玉木文之進旧宅/山口県萩市椿東 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

1月1日散策/玉木文之進旧宅


スゴいねぇ(*'∀`*)vおんぷあんなとこにトリの巣!!

って言ってたら、違うみたい´艸`
あれはヤドリギっていう寄生専門の植物なんですってあっっ



そうなんだぁ~お~
はじめて見たわ

鳶もいっぱい飛んでるし、見たことのないお花も咲いてるし



面白い煙突ねー

これは上り窯っていって、ここって萩市だからきっと萩焼を作っているのかしら



窯が上った所にあるから「上り窯」っていうのかしらね?
なかなかこうした焼き物の窯って見ることが出来ないよね

わたしは見るのは人生初キラキラキラキラキラキラ



松陰神社の周りを少し歩いてるだけであちこちに石碑があるんだけど、片山東熊…?

萩藩士片山文左の四男で、12歳の幼さで奇兵隊に入隊した建築家らしいわ

宮内省に入って多くの宮殿・離宮などを設計していたんですって

作品の中でわたしが知ってるのは東京国立博物館かなぁ
へぇぇ

迎賓館なんかは、明治以降の建築としては初めての国宝に指定されたんじゃなかったっけ?違ったかな



住宅地の一角に現れた木造茅葺の平屋建て

茅葺き屋根が突然現れて、萩市ってほんと、いいとこだねぇ(*'∀`*)vハートなんて言ってたら



玉木文之進???

あああっっあっっあっっ
松下村塾の創立者であり、松陰先生の叔父さん



ここには「松下村塾発祥之所」と刻まれた石碑もあったわ

ここで天保13年に近隣の子ども達を集めて松下村塾を開き、松陰先生もここで学んだそうよほのぼの

のちに親類の久保五郎左衛門がこの塾の名を継ぎ、松陰先生が松下村塾を主宰することになって

松陰先生が亡くなって明治になると再び叔父さんが始めてるのよね

松下村塾って松陰先生が始めた塾かと思っていたんだけど、叔父さんが創始者だったのね!
 


この地の名が松本で松下(もと)と書き換えて松下村塾って名付けたらしいわ

建物は木造茅葺の平屋建て41.76㎡
8畳のお座敷と4畳の畳部屋
それから3畳半の玄関に4畳半の板間と土屋の台所

おトイレやお風呂はやっぱり外にあるんだよね~



中もゆっくり見学が出来るんだけど、床の間には叔父さんの肖像画がキラキラ

こ、こわそう…がびょーん

松陰先生にスパルタで教育したそうよ

_<)

叔父さん曰わく、 学問とは公の仕事であってその仕事中に痒いからといって私事を持ち込むのは言語道断ってわけらしいわムンクの叫び

叔父さんは藩校明倫館の塾頭にもなってたのね
松陰先生が10歳で藩校明倫館の助教授となったときの後見人もこの叔父さんらしいわ



でもね、明治9年、門下生が多数参加した萩の乱を阻止できず

「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」

と、先祖のお墓がある山へ登り自刃

享年67歳



この日叔父は私をよび、自分は申し訳ないから先祖の墓前で切腹する、ついては介錯をたのむ、と申されました

私もかねて叔父の気性を知っていますから、おとめもせず、お約束のとおり午後の三時ごろ山の上の先祖のお墓へ参りました

私はちょうど四十でありました

わらじをはき、すそを端折って後にまわり介錯をしました
そのときは気が張っておりましたから涙も出ませんでした

介錯をしたあとは、夢のようでありました

/杉千代(松陰先生の妹、杉文の姉)



叔父さんの旧宅からのびている道の先には松陰先生の生地があるみたい

わぁぁヾ(o´∀`o)ノ



きっとこの道は、松陰先生が何かしでかした時に、叔父さんったら「こらーーー」って怒鳴りに走ったかもしれない道よね

って想像しながら´艸`うふふ
行ってみたよ

そうそう、山口県って何故かガードレールの色が黄色なんだけど

萩市はコゲ茶色なんだよね

街灯から信号機もコゲ茶色( ´艸`)


ぺこぺこり