平塚競技場 | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。

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レモンガススタジアム平塚/平塚競技場
開場1987年
集客可能人数15690人
名前の変遷平塚競技場(1987-2010年)
Shonan BMWスタジアム平塚/平塚競技場(2010-21年)
レモンガススタジアム平塚(2021年-現在)
アクセス総合公園前バス停(神奈川中央バス・平61・62・63・65・68・86・97系統)から徒歩約5分
共済病院前総合公園西バス停(神奈川中央交通バス・平88-96・99系統)より徒歩約10分
平塚駅(JR東海道線)より徒歩約20分

(写真は全て、2023年10月28日のJ1リーグ・湘南ベルマーレヴィッセル神戸の試合より)








上:外観
中上:メインスタンド
中下:北側ゴール裏
下:南側ゴール裏

平塚市総合公園にある陸上競技場。Jリーグ湘南ベルマーレのホームグラウンドとして知られるほか、プロ・アマ両方の様々なサッカーの試合で使用され、陸上競技でも使用頻度の高いスタジアムである。

1987年に、平塚市総合公園の中核施設として作られた。1992年にフジタ工業がベルマーレ平塚としてプロ化すると、この競技場をホームスタジアムに指定。開場当初はメインスタンドにしか座席がなく、ゴール裏にも観客は入れなかったが、ベルマーレの招聘と同時にゴール裏に芝生の立見席を作り、バックスタンドにも座席を導入した。当時は18500人収容可能と公表されていたが、実際にはそんなに入らず、2014年には15190人に下方修正された。

バックスタンドにある聖火台(電光スコアボードと時計が設置されている)が目を引くが、これがあるおかげでバックスタンドが左右に分断されてお客さんが自由に行き来できなかった。その上、聖火台の周辺に座席を設置できない状態だったが、2016年にこの場所にも座席を設定したことからキャパも500人増えて15690人となった。


バックスタンド

ベルマーレは1990年代中盤にはJリーグでも上位に顔を出すチームだったので、その頃からのサッカーファンであれば平塚競技場という名前になじみがあるかもしれない。当時はオーロラビジョンが設置されておらず、聖火台の下に手書きのスコアボードを使ったり、ベンチの裏にアクリル板で出場メンバーを表示していたが、2010年にようやくオーロラビジョンが設置された。2012年に横浜市に拠点を置く日本におけるBMWのディーラーであるモトーレン東洋社が命名権を獲得しているため、その年からShonan BMWスタジアム平塚という呼称が使用されており、これが一般的になっていたが、2021年2月に平塚市に本社をLPガスのボンベなどを取り扱うレモンガス社に命名権が移り、レモンガススタジアム平塚に公称が変更になった。

陸上競技場としては日本陸連2種公認であり、毎年日本学生陸上競技個人選手権大会の会場になる(日本選手権規模の大会は開催できない)。2017年6月10日に、関西学院大学の多田修平選手が100メートルで追い風参考ながら9秒94を記録し、日本人で初めて9秒台を記録したのはこの競技場だった。


バックスタンドからの試合の眺め

テレビでベルマーレの試合を見ると、バックスタンドの嵩が低い、試合の見にくそうな陸上競技場に見えるのだが、テレビでの印象とは裏腹になかなか試合が見やすい競技場だった。トラックがコンパクトに作られているからなのか、ピッチ全体が俯瞰でよく見える作りになっている。特に、スタンドの上の方に座ればかなり試合は見やすい。

メインスタンドの一部にしか屋根がなく、雨や日差しを遮るものがないこと、オーロラビジョンが北側ゴール裏にしかないことなど、課題もあるが、日本のほとんどのJリーグ本拠地スタジアムはそんなものである。他の競技場と比べて観戦環境が劣っているという印象はない。

平塚総合公園には、陸上競技場の他に野球場体育館、プール、テニスコートがあり、市民の屋外レクに必要なインフラを提供している。野球場はプロ野球の二軍戦や学生野球の公式戦に、体育館はプロバスケの興業でも使用されるので、競技レベルでも認知度の高い総合運動公園である。

