キング・ハク」です。それにしても豪華で、めちゃくちゃなチームですね。この4人を8人タッグって、もったいない感じが、すごくします。あと、コジマックスホールドって?何やの?? 「大島さん」「小島だよ! いっちゃうぞ、ばかやろ~」(失礼)
※はい、427のnWoスティング選手が、さらに変身して、スーパーJになりました。ここから蝶野の「チーム2000」での活躍となりますね。
m
●2000●
※アニキが藤波の引退カウントダウン(当時)の相手に選ばれました。金本が希望して対戦したので、やはりいい試合になりました。藤波ファンが、対戦相手の方を応援するという不思議な感覚の試合でした。でも、正直、藤波さんのコンディションが、もっといい時に再戦をさせてあげたい、と思いましたねえ。のちの、2014年のシングル対戦では、藤波さんに「本気モードで来やがった」というほど良い試合になりました。藤波さんとのシングル対戦は、藤波さんの1勝1引き分け。
さあ、
次のファイルに参りましょう! ↓誰??
誰? ↑ まさか、今、話題の、、、