みなさんこんにちは、「485系 方向幕その3 」からすっかりご無沙汰してしまいました。
ゴメンナサイm(__)m
仕事に波があり過ぎて・・・と言い訳をしておきます。(あくまでも「言い訳」です・・・)
さて続きを早速・・・
No.30
平成4年7月の山形新幹線の開通と共に1往復のみ上野に出てきていた「つばさ」は、他の区間運転も含め、新幹線に愛称をを譲り、残された区間の愛称名は「こまくさ」になり、在来線から「つばさ」の名称は消えてしまいました。
最後の1年は新幹線工事の影響で「仙山線経由」での運転でした。
No.31
「つばさ」と言えばこのNo.31とNo.30の組み合わせが王道ですね。
No.32
No.33
No.31~No.33までが晩年の「在来線つばさ」の新幹線連絡特急としてメインで使われていたコマとなります。
No.34
「たざわ」の説明は後ほど。
No.35
一時期、臨時で延長運転されていた時に使用されていたコマです。
No.36
No.37
No.38
特急「たざわ」は昭和57年東北新幹線開業時に首都圏から秋田を最短時間で結ぶ経路として盛岡からの田沢湖線を電化させ、それまでディーゼル急行だった物を電車化、特急に格上げして盛岡~秋田間に運転された列車。
基本、盛岡~秋田間の運転でしたが、一部東能代と青森までも運転され、最盛期は一日13往復するまで成長した特急でした。
これもまた新幹線(秋田新幹線)の開業と共に廃止となりました。
No.39
No.40
特急鳥海は昭和57年上越新幹線開業(大宮~新潟間)時にそれまで特急いなほで運転されていた上野~青森間の一往復を特急「鳥海」として運転させ、新潟~秋田・青森の運転の列車を特急「いなほ」にし、誕生。
そして昭和60年の上越新幹線の上野開業と共に廃止後、上野~秋田間(上越・羽越線経由)の臨時特急として多客期に運転(485系 方向幕その2 No.18のコマ参照)されましたが後に廃止となりました。
※後に寝台特急として一時復活。
さ~て以上昭和末期から平成初頭まで使用された、東北方面485系の40コマ分のご紹介でした。
最初にこのパターンの方向幕ができた時(昭和50年頃)は、No.1、2、8、9、10、14、15、16、18、19、20、25、32、33、34、35、36、37、38、39、40の各コマが空白(文字表示無し)で使用が開始され、特急の新設や行き先の増加により空白のコマが埋められ使用され、やがてNo.1の空白コマを除き全てのコマが特急で埋め尽くされたのでした。(種別4コマ分を除く)
ここでご紹介した幕の次世代は、使わなくなった「ひばり」「やまびこ」のコマを消し、12コマ目に「普通 蟹田」、13コマ目に「普通 青森」を入れ、次に新たな幕を作成するときは「空白」コマが増し、485系東北特急の衰退が目に見てわかるようになりました。
この様に「方向幕」は時代の流れ、「栄枯盛衰」も読み取ることもでき、歴史を感じさせる本当に面白い物です。
このシリーズ「その1」から「その4」までもう一度ご覧いただくとその面白さが解っていただかるかと・・・
また、ぼちぼち更新していくつもりですので宜しくお願い致します。
それでは・・・