母の思い出 | lazy daisyの「ただのBBAでいいじゃん♪」

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2020年秋。
70歳を迎えて張り切っていた矢先にまさかの難病が発覚。青天の霹靂とはこの事ね。なってしまったものはしょうがない。これまでの生き方を試されているのだと受け止めた!
最後の最後の最後までロックなBBAで生きるのよ

天安門事件から35年

という新聞の記事を目にして

母のことを懐かしく思い出した


15年前の5月20日

私は母の介護で実家にいた

以下当時の日記(ブログ)より


夜10時を過ぎた頃

寝ていた母がニップを取れと合図してきた

(ニップ=在宅人工呼吸器)


そして思い詰めた顔で「書くものをよこせ」と手振りで催促する


何事かと私は内心ドキドキしながら

母をキッチンのテーブルにつかせ

紙とサインペンを持たせたが

手が震えてなかなか字が書けない


そしてようやく書いた字だが

私には読めない

カタカナらしい 

モ タクト アン モン

の文字がかろうじて判別できる

「ゴメン、何て書いたの?」

と聞いても「困ったねえ」と言うばかり

辛そうに肩で息を始めたので

「ニップしよう!」と言ったら

突然しっかりした太い声で

「してもダメなの!見えるの!」と言う
「何が見えるの?」


母「肺の中に…ハアハア」
私「うん、肺の中に?」
母「赤い、赤い…ハアハア」
私「赤い固まりがあるみたいなの?

肺が熱いの?」
母「赤い旗が…見えるハアハア」
私「ひらめき電球あっモタクト毛沢東!?」

母(何故か断固とした口調)

「そう、天安門の赤い旗…確かに私には見える!」
(両手の指を広げでテーブルを叩く)
私「タイプライター?」

(結婚前母は英文タイピストだった)
母「違う!外国人の音楽家!」
私「あ、ピアニスト」

母「違う、作曲家!」

「これは、これだけは伝えなくちゃいけない!」

私「誰に伝えればいいの?私?」
母「そう、その音楽家が天安門で毛沢東にムニュムニュムニュ(聞き取れず)」
私「文革でやられた?」
母「違う!その赤い旗が肺の中に見える。わかってもらえないけど確かに見える」

結局、一時間近く話を聞いたあと疲れきった母にデパスを飲ませ、ポータブルトイレに座らせ、ニップをつけ終わったころには人事不正の酔っ払いみたいに爆睡。
正直、書くものをよこせ、と言われたときは「形見の言葉」にでもなったらどうしよう、と泣きそうだったのだがポータブルトイレを始末してる時に実に見事な「モノ」を発見したら急に安心して可笑しくてたまらなくなってしまった。
確かに妄想が始まってきたには違いないが、よりによって『天安門の赤い旗』とは
何で?!どうして?!

以上我が家の「天安門の赤い旗事件」w


このほかにも「真夜中に魔女が来た事件」

「入れ歯叩いてチャンチキオケサ事件」

「医者や看護師相手に大立ち回り事件」

思い出すと笑いが込み上げてくる

(当時はそりゃもう大変だったけど)


面白い人だったな〜


そうそう


長閑なる 霞ぞ野辺の 匂いぬるかな

という句を

喉がなる カス味噌の屁の 臭いぬるかな

と小学生の私に教え込んだのも母だった