今のこの時期は、秋野菜の収穫もほぼ終わり、作物の栽培に手がかからないので、農地や農道にはみ出して邪魔になる山の木を切ったり(「陰伐り」と言います)、田んぼの補修をしたりして、来年の米作り、野菜作りに備えます。今年から町区全体で、イノシシ、鹿の獣害対策として、これまでの電気柵に替えて、金網(ワイヤーメッシュ)柵を設置することになり、週末ごとに町区の有志が共同で作業をしています。
昨日(12日)は設置が終わったブロックの金網柵の総距離がいくらになるか測るというので、巻き尺を持って、野越え山越え、金網柵づたいに歩きました。そのときに見つかったのがこれです=写真。
右の斜面は府道の法面、その一番下(「根際」ねき)に設置したばかりの金網柵があり、田んぼの水を流す排水路を越えて左の斜面を上がったところに農道があり、さらにその左にぼくが管理している分家筋の所有の田んぼがあります。田んぼの耕作者が農道、その法面、さらに府道の法面まで草刈りをしなければならないという決まりなので、府道の法面は傾斜がけっこうきつく、面積が大きくて大変ですが、年に3~4回、草を刈っています。
今年は金網柵の設置作業がしやすいように例年より多く刈って、まるでゴルフ場のようにきれいにしました。そこにおそらく府道から投げたのでしょう、レジ袋に詰めたごみが捨てられていました。中身は確認していませんが、車の中で食べたおやつか弁当でしょう。家に持って帰って家庭ごみで出せばいいものを、どうしてわざわざ、人が草刈りをして、きれいに管理しているところに投げ捨てるのでしょうか。後始末をしなければならない者のことなど考えないのでしょうね。
今日(13日)は町区のリーダーとして農業を営んでいる77歳の大先輩から「農道の側溝にU字溝を手作業で据えるので手伝ってほしい」と電話がかかってきて、超人的な体力の持ち主であるこの後期高齢農業者と、もう一人、やはり体力のある71歳の先輩との3人で、農道の側溝に長さ50mにわたって砕石を敷き、コンクリート製U字溝120本を一つずつ手で持って据えていきました。
これが午後4時に終わり、それから翌日の金網柵設置ルートにある切り株と木の根をチェーンソーとばち鍬(刃が三味線のばちの形をした鍬)を使って取り除いているうちに、冬至も近いことゆえ、真っ暗になり、ごみを片づける間がありませんでした。
明日(14日)と明後日(15日)は最寄の公会堂の掃除と金網柵の設置作業が予定されています。自分が作っている田んぼのイノシシよけのネットの片付け、まだ収穫がすんでいない畑のサトイモ掘り、山で切り倒した木の枝葉の片付けと、お金にはならないけれどもしなければならない自分の仕事もあって、けっこう忙しいのです。投げ捨てごみの片付けなど、拾えばいいだけのことではありますが、よけいな手間を増やさないでほしいものです。
ぼくのモットーは「人に迷惑をかけないこと」。あまりにも当たり前のことで、モットーというのもおこがましいのですが、人と人が支え合い、決して楽ではない人生を楽しく過ごすには、最低限の心構えとして必要なことだと思います。
田んぼの畦や岸の草を伸ばしているとカメムシが発生して、よその田んぼの稲にも被害をおよぼします。カメムシは稲穂の籾に針をさして中にある米の汁を吸うと、米に黒い斑点ができて品質が低下します。誰しも黒い虫食いの米は食べたくないですからね。田んぼの耕作者にとって、近くの田んぼが荒れて、草が伸び放題になっているのは迷惑このうえないことなのです。
山の木が伸びて農地や農道にかかると、農地に日陰を作って作物の生育を妨げ、トラクターやトラックで農道を通行する妨げになります。昔からの慣行で、山のある部分の木は山の所有者が切らなければならないと決まっていて、それをぼくの父が当番で地区の代表をしているときに明文化しました。人に迷惑をかけないための決まりです。
草刈りもここからここまではこの田んぼの耕作者で、そこからそこまではそちらの田んぼの耕作者が刈らなければならないと、範囲が決まっています。ぼくががんばって草を刈ったり、山の木を切ったりしているのは、そういう決まりがあるからやむなしにしていることではありますが、いやいやしているばかりではありません。
草を刈ったり、木を切ったりすることが、今、問題になっている地球温暖化の防止にわずかでも貢献できるからです。産業革命以降の石炭、石油などの化石燃料の使用によって二酸化炭素の排出量が増大し、地球を温暖化させていると言われています。平均気温が上昇するとともに極地の氷が溶けて海水面が上昇し、先祖伝来の生業を続けることができなくなったり、生活の場を奪われたりして、生存を脅かされている人たちがいます。ぼくたちが化石燃料でエンジンを動かし、化石燃料由来の電気を使って便利な生活をしている陰で、自然とともにある伝統的な生活を続けることができなくなる人たちが出てきます。結果的にせよ、ぼくは人に大きな迷惑をかけていることになります。
化石燃料を燃やすことは、土の中に埋もれていた炭素を二酸化炭素にして大気中に放出することであり、いったん大気中に出てしまった二酸化炭素が再び化石燃料に戻ることはありません。化石燃料を使うことは二酸化炭素を増やす一方ですが、草や木は燃やして大気中に二酸化炭素として放出しても、また光合成で大気中の二酸化炭素を固体の炭素化合物(有機物)に戻すので、二酸化炭素の増減はほとんどプラスマイナスゼロだと、よく言われます。化石燃料を燃やす石油ストーブや、化石燃料由来の電気を使う電気ストーブ、エアコンよりも薪ストーブの方が、大気中の二酸化炭素の増やし方がましであるということですね。
