人知、異教 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。


人知
 
 
人知によって語りうるのは
あくまで人知の範囲
人の側についてだけであり
そのように語っている者に対して
 
反論として彼らは
人知によらず
人知を超えた霊の賜物によって
神を知ると言う
ときに彼らは
使徒とも聖人とも呼ばれる人の
聖書の記事を引用して
聖人たちを自らに擬して
「弁解の余地がない」
などと圧力をもって語り
神の意思や賜物についての
確信を語るのである
 
人知を超えた賜物や働きがあることは
信仰者の認めるところであるが
彼らのやっていることは
人知を超えた働きが
人知の及ぶところに来たることを知る
ということであり
それこそまさに
人知によって
人知を超えるものを把握しうるものとして
確信しているのである
したがって
神や聖霊を知ることについて
人知によっているのは彼らなのである
それはそのまま
自らの人知を神格化することに他ならず
神にたいしても人に対しても
「弁解の余地がない」のは
まさに彼らのほうである
 
(2011年06月20日)
 
 
異教
 
 
そのような欺瞞と確信に満ちた彼らが
すすんで唱える福音伝道もリバイバルも
異教との類似性を語る交流や
それによって異教文化の中に
キリスト信仰の伝道の道を求めようとすることも
「知られざる神に」と語ったパウロを
聖人でもない自らに擬して憚らない暴論に過ぎない
 
あまねく神の御心は行き渡る
というのは信仰者の認めるところであり
一神偏在という考え方があるのも肯けるのは
ひとつには多数の信仰者が祈るのを
神が聞くには人の側からは
そう考えざるを得ないからでもある
 
しかし一神教と多神教は違う
しかも唱える者たちの姿勢にもよる
 
だから利用される異教にとっては
たまったものではないだろう
異教によって彼らが嘲笑われるか
「また聞くことにする」
と遠ざけられるならまだしも
そういう彼らの開拓行為が
宗教ブームなどによって少しでも成功するなら
その意思において既に
伝道というより
伝染病の蔓延というほうが相応しい
それは紛れもなく
彼らの資質と姿勢と
彼らの信仰の本質が招いた警戒すべき目論見なのである
 
(2011年06月20日)
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不安定な情緒で、急に書き下ろした感じです。
 
私の精神衛生上極めてよろしくない場所があり、
彼らを見たり思い出したりすると、
怒りや悲しみに留まらず、心身に変調を来たし、
吐き気がして頭が錯乱するので、
書きたい文章がまとまらない。
文脈や客観性などが壊れてしまう。
以前にもまして
引きこもって誰にも会いたくない。
彼らの信仰の在り方に
いっときの間でも信頼を寄せていたことが
恥ずかしく、悔やんでも悔やみきれない。
地においても天においても
二度と出会うことのないように、また
もし私に魔が差しているのなら即刻
神によって消し去られることを祈り願う。