玄済寺/山口県山口市吉敷 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

4月24日散策/玄済寺


オッパが、ふと、

「よし、今日は吉敷へ行くよ~(*'∀`*)vおんぷ

って

吉敷って市内だったのね汗
引っ越してもうすぐ1年経つのに、全然地理がわかんないよ~

そこには吉敷毛利家の菩提寺があるんですって



つつじが綺麗きらきら(赤)えっと…さつき?は?
まぁいいや、どっちでもいいや(*ノ∀`)ペチッ
もうそんな季節なのね

わたしの地元では、つつじといったら笠間だったなぁ~
なんか知らんけど、スッゴい綺麗だったわ
歴史的史跡があったのかもしれないけれど、当時のわたしはそんなこと気にしたことがなかったわブッ

今なら思うわ
なんて勿体ない生き方してたんだろうがびょーん
笠間焼とか有名だったのに、わたし、ひとつも持ってないや~(´-ω-`;)



ここ玄済寺は、山号を黄龍山と称した曹洞宗のお寺

毛利元就の第11子毛利秀包が開基したらしいわ
豊浦郡豊北町阿川に創建していたらしいけど、寛永二年(1625)秀包の孫、元包が吉敷に移封された時にお寺もこの地へ移したのね

今ちょうどね、お江さんの小説を読んでいるんだけど、知ってる(*'∀`*)vおんぷ知ってる、吉敷毛利家の人たち

開基した秀包って人は、元就の子として安芸国郡山城で出生、後に小早川隆景の養子になっているのよねあっっ

隆景に従って軍功があり、豊臣秀吉から偏諱を得て「秀包」としているの
秀吉の九州征伐に功があり、久留米城主となって、文禄の役では碧蹄館で戦い、帰国後十三万石の大守になったのよ

関ヶ原の戦いには、豊臣方の将として戦ったけれど敗戦後に剃髪してね
大坂から船で帰国途中病にかかり、下関で没してしまうの
35歳だって…

その後裔は吉敷毛利家として栄えて、このお寺も吉敷毛利家の菩提寺となって、お寺の後方の広い墓域には吉敷毛利家の歴代のお墓(初代~18代)があるって話だゎ



■吉敷願かけ地蔵

山門入口手前の右側には、戦前から信仰されていたものを平成4年に面目を一新して、お祀りしているお地蔵様

このお地蔵様に「オン・カ-カ-・カビ、サンマ-エ-・ソワカ」と、お唱えすれば必ず聞き届き、叶えてくれるんですって(*'∀`*)vおんぷ



屋根瓦の中央には一文字三つ星の紋がある山門
 


ここは、長門湯本大寧寺十八世鉄村玄鷟(てっそんげんさく)和尚を開山としたのね
「鷟」←この漢字、読めないよね

焼鳥屋さんの名前みたい(ボソッ
たっちょんちの鳥貴族か(*ノ∀`)ペチッ



豊浦郡阿川に開いた黄龍山江見寺を創建としていたけれど、後に秀包の法号「瑞光院殿玄済道叱大居士」からとって玄済寺と改めたみたいだね



境内にある大田報助の寿蔵碑

この人は吉敷毛利家の重臣で、明治時代の歴史家でもあるのよ
「毛利十一代史」の編修にあたったのは有名だよねあっっ

■「大田舎人様 谷梅 内貴答」
朶雲奉拝読被仰越候趣、
委曲奉承知候、
少々は遅刻に相成候様取計候得共、
直□温泉場へ罷出候間、
左様御承知可被有、
其内宜敷御取計被下候様憑奉願候、
一度□貴趣向今向候
二月十七日
尚々、何も拝眉之上、万縷可申上候、以上

これは、藩内戦が一段落した頃の高杉晋作の書簡らしいわ
内戦を起こした罪がまだ正式に消えていない頃だから、変名の谷梅之助を名乗っているのね

大田氏になにやら依頼されているようだけど、漢字ばっかりでわかんないや~



吉敷毛利の家臣の中には、内戦の際に、高杉晋作らに応じる者が多かったと聞くわ

あ、これが本堂
実はこの日、吉敷地区で「よしき軽井沢通り」っていうイベントが開催されていて、お客様がハンパない
タイミングをみてお写真撮らなきゃならなくて、たまたま人の姿の無いお写真が撮れたけれど

お堂の左側ではコンサートが行われていて

お寺でシャンソンブッ



大音量のシャンソン聴きながらお参り

開基した毛利秀包は、秀吉から名前をいただいているしね

豊臣の氏と羽柴の姓をいただくということは、氏には家紋がもれなくついていること

それで豊臣の桐の紋と小早川の左三つ巴の紋が列んでいるのね!

毛利の一文字三つ星紋は、小道具にあったよ

家紋って、大事だよね
こうゆうの見るとつくづく思うわ

わたしも実家の紋に誇りを思いつつ、オッパんちの紋を大切にしよっと



ゆっくり拝見したいとこなんだけど、何しろこの日は「よしき軽井沢通り」
参拝のお客様なのか、フリーマ-ケットを楽しむお客様なのか、ごった返しちゃっていてね汗



いや、きっとシャンソンブッブッブッ
日本のシャンソン…

日本人のシャンソン歌手は、越路吹雪と江利チエミしか認めないじょ-

え、江利チエミはテネシーワルツじゃね?
え、それジャンル?

また、わたし
知ったかぶってるし´艸`



いや、しかし…
地域のイベントも、お寺の境内を自由に使われていて、ここの住職様も心が広いなぁ…



紅葉の花?つぼみ?初めて見たかもきらきら(赤)
これが雌花で、これが雄花だよって、オッパ、相変わらず詳しいほのぼの

青々とした綺麗な緑色の紅葉も素敵
赤い葉より好きかも



しかしこの毘沙門堂には、大内義興の御霊牌があるんだけど

この狭い堂内では、おばちゃん達の…仏前のぎりぎり真ん前までフリマがっかり
いくらなんでも、それはマズくないのかなぁと思いつつ

堂内の毘沙門天像は、大内義興が念持仏として信仰したもの
大内義興の霊牌と共に市内の中尾凌雲寺から移された貴重な、貴重なものなんだけどね汗

本堂の方は吉敷毛利家(豊臣家、小早川家)で飾られていて、大内氏関連は唯一ここのみ、なんだよね

価値観が違うのかな

まぁ、その本堂でも大音量でライララライララ…ってシャンソン歌ってたけどね



ここは坐禅堂も兼ねているらしく、堂内の隅にお座敷があったわ
まぁ、でも、そのお座敷にも商品が並んでいて、上がって仏間を拝見することが出来なかったんだけど

閉店ガラガラ
気を取り直して墓場行こうそうしよう(棒


ぺこぺこり


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