4年生引退ブログ 安延 壮一郎「追求」 | 立教大学体育会サッカー部日記

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2013.3~

☆4年生引退ブログ☆

 

 

 

 No.25 安延 壮一郎

 

 

「 追求 

 

 

 






《プロフィール》

 

 


学部学科: 理学部数学科

出身校(チーム): 大森FC

ポジション: MF

背番号: 6

 

 

 

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 『 追求 』


こんにちは。

毎日更新される同期の卒業ブログを読んでいると、皆サッカーへの強い想いとか4年間苦楽を共にしてきた同期や組織への愛を綴っていて、普段は見えない心の底が見え、グッとくるものがありました。

しかし私は恥ずかしながらみんなとは違い入部当初は、プロを目指すとか関東リーグで活躍するという熱い想いを持って入部を決めたわけではありません。

そんな珍しいタイプの男が大学4年間週6日でサッカーをした中で何を感じ、考えた結果引退間近の今、何を想うのか綴りたいと思います。


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本題


私は大学生になり体育会サッカー部に所属するという道を選択をした。

そんな私に対して、サークルに所属している周りの友人達から

「また部活?そんなんいいよ、遊ぼ!」

とよく言われた。心の中では即答で「あり」と答える。しかし、この4年間、大学から家と逆方面の埼玉に足を運び続けた。

なぜか。

それは、「理想の自分」に近づくために成長や結果を必死に追い求めていたから。

でも、大学に入学するまではここまで貪欲ではなかったはず。ここまで貪欲に理想を追い求めるのには、大学4年間を過ごし、今から綴る2つのきっかけにより大きな心の変化があったからである。

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1つ目のきっかけ  〜憧れ〜

私は、中学1年生で同じクラス、同じサッカー部に所属する1人の少年と出会う。その少年とは後に、家は近くなかったものの授業、部活、休み時間など多くの苦楽の時間を共に過ごし"親友"となった。

その少年と私は大学は違うものの今年で10年目の付き合いになる。一見普通の友人関係に思えるかもしれない。

しかし、同じ中学・高校に通った彼に対して当時仲の良さとは反面複雑な気持ちを抱えていた。

なぜなら、彼は、中学・高校・大学と各々で全国大会に出場しており、常に輝いている彼の姿を近くで見続けるうちに、親友でありながら"憧れ"を抱いてしまっていたからである。

憧れを抱くことは悪いことではないと思う。でも、憧れてしまうと彼に追いつき追い越すことは到底できないと薄々気づいてはいた。

しかし、憧れていた。

それは彼と比較してサッカーにかける想いが足りず、自信がなかったからだと思う。実際に、大学1年生の頃は学部の友達や高校の友達に「なんで部活に入ったの?」と聞かれても答えに詰まった。両親にお金を払ってもらい続けさせてもらっているのに答えに詰まった。私がこんな心情の中でも彼は、大学1年生ながら試合に出場し全国2位に輝く。

かけ離れている。。

そう思わずにはいられなかった。

そんな私に大学2年生のシーズン、転機が訪れる。それはあるコーチとの出会いだ。そのコーチは一見鬼コーチ。だが、誰よりもサッカーに熱く結果を追い求めている人だった。そのコーチの下、どのカテゴリーよりも厳しい練習に必死に喰らいついた。思い返せば、全体応援で遅刻した時にはひどく叱られ、信頼を取り戻すため2年生ながら球磨きを8ヶ月間やり続けたこともあった。そんなコーチの下で1年間サッカーをしているうちに4年生の引退がかかっていない試合でも負けたら涙が止まらないほど、サッカーに打ち込んでいた。(もちろん、先輩が引退した試合では先輩に抱きついて泣きじゃくった)

あの激動の1年間があったからこそ、「もっとやれる」という自信がついた。

その結果、親友である彼に対して"憧れ"を抱くのではなく、"目標"とすることで、目を背けていた彼が積み上げてきた努力を自分自身が歩んでいく覚悟ができた。すると今何を考えるべきなのか、何をするべきなのかが徐々に見えてくるようになってきた。

結果的には、彼と交わした「同じピッチ(関東リーグ)で戦おう」という約束は叶わなかった。しかし、彼を目標に今までサッカーを続けた事に全く後悔はない。

私は、大学でサッカーを辞める。しかし、彼との繋がりが切れるわけではないし、プロを目指している彼を心の底から応援している。また、ここまでサッカーを続けるきっかけをくれた事にも感謝している。

以上のように彼の存在が、大学4年間サッカーに打ち込む上で、1つ目の大きな原動力となった。



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2つ目のきっかけ  〜後悔〜


2年生が終わる直前の1月下旬、父親が突然目の前で意識を失った。

それは、"クモ膜下出血 grade 5"という病気が原因だった。これは、クモ膜下出血という病気の中でも最も重症度が高いものである。

そのため、駆けつけた救急隊員の方からは、

「覚悟しておいてください。」

とだけ伝えられ、父親は搬送された。

父親の死を目の前にした時、大学生まで続けたサッカーにおいて、何か残すことが出来たのか。サッカー選手になると告げた少年時代の志はどこに行ったのか。偉大な父親にとって自分は誇りなのか。そう考えると、キリがないほど、"後悔"を超えた"恐怖"が一気に襲ってきた。これほどまでに、自分の人生を後悔したことはない。