しかし、昔のように草木を利用した方が、二酸化炭素削減への寄与度がもっと大きくなります。
草木の体にあたる茎、幹や枝葉、根は、草木が光合成によって空中から取り込んだ二酸化炭素をもとにした炭素化合物でできています。これを燃やせば、炭素化合物の炭素が酸素と結合して二酸化炭素として空中に戻ります。しかし、燃やさなければ、一部は腐敗ガスとして空中に放出されるとしても、大部分は固体の炭素のままで地上か地中に留まります。草木を緑肥や堆肥として土の中にすき込むことによって、わずかでも二酸化炭素を固体の炭素として固定し、空中の二酸化炭素濃度を下げることができるわけです。
作物は基本的に空中の二酸化炭素を光合成で固体の炭素化合物に変えて、自分の体にするので、地中にある炭素化合物は直接的には作物の栄養にはなりません。しかし、土に固体の炭素化合物が多く含まれていると、ほくほくとして水はけがよく、酸素が通りやすいので、作物が育ちやすくなります。
最近は刈った草や切った木の枝葉を「くすべ」と言って燃やす人が多いのですが、昔は刈った草や切った木の枝葉を無駄に燃やしたりはしませんでした。「くすべ」というのは「燻(くす)べる」の名詞形で、炎を立てずに煙らせながら燃やすことを言います。稲のもみすりをした後に出るもみ殻(「すりぬか」とも言います)を虫よけ効果がある燻炭(炭にしたもみ殻)として利用するために、もみ殻を山積みにしていぶすのが、くすべです。
昔も草や枝葉をくすべることはあったと思いますが、今よりは頻度は少なかったと思います。昔は田畑を耕すために牛を飼っていたので、その餌としても草は貴重でした。草を刈る範囲が決められているのは、今は草刈りをしなければならない義務としてですが、昔は草を刈ることができる権利としてでした。「草刈り場」という言葉に、肥料や家畜の餌、あるいは茅葺き屋根の材料として草が取り合いになっていたころの名残がみられます。
また、昔は冬に暖をとる燃料としてだけでなく、ご飯を炊いたり、料理を作ったりするのにも、風呂をわかすのにも薪を使いました。幹や太い枝を割り木にして燃やすだけでなく、細かい枝葉も焚き付けとして使うために山から持ち帰り、葉っぱがついたままで木小屋に入れて乾燥させたものです。ぼくが高校のころまではうちも薪で風呂をわかしていたので、冬には薪割りのほかに、山仕事として、なたで幹から枝葉を払って長さをそろえて縄で束ねたりしていました。
ぼくは今シーズンから、毎日3食とも薪ストーブ調理をしています。ご飯は炊飯ジャーを使っていますが、それ以外の料理はすべて薪ストーブです。暖房が本来の用途で、母親が家にいるときは一日中燃やしているということもありますが、3食とも薪ストーブで調理すると、大量の薪が必要です。昔は冬の暖房だけでなく、一年を通して、風呂焚きとご飯炊き、調理に薪も必要だったのですから、いったいどれだけ薪を作っていたのだろうと思います。
刈ったり、切ったりした草木を野焼きで燃やすことが多くなったのは、かまどがガスレンジに代わり、風呂を灯油でわかすようになってからではないでしょうか。高度成長期の終わりごろからではないかと思います。暖房や調理に化石燃料や化石燃料由来の電力を使うようになり、田畑で化学肥料を多く使うようになったのと同時に、草木が無用の長物となって野焼きするようになったように思います。
ぼくは主に退職してからの2年余りですが、カメムシ防除や獣害対策の電気柵の下草刈りとして刈った草を有効活用しようと、以前、父がしていたように、農地の一角に積み上げて堆肥にして畑に入れています。稲のカメムシ防除のためには、4月~10月に最低月1回、6~8月はできれば月2回、草を刈らなければなりません。刈った草を傾斜地に置きっぱなしにすると、刈草に覆われたところは日が当たらないので草が生えず、土がぼろぼろになって崩れます。刈草で覆われた土はミミズがわくので、それを狙ってイノシシが土を掘り返して、さらに崩れます。草は短いうちに刈って、片づけないといけないのです。草を刈らないでおくと、どんどん背が高くて茎の硬い草や、つるを巻き付ける草が生えるようになり、しまいには木が茂り始めます。草は刈ってもまたすぐに生えてくるので、たまに刈るよりも頻繁に刈って、そのつど緑肥か堆肥にして、固体の炭素として土に混ぜ込んだ方が、二酸化炭素削減効果が大きくなります。
木についても同様です。クヌギやカシなどは組織が緻密で硬いので、火持ちがよく、薪として重宝しますが、切っても切り株からすぐに芽を出して大きく成長するので、乱伐にはなりません。枝葉をたくさん茂らせるので、焚き付けもたくさんできます。
竹の枝や笹など始末に困るものもあります。よほど困ったときにはやむをえず燃やすこともありますが、暗渠排水の疏水材(水を通しやすくする材)にしたり、細かいものはウッドチッパーで粉砕して堆肥にしたり、しっかりした幹や枝は土木工事の杭や胴木などにしたりして、できるだけ燃やさず、有効活用するようにしています。
行政が野焼きをしないように呼びかけていることもありますが、最近、うちの近所では、刈った草を燃やさず、堆肥にする人が増えてきているようです。近々最寄の地区でする陰伐りでも、切った木を今までのように燃やすのではなく、薪として活用することになりそうです。小さなことでもいいから自分ができることを一つずつし始めて、それに共鳴する人が出てくれば、初めはわずかな力でもやがて大きな動きになるのではないかと思っています。