4年生引退企画
〜4年生の想い〜
本日の担当は熱くやかましく真面目な男、高野瑛至です。
普段はおちゃらけた様子で周りを和ませる彼ですが、関東学連や副務、Dチームのキャプテンを務めチームを引っ張ってきました。
面白いことを言っている彼ですが、実はいつも一生懸命考えています。
普段語られることのない想いとは…
Vol.37 高野 瑛至
『 二流の4年間 』
平素より大変お世話になっております。
立教大学体育会サッカー部副務の高野瑛至です。
中学校の3年間を野球に捧げていたことから、一部の部員からは未だに野球部呼ばわりされております。
引退が迫り
「まんゆーって言うな。…ゆないてっど。」
が言えなくなると思うと寂しいです。
私が引退したら森田(3年森田拓実/帝京大学可見)がこの言葉を継いでくれるということなので、未来永劫続いて欲しいと思っています。
あとじゅりあん(2年宮倉樹里杏/川越東)がまんゆーファンやってくれるのでそれも安心してます。
又、私の同期であり大学6年生でもある木村雄真(4年/学習院高等科)のモノマネを始めたのは私です。
これは自慢です。
今では8個も年下の後輩に真似されるようになった木村先輩の心境はどんなものなのでしょうか。
全く気になりません。
引退ブログも残りわずかになりました。
同期には面白い文書く人もつまんない文書く人もいましたが、まあみんなそれぞれよく書いたんじゃないですかね。
最近、私は人間関係って面白いなあって思います。
皆さん知っていますか?
私は鯨井広夢(4年/三菱養和SCY)に、大学入学早々知り合った一発目の会話で嫌われ、しばらく彼のいじめの対象となっていた時期があります。
鯨井君は根っからのいじめっ子なので気をつけてください。
そんな彼とも今はサッカー部での思い出を作りたいという想いを共有しあい、週1で志木駅の牛力屋という焼肉屋さんに通っています。
今年一番仲良くなったのは島村政範(4年/聖望学園)。
皆さん知っていますよね。
根っからのクズです。
でも私はこいつが好きなんです。
理由は簡単。サッカー部で1番おもろいし、いいやつだから。
こいつがいてくれたら1年間頑張れたと言っても過言じゃないかもしれないくらい。
サッカー部でまさに感謝してるのはおれくらいだとは思うけど。笑
それから最近グンっと仲良くなったのが吉田直矢(4年/JFAアカデミー)。
そうです、左利きのあの人です。
こいつは根っからのアホ。
でもアホすぎて、メンタル最強。
怖いもの知らず。
一緒に遊ぶと楽しいです。。。
他己紹介をしたい訳ではなくて、私が伝えたいのはこの3人と今ほど仲良くなったのは実は最近なんだよということです。
入学当初仲良かった同期とももちろん仲良くしてますが、時が経つにつれて一番仲のいい友達が変わっていく事実に気づいたんです。
人は必要な時に、必要な人に出会う。
なんて誰かが言ってましたが、案外ほんとなのかもしれません。
今の私にはこの3人が必要なんでしょう。
。。。。。。
まあ前置きはこの辺にして。
そろそろ本題に入ります。
(奥谷(4年奥谷康平/都立駒場)が、え?なんでおれのこと紹介しないの?って思ってるのが目に浮かびます。お前は紹介しない。あえてね。)
もう4年も経ったんだな、と思います。
でもよく考えたら一年の時の記憶はほとんどないし、長かったなと思います。
でも4年も経っちゃって、早いなと思います。
正直疑問なんです。
残酷ですが、サッカー部でずーっと一番下のカテゴリーだった自分に、サッカーで素敵な思い出はないし、みんなとの日々がどうのこうのなんてどこにいても4年経ったら言ってると思います。
そんな私が、4年間を振り返っていま思うことをここ綴りたいと思います。
では、はじめます。
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「二流の4年間」
ブログなら、どれだけでも美しく書ける。
ほんとは練習ちゃんとやってなかったやつだって、ブログでなら4年間苦しいことの方が多かったけど自分なりに一生懸命頑張ったって言える。
組織のことなんて考えたことないやつだって、ピッチ内外で価値の向上に努めたって言うことはできる。
引退ブログは人に見せるものだから、人の目を気にしてよく見せているだけならまだ救いがある。
一番怖いのは、本当に心の中でそう思ってるやつだ。
何もしてないのに何かしたと本気で思ってるやつ。
頑張ってないのに頑張ったと思い込んでるやつ。最近よく自分が良ければそれでいいみたいな本も増えてるし、自己完結型の啓発本もよく目にする。
でも本当にそうだろうか。やった気になることほど虚しいことはないんじゃないだろうか。他人が評価してくれてなんぼなんじゃないのか。
どうなんだろう。
比べる必要はないかもしれないが、同期や後輩のみんなとは違い、私にとってサッカーというのはそんなに大切なものではない。
サッカーだけをやってきた人生じゃなくて、ラグビーを6年間、野球を3年間、水泳を11年間、ピアノを4年間、お囃子を8年間習っていた。
サッカー=人生
では全然ない。
もちろん、他のスポーツをやったとはいえ13年間サッカーをした。高校の時も情熱を持って練習したし、大学でも体ぶつけてスピード勝負してフィジカルを前面に出して戦った。
サッカーは大好きだ。
だからこそ不甲斐なさはある。自分の運動神経には自信があるし、まだまだサッカー上手くなってる自信があるから。(2年くらいまではおれならAチームいけると本気で思ってた笑)
