吉田松陰誕生之地/山口県萩市椿東 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

1月1日散策/吉田松陰誕生之地


松陰先生の誕生地へと歩いていくと…

てか、小高い丘の上にあるから、結構な斜面の坂をヒィヒィ言いながら上っていくと



松陰先生と金子重之輔の像!!

見たかったの!これ
昭和48年に明治維新100年を記念して建立されたものらしいわ

望遠鏡持って先生を見上げているのが金子重之輔



わたし、まだ歴史をちゃんと知らなくて

二人が起こした密航事件により、金子重之輔が伝馬町の百姓牢で酷い扱いをうけたということや

汚物まみれで萩へ護送され、先生からの着替えや薬の差し入れを拒絶し、

また萩でも先生は野山獄へ、金子重之輔は士分以下のため岩倉獄に収監

可哀想に…
ここへ来てはじめて詳細がわかったの



山口県萩市北古萩町の保福寺にある正面に「贈正五位金子重輔之墓」と刻まれた金子重之輔のお墓には



この時先生が送ったお金で建てたとされる「寄附吉田氏」と刻まれた一対の花立てが残っているそう



「高杉晋作草庵跡」と刻まれた石碑

晋作が東行と称して、隠棲した場所を示す碑みたい
でも実際の草庵は、向かいの田床山登山道を300メートルぐらい進んだところにあったらしいんだけど、建物は残されていないんですって



ここが吉田松陰先生の実家、萩藩士杉家の旧宅地ね!

この付近は「団子岩」って呼ばれていて、杉家の建物は、元は萩藩士八谷聴雨の山荘で「樹々亭」だったらしいの



整備に合わせて山県有朋が「吉田松陰先生誕生之地」石碑の題字を揮毫しているんだけど、この整備が完了する前に亡くなってしまったので、これが絶筆になったそうよ



ここで松陰先生は、ご両親や兄弟とともに畑仕事をしながら、その合間にはお父さまから漢籍の素読などを受けたらしいのよほのぼの



先生自身の書き残した書の中にも「樹々亭」だとか「山屋敷」、「山宅」などの表現が見られるみたい



天保元年に杉百合之助の次男としてここに生まれてから19歳までを過ごしているわけだから、思い出もいっぱいあるでしょうね



松陰先生産湯の井戸



嘉永6年に杉家が転居した後のここは、いつの間にか建物などは失われ、荒れ果てていたみたい

ここは大正になってから、当時の間取りを示す旧宅の敷石も含めて、後に住んでいた人の記憶によって復元したものなんですって



ここもまた、萩城下が一望できて気持ちいい(*'∀`*)vおんぷ



旧宅の間取りを実際に見ると凄く狭くてね



旧宅の間取りは玄関(3畳)、表座敷(6畳)、居間(6畳)、隠居部屋(3畳)、納戸(3畳)、台所、別棟の納屋と厩


さて、松陰先生のお墓へ行ってみようかな


ぺこぺこり