最寄駅は、JR東海道線の平塚駅で、ここから徒歩で25分かかる。歩くのは大変な距離なので、大抵の人はバスを利用する。ベルマーレの試合がある日は、チームが平塚駅と小田急小田原線の伊勢原駅からシャトルバスを出してくれるが、ベルマーレの試合以外ではこれらの駅から路線バスを使用することになる。自治体所有の陸上競技場としては交通の便はそこそこだが、他のプロスポーツのホームスタジアムの中では微妙なところか。平塚は横浜からだと電車で約30分なので、神奈川県内であれば日帰り観戦も楽だが、他の都県からの遠征となると少し覚悟がいる。

自動車での来場を検討している場合は、公園の駐車場を合計すると927台が止められるようだが、駐車スペースの予約制度はなく、特に多くの来場者が見込まれるイベントだとリスクがある。とはいえ、周辺の大通りに沿いに食事処がいくつかあり、歩くと結構距離があるので、自動車で来るとそのあたりは楽になるだろう。公共交通機関で来た場合は、バスに乗った駅周辺で調達するのが無難だが、ベルマーレの試合があるときには出店が多く並ぶ。




上:平塚球場
下:平塚総合体育館

湘南ベルマーレの前身は、1968年に栃木県で発足した藤和不動産サッカー部(フジタSC)で、1972年に日本リーグ1部に昇格。1975年にフジタ工業サッカー部と改称され、拠点も平塚へと移した。ユニフォームの色をカナリア色にしたことからも解るように、ブラジルのスタイルをかなり意識したチームカラーであり、ブラジル人選手を多く獲得してチーム強化を図った。1970年代後半に全盛期を迎え、日本リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を経験。その後、選手のプロ化を通じて強化を図った読売クラブや日産が台頭したことでタイトルから遠ざかるものの、この方針を初めて導入したのはフジタであり、そういった意味で当時の日本サッカー界における先駆的な存在でもあった。

1992年にプロ化を果たしたものの、1993年のJリーグ開幕時には参戦10チームの中には選ばれず、Jリーグ元年は2部リーグに当たるJFLで迎えた。だが、ベッチーニョ、岩本輝雄、名良橋晃、野口幸司、名塚善寛など優れた外国人選手と日本代表クラスの選手を数多くそろえたことで、その年のJFLで優勝し、1994年からJリーグに昇格。この年の後期にJリーグで2位に入り、天皇杯で優勝した。小島伸幸、洪明甫、田坂和昭、呂比須ワグナーらをさらに加え、フジタ時代からのチームの代名詞であった攻撃的な戦い方を貫き通して1990年代中盤には「湘南の暴れん坊」と恐れられた。日本サッカー史上屈指の名選手である中田英寿がプロキャリアをスタートさせたチームとしても知られている。

平成不況のあおりを受けて、フジタがチームのメインスポンサーから撤退すると、経営が悪化し2000年にJ2に降格。以後10年間をJ2で過ごす長い冬の時代を経験するが、この時期から地域密着型の経営にシフトチェンジし、名称も湘南ベルマーレに改められた。2001年にビーチバレーとトライアスロンのチームを作り、翌年にはそれらを統括する総合スポーツクラブとして湘南ベルマーレスポーツクラブを発足させ、サッカー部門もU15以下の下部組織の運営を委任した。現在ではフットサル、ビーチサッカー、7人制ラグビーのチームも有しており、神奈川県西部のスポーツ文化の醸成に多大な貢献を果たしている(2010年に設立された湘南ベルマーレサイクリングクラブは、名前の使用は許可したものの経営団体は異なる)。

2006年には、平塚競技場はJ2のチームとしては初めてベストピッチ賞を受賞するなど、苦しい時期でも地域のスポーツ環境に対する貢献を続けてきた姿勢が評価された。横浜や川崎などの大都市が県内に多い中で、地道な活動を通じて熱心なファンを根付かせ、2009年に久しぶりのJ1昇格を果たした。翌年はJ1最下位ですぐに降格したが、その後もしばらくJ2とJ1を行ったり来たりした後、2018年に昇格してからは2022年までJ1から降格していない。選手が育てばすぐにビッグクラブに引き抜かれてしまうという苦しい台所事情の中で健闘を続けており、2018年にはJリーグカップを制し、名前が湘南ベルマーレになってから初めてタイトルを獲得した。

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平塚競技場の紹介(平塚市公式ホームページより)
湘南ベルマーレ公式ホームページ