あと2年大学があればなんて思ったりもするけど、ここでタイムオーバー。陽の目を見ることなく私のサッカーは終わりを迎えてしまう。
2年前に始まったこの引退ブログになにを書こうかと私は2年前から考え始めていた。その時は4年間を振り返って黄昏て、綺麗事を並べられるんだろうなと思っていた。
「仲間」とか「夢」とか、「最高の4年間」とか。
でも今、書けることは何もないことに気がついた。
理由は簡単で、自分に正直に、引退ブログなんて大層なものに載せられるような4年間を送っていないから。
1年、サッカー下手すぎて試合に出られず。
2年、サッカー下手すぎて試合に出られず。
3年、サッカー下手すぎて試合に出られず。
4年、サッカー下手すぎて試合に出られず。
サッカーに関しては本当に歯が立たなかった。
リフティングもマックス102回しかできひんし、ボール回し8タメとかなるし、守備で走り回ってたら保坂に犬みたいに追うなって言われてまうし。
40人いる4年生の選手の中で、公式戦・準公式戦に出た試合が一番少ないんじゃないだろうか。
初めて出たのは3年生になってからだ。
うん、やっぱりこんなにうまくいってないものが終わったところでそこまでの辛さはない。
「おれはこの4年間で何ができたんだろうか。」
一つ。
4年間、サッカー部にプレーヤーとして所属することができた。
二つ。
3年生の時、関東大学サッカー連盟(学連)の学生幹事としてリーグ運営に携わった。経理部に所属して連盟のお金の管理をし、毎週行われる関東リーグでは朝から晩まで受付や記録等の事務を行った。
三つ。
4年生になってから、Dチームのカテゴリーキャプテンとして40人以上の部員をまとめた。
四つ。
幹部としても部の運営に尽力し、月に一度の監査会議やOBの方々との親睦会、卒業アルバムの作成に携わった。
ただプレーヤーとして4年間を過ごした選手よりは、やってるように見える。
プレー面で部に貢献できないから、プレー以外の面でこれくらいしないとサッカー部に所属する権利はないと個人的には思うが、サッカーが一番下手な割にはそれ相応の立場をもらって、そこそこの活躍をできたと言えるのかもしれない。
でも、結局自分のやってきたことに自信はない。
例えば栗山聖。(主将/初芝橋本)
160人が所属する体育会サッカー部の主将として部を束ねた。うん、すごい。
保坂太雅 (主務・学生コーチ/鹿島学園)
副務、主務、学生コーチを経験し、今季はチームの戦績、チーム運営に学生一の責任者として貢献。うん、すごい。
佐藤大雅 (副将/神奈川県立光陵)
関東リーグ昇格決定戦でゴール。41年ぶりの関東リーグに導いた。今年の関東リーグでもチーム内得点王。うん、すごい。
組織のトップに立つ人間、誰かを引っ張る人間、人に指示をする人間。
常に人が見てるという意識。感覚。こんなにも気が抜けないものなのか、とこの1年間で感じた。
上にあげた3人以外にも同期で部に貢献したやつはたくさんいる。
そうゆう人たちに比べたら自分はほんと大したことない。(人と比べる必要はないって考えの人にはピンとこないと思うけど)
おれは自分が良ければそれでいいって考えはしたくないし、上にあげた人たちみたいな高みを目指したかった。
だから満足してない。
自分の4年間に。
タイトル通り、「二流」の4年間だった。
おれは来年から、社会人として日本の役に立つ人間になる。
いつの日か結婚をして子供を育てるときがくるかもしれない。
両親が不自由な体になったら介護をしなければならない。
これからは誰かを守っていく人間にならなければならない。
そんな時に自分が良ければそれでいいみたいな、責任逃れの考えはしない。
そのためにも今、私の大学生活を「二流」と表現したい。
今年、リーダーとして多くの経験をして、しんどいことも多かった。
ある日、父が言っていた。
「リーダーは楽しいよ。孤独だけどね。」
まだまだ責任から逃れようとしている自分がいる。
甘えている自分がいる。
その弱さを受け止めて、これまでより強く逞しく生きていく。
「一流」の人間になる。
自分に期待してる。
最後に
ひじり、保坂へ
おれを副務にしてくれてありがとう。
立候補した時はお前かよって思われてたかもしれない。
でもあの時、勇気出して言ってみて本当に良かった。
1年間、2人のレベルの高い、強い想いとは裏腹に残留争いをしなければならなかったり、なかなかうまくいかないことの方が多かった。
それでも2人は常に気を張って頑張ってくれた。
チームを引っ張ってくれてありがとう。
そして最後まで迷惑をかけてしまってごめん。
2人への尊敬はこれからも持ち続ける。
Dチームの後輩へ。
1年間、何度もみっともない姿を見せてしまった。1年生より精神年齢が幼くて、落ち着きがなかった。
怪我ばかりでなかなかサッカーが出来ない時期もあった。情けないと思われたこともあったと思う。
それでも、この1年間は一生懸命頑張ったと胸を張りたい。みんなの中にどんなシーンでもいいから、おれの姿が残っていたらそれだけで嬉しい。
みんなが立教大学体育会サッカー部を引退するときに、心から悲しむことができる様になるまで頑張り続けてください。
応援しています。
4年間ありがとうございました。
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