イギリス社会とスポーツの事情(2) サッカーとラグビー | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。


イギリスには階級社会が底流としてあるとはいえ、21世紀の現在で「上流階級のラグビー、労働階級のサッカー」と言う構図はあまりにも簡略的すぎる。以前のブログで、そのように述べたかと思います。

実際、私の通っていたロンドンの大学では、スポーツにそこそこ興味がある人でサッカーをあまり見ないという人は少数派でした。海外からの留学生も多いイギリスの大学ですし、ルールが解りやすいサッカーはイギリス国内の階級だけでなく、人種や国籍の垣根を越えて理解できる強みがあります。週末にロンドンの町中を歩けば、「店内ケーブルテレビあり、フットボールの試合見れます」と言う文句で客寄せをするパブが多いのも、ファンが多いということの証左なのでしょう。月曜日の朝、学生や職員達が週末が明けた憂鬱さをサッカー談議で紛らわす光景は、そこらじゅうで見受けられます。逆に、イギリスの大学生の中にもラグビーはルールが解りにくくてあまり見ない、と言う人も多いです。ラグビーの試合を放送するパブと言うのは、少なくともロンドンではそんなに多くありません。しかも、放映するのは大抵はナショナルチームのヨーロッパ6カ国対抗戦(シックスネイションズ)のときくらいです。クラブチームのラグビーは、余り注目度が高くありません。

ただ、「イギリスでサッカーが好きな人が必ず全てしも労働階級とは限らないが、エスタブリッシュメントの中に入れるような教育・教養を得ている人でなければ、原則ラグビーが好きな人にはならない」と言うことはできるのではないでしょうか。少なくとも、私がロンドンのトッテナムに住んでいたときに行きつけのパブで顔なじみになった人達は、ラグビーについては欠片も興味がない人達でした(トッテナムは、基本的には労働者や移民の人達が住居とすることが多い地域です)。逆に、学会とかでたまに訪れたオックスフォードやケンブリッジなどの博士課程生や先生方と食事やお酒をご一緒したりすると、スポーツの話題で上がってくるテーマと言えばラグビー、クリケット、ポロ、レガッタと言ったところでした。留学生が増えている昨今でさえ、イギリス・エスタブリッシュメントの頂点に立つオックスブリッジではそのような風潮が残っていると感じました。

イギリスのエスタブリッシュメントが美徳とする、品位と自制。その精神の上に、イギリスのラグビー文化が成り立っているということになるのでしょうか。隊列をなす屈強な大男達を目の前にして、それでも楕円球を手に持って全速力でぶつかっていく。そして、守る側も全速力で走ってくる相手に向かって頭から飛び込み、止めようとする。ボールがこぼれればその身を顧みず我先にと飛び込み、押されようが踏まれようが必死にボールを繋ぐ。ラグビー場で戦いに挑む者たちは、80分間その戦いを繰り返します。「我々は、他のスポーツの奴等とは違う。痛いなんて言わないし、審判を欺いたり判定に抗議したりすることはしない」と言わんばかりに。その姿からは、厳しい自律の上に成り立つプライドが滲み出ているような気がして、眩しい。

一方で、妥協を許さぬその姿勢こそが、あるいは多くの人にとってこのスポーツがとっつきにくいと感じられてしまう理由なのかもしれません。品位と自制を求めすぎるが故に、ラグビー選手は名誉を重んじるべしと言う風潮が、つい最近まで強く強く残っていました。お金のためにプレーするということを潔しとしない風潮がつい最近まであったことから、ラグビーはプロ化がサッカーと比べて大幅に遅れ、市場の拡大に乗り出すのも遅かった。そのため現在でもイングランドのラグビーチームは外国のチームに資金面で後れを取ることが多い。それどころか、プレミアシップであっても経営状況的に存続自体が危ういチームも少なくありません。

この場でその是非を問うつもりはありません。物事には表と裏があり、そしてそれが不可分であるというだけのことです。

この点を踏まえた上で、私が訪れたことがあるロンドンのラグビースタジアムをご紹介いたします。イングランドのラグビーについても陰と陽の両面を出来る限りありのままに綴れればと思います。

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