三田尻御茶屋・奥座敷棟と花月楼/山口県防府市お茶屋町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2月28日散策/三田尻御茶屋・奥座敷棟と花月楼


この奥座敷棟は明治31年(1898)に建てられたのね

三田尻別邸が山口での公爵毛利家の本邸とされたことにより、当主やその家族が生活する場として建てられたものだそうよ



お雛様が飾られてあったわ

わたしも欲しいなぁ…



建物内でも奥座敷棟が最も立派に仕立てられているそうよ

ここのお部屋の襖は竹模様だったわ



扇子模様の襖は、なんと手書きで復元



こうした釘隠金物は向オモダカ紋様



奥座敷は10畳二間、8畳一間、畳の奥東側廊下、板の縁廊下、トイレお風呂…土蔵に繋がっていたわ



ここは台所棟
台所の他に台所六畳ノ間、女中部屋など



真ん中の大観楼棟の屋根は檜皮葺だったのね

大観楼棟は天明期、奥座敷棟は明治31年、玄関棟と台所棟は大正6年の建物よ



江戸時代~明治時代には佐波川からひいた疎水が邸内にとり込まれいたらしく、回遊式庭園だったのね
 


お庭の片隅に花月楼という茶室があったわ

この日は中でなにやら会合があったみたいで、中を拝見することは出来なかったんだけど…

花月楼……
どっかで聞いたことがあるなぁ…


(撮影/元旦・萩市松陰神社)

あっΣ(・ω・ノ)ノ
萩市の松陰神社境内!


(撮影/元旦・萩市松陰神社)

■説明板より
この建物は、1776年(安永5)に長州藩7代藩主毛利重就が、表千家家元7代如心斎の門人、川上不白が献上した図面によって、三田尻の別邸に建築した茶室で、花月楼の名称は、茶事七事式の第一である花月式に由来します
この茶室はのち萩の平安古に移され、さらに1888年(明治21)に品川弥二郎が松本橋袂の自宅に移していたが、1959年(昭和34)に現在地に移築されました

え……そうなんたあっっ
じゃあ、じゃあ、ここにあるのは???



天明6年(1786)国分寺に建てられたものを、明治21年(1888)にここへ移築されたものらしいわ

まぁどちらにしても、茶道に造詣深かった重就氏が建設に関わっているのね汗



花月楼の裏手へまわると…なんだろう、これ

へんなの~がびょーん



もしかして…

いや、まさか…まさか…



そうだった…ブッ


ぺこぺこり