その罪悪感もあり、父親の入院中は部活や勉強、バイトのわずかな時間の合間を縫って病院に通った。医師からは、半分の確率で命を落とし、またその半分の確率で植物状態といった重度の障害が残ると言われており、前までの生活が出来るようになるのは難しいと言われていた。

だが、奇跡が起きた。

父親が厳しい闘病の末、奇跡的に重い障害も残らず家に帰ることができたのだ。それまでは、金銭的な問題を考慮し部活を辞めようとしていた私に対して、両親から「納得いくまでサッカーを頑張りなさい」という声をかけられた。

こんなに恵まれていることなどない。

この出来事があったからこそ、今しかない限られた時間の中で、サッカーに対してより真摯に取り組むべきだと強く思った。また、1度は諦めた親友との約束を実現するため、自身の成長や結果を貪欲に追い求めることは私の責務であると改めて気付かされた。


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このように体育会生という稀有な立場で過ごした大学生活では、2つのきっかけがあったからこそ、大きく心の変化を伴った4年間だった。

冒頭でも言ったように、今なら自身の成長や結果を出すといった「理想の自分」を追い求め努力し続けたことが体育会サッカー部に所属した意味であると自信を持って言える。

もうここまで何かに本気で打ち込むということは人生の中でもそうはないだろう。だからこそ、最後は結果を残したいという思いで、ボロボロの身体に鞭を打ってきた。

実際、2年生の時は、サタデーリーグ準決勝敗退。3年生の時は、アイリーグ準決勝で勝利を掴むものの試合中に大怪我をし、無念の離脱。チームとしても決勝敗退。というようにあと一歩のところでまだ何も成し遂げていないのだ。

でも、私自身能力でいったら平凡な選手だと自覚している。小学生までは、自分は天才だと思っていたが、今となっては体育会サッカー部という組織の中で私が1番といえる特徴があるわけでもない。所属するBチームの、J下部や強豪校出身の選手達のプレーを俯瞰して見ると改めて自分は平凡であるということを思い知らされる。でも、それが試合に出て結果を出すことを諦める理由にはならないし言い訳にもならない。

だからこそ優勝を掴み取るため、この1年間は今まで以上にチームのため、怪我だらけの身体をケアしてくれるトレーナーを含め支えてくれた人達のために結果を追い求め、身を削り、声を枯らし続けた。


そして、10月6日(水)vs東京学芸大学戦、残り2試合を残して勝てば優勝という勝負の日。4年間掴むことが出来ていなかったタイトルがまた目の前にある。相手は、立教と同じく無敗という成績のチーム。勝利のため、チームのため、そして何より自分のために、絶対に勝つ。そう決めて試合に臨んだ。

そしてついに、優勝を掴み取った。

90分の戦いを終え笛が吹かれた時、仲間の声を聞き身体が震えた。引退間近に、またサッカーにハマった。言葉では表すことができないあの感覚、頂の立った瞬間は、絶対に忘れない。16年間のサッカー人生では、きついことも多かったがこの瞬間のためだったと思えるほど、最高の景色だった。本当にサッカーを続けてきて良かった。

幸いにもまだ、あと1試合残っている。人生最後の試合も勝利を手にする瞬間まで、身を削り、声を枯らす。そして、言うのだ。


「悔いはない、やりきった」と。


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最後に、お世話になった方々へ

同期へ
本当に4年間ありがとう!
入部する前は、同じ高校のヒロミ(内向的な性格)すら話したことなくてどうなるか不安だったけど、面白い人達ばっかりでめちゃくちゃ楽しい大学生活でした。いつの日かの学年会楽しみにしてます!

直井へ
10年間お世話になりました。どんな楽しい時もきつい時も一緒にいて乗り越えてきた気がします。貴方のとの思い出が大学生活を彩ったと言っても過言じゃありません。本当にありがとうございました。以上、建前でした。

尊敬する先輩方へ
もう、私は、今月で引退します。私は先輩方のように後輩から、尊敬され、目標になるような先輩になれたのでしょうか。多分なれていないと思います笑。それほど、魅力的な先輩達だったのだと今でも強く思っています。これからも、何卒可愛がってやってください!大好きです。

両親へは、直接感謝の言葉を伝えたいと思います。

以上、引退ブログでした。最後まで読んでいただきありがとうございました!



 

 

《お気に入りのプレー写真》

 

 

 


   *撮影時のみマスクを外しています


 

 

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山田 創太(MF/立教新座高校)