亀山公園リニューアルオープン完成記念式典/山口県山口市亀山町 | 沸点36℃

沸点36℃

他愛のない日常と歴史散策、主観

2018年9月22日散策/亀山公園リニューアルオープン完成記念式典

2018年夏に散策した時の記事です

この頃になると気温も大部落ち着いてきて、少しは過ごしやすくなったかな


1週間前、商店街で開催された「どうもんカレーフェスティバル」


13店舗のカレーを食べ比べ出来ちゃう
でもねぇ、せいぜい2皿までかなぁ
お腹いっぱいになるよアセアセ


ビールも堪能しました(^_^)/□☆□\(^_^)
美味しかったよ


さて、この日は亀山公園の山頂広場へ
写真はサビエル記念聖堂


ここへ行くと必ず見に行きます、敷地内にある来島又兵衛顕彰碑

毛利元昭篆額、井上馨撰文、野村素介書

周布政之助の顕彰碑もあるよ


山口市が明治維新150年記念事業で進めてきた亀山公園山頂広場の整備が完了し、この日リニューアルオープン記念式典があったの


もともとここは長山城があったと云われていて、天正16年(1588)毛利氏は仁保元忠を城番として置いていたらしい

で、その後毛利秀元が慶長元年(1596)にここを居城にしようとしていたんだけど、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで輝元が減封されちゃったもんだから、秀元も長門長府に移ってしまって、ここは廃城になっちゃったんだよね


それから時代は明治になって、山田顕義が初代総裁になって(のちの総裁は伊藤博文)井上馨を顧問として、この長山城跡地に毛利敬親の西洋式銅像の建立計画をたてたのが明治22年(1889)


当初は敬親公の銅像1基のみの予定だったんだけど、岩国藩主吉川経幹、徳山藩主毛利元蕃、清末藩主毛利元純、長府藩主毛利元周の銅像も建てられることになって、

敬親公の銅像の台座には、禁門の変の責任で自刃した益田親施(益田右衛門介)、福原僴(福原越後)、国司親相(国司信濃)、そして尊皇攘夷派の中心的人物だった清水親知(清水清太郎)の4家老のレリーフが付けられることになったんだそうよ

ああ、清水さんのはレプリカだけど光市の文化センターに展示されていたね


こうして明治33年(1900)にここで除幕式が行われて、伊藤博文や井上馨、杉孫七郎、野村靖らが出席したんだって

その後、銅像建設途中で亡くなった毛利元徳の銅像も建てられることになって、明治39年(1906)に除幕式をやられたんだそうよ


ところが戦時中の昭和19年(1944)に、金属供出で台座を残してすべてなくなっちゃうの


で、昭和55年(1980)に敬親公の銅像を新たに造って建てたんだけど、そのまま今日に至っていたんだよね

敬親公の騎馬像が敷地の真ん中にあるだけで、地面は土と砂利だったし、それが芝生になって、トイレもあるし男性トイレ女性トイレ


除幕式だよ~~~
わ~い♪ヽ(´▽`)/わ~い


え、これか( ̄b ̄) シーッ

でも、とっても綺麗に整備されていて、スロープもあるし眺めも良くなったし


除幕式のあとは山口県恒例のもちまき
なんと90㎏もある量!Σ( ̄□ ̄;)
まき過ぎ(笑)

ひまわりの種と、ブルーベリーの苗木もいただきましたひまわり

大きく育つといいな


あなたもスタンプをGETしよう