4年生引退企画
〜4年生の想い〜
本日の担当は麦屋菜美です。
マネージャーと学連という二足の草鞋を履きながらも、選手のことを第一に考えて業務に取り組み、皆から厚い信頼を得る菜美さん。彼女の内面から滲み出る温かい笑顔は、グラウンドに癒しを届けてくれます。
そんな彼女の4年間想いとは…
Vol.35 麦屋 菜美
『 私の4年間 』
(小坂 茉由/TR/吉祥女子)
お疲れ様です。
唯一の同性の同期であり最高の理解者である小坂茉由からご紹介に預かりました、観光学部観光学科の麦屋菜美です。マネージャー、学連を務めています。
周りからはよくしゃべり、笑い、よく食べる。泣き虫、そしておせっかいと言われますが、なんでもないことでも笑って話していると楽しくなる気がするのでそんな時間が好きです。そしてそうすると本当に楽しくなって自分の話もすぐ人に話してしまいます。
ご飯に行けば相当話したくないこと以外は何でも話します。逆に秘密はちゃんと守るので、みなさんお気軽に相談してください。
ちなみに紹介してくれた小坂は私とは真逆で、自分の話はなかなか口を割らないくせに私の話はすぐに話してしまいます。
自分以外の誰かが自分の話を広めることは好きではないので、鯨井(4年/三菱養和SCY)のようだと思っていた時期もありました。
茉由に秘密を話したい人、くれぐれも気を付けてください。
茉由の話でブログを書くこともできないことはありませんが、私の最後の更新が茉由で終わってしまうのは嫌なので、ここで終わりにしておきます。
日頃よりマネージャー日記をご愛読いただいている皆様、今年度も引退ブログを楽しみに読んでいただいている皆様、いつも本当にありがとうございます。
同期の引退ブログを更新しながら、あっという間に自分の番がきてしまいました。
最近は学連で自分が担当させてもらっている大会もいよいよ開催が差し迫り、グラウンドから学連の事務所に向かうことが多いのですが、容量が悪く引き際を掴めない私はいつも自宅最寄駅までは帰れず、大宮駅から自宅まで歩く日々が続いています。今日はゆっくりブログを書き終えるために終電を狙ったのですが遅延によりあっけなく見捨てられてしまい、とぼとぼ歩きながら書いています。
例年先輩MGも言っていた通り、数え切れないほど更新してきたこのブログに自分の話を書くのは本当に恥ずかしくて気が進みませんが、最後の更新として精一杯気持ちを込めて書かせていただきます。
私には4年間、同期にも誰にも私のブログを読まれたくないくらい、書きたいけど書きたくないなと思う複雑なことがたくさんありました。読まれたくないけどもう引退だからいいかなあとも思っていたり。
何を書こうか悩むにあたり、2,3年生とは友達みたいなのに、1年生からは怖がられているとの噂を耳にしたことを思い出しました。自分の容姿や性格上、人から怖いと思われることがあるとは思っていなかったのでとても驚きましたが、でもそれ程この1年、グラウンドから離れた時間が長かったんだなと痛感しました。
そうしたところも含め、この4年間を振り返って私が思うありのままを書き残そうと思います。
一度何も考えずに打ち込んで読み返すと途中で同じ文章が2回出てきたほど、引くほど長文になってしまいました。
長文が苦手な方、面白さや感動を求めている方はこの先ご遠慮いただけますと幸いです。
この後更新される同期たちを思えば 保坂太雅主務/学生コーチ(鹿島学園)のようなまとまりのあるであろう文章は書けず、話が長いと有名な同じ学部の相棒、栗山聖主将(GK/初芝橋本)のように長く、まとまりさえも持ち合わせていない文章ですが、お手隙の際に読んでいただけると嬉しく思います。
この本文の結論から言うと、私にとってサッカー部でのMG、学連の活動は学生生活の中心であり、サッカー部の部員は私が続けてくるための原動力でした。
その中でマネージャー、学連としていろいろな経験をさせていただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
関わってきた全ての皆さん、本当にありがとうございました。
1年生の新歓期間、私は観光学部生を4年間謳歌することだけを考えていました。
学部と英語の勉強に励み、講義などを通して出てくる観光地や行ってみたかったところ・知らないところに行ってみたい。入りたいゼミに入って、自分が将来やりたい職業を見つけたい。
やりたいことを自由にできる最後の4年間だから、後悔せずに、制限されずに全部やりたいと思っていました。
そんな風に思っていたのにサッカー部をみにいったのは、高校の時憧れていたから。ちょっと見てみたいなあ、たぶん入らないけど。大学のサッカー部はグラウンドとキャンパスも離れている(というか遠すぎる)し、自転車も買わないといけないし、週5,6日の活動なら私のやりたいこととは両立できない。だから1回だけこれを機会に観に行って、私には合わないということを再確認しよう。そんな気持ちでした。
しかし存外単純だった私は、実際にサッカーをしている先輩方をはじめ、当時既に練習に加わっている同期もたくさんいる様子を見て、入部したい気持ちが抑えられなくなってしまいました。
小さい頃からずっとサッカーを続けてきた人たちが、そのほとんどが社会に出るかもしれない前の最後の4年間、自分が1番やりたいことをやるべき4年間で、本気でサッカーすることを選択した。
部員にとってはなんてことのないきっかけに聞こえると思いますが、これまでずっと自分の生活の中心として何かを続けてきたという経験がなかった私にとっては本当に印象的でした。私もここに加わりたい。きっといろんな気持ちで入部しているだろう一人一人にとって、最高の環境を作りたい。サッカー人生最後になる人が多いであろうこの時間を、少しでも楽しんで、そして本気で集中できる時間にしてほしい。
知り合いどころか元々サッカーに縁もなかったくせに、そんなおせっかい心に火がついてしまいました。悩んだ末1度はきちんと断ったものの、諦めきれず気付いたら入部してしまった次第です。
グラウンドの仕事がメインだった1年生のはじめの頃は、事務の仕事に携わることも少なく、先輩の指示を仰ぎながら必死についていくことで精一杯でした。
夏頃から広報やリーグ運営の仕事を教わりながらも、常に隣には先輩がついてくれるという安心感がありました。
そうやって無意識に指示を待ってしまっていたような受け身な学年から2年生になると、当時入部してくれた後輩を見ながら一人でのグラウンドでの仕事、ビデオの管理や学連(当時はまだ東京都リーグでしたが)の仕事を担当するようになりました。
振り返ってみると、この時期が一番大変で、自分を成長させてくれたなと感じています。
ビデオや学連の仕事は連絡共有、気遣いと先回り、そして急な連絡やトラブルへの対応力など、全てに対してあらゆる方面へ常にアンテナをはりつづけることが求められます。
なかでも2年生で務めた学連では、立教の担当者として所属していた東京都リーグの会議に出席し、連盟の仕事をする人とかかわりを持ちました。
ここからは学連に関して、長くなりますのでお時間と少しの興味がある方のみ読んで下さい。
東京都での学連では、立教大学のマネージャーとして、各大会を運営する連盟と部の架け橋となる仕事をしていました。この活動を通して他の大学に所属する大切な同志にも出会え、同じサッカー部ではないけど私にとっては”同期”と思える人がいる居場所ができました。
しかし一方で、仕事は本当にただただハードでした。常に何かしら誰かと確認・連絡待ちをしながら要所へ共有するために連絡をとり、大会に勝ち進めば勝ち進むほど仕事はどんと増えます。
チームが勝ち進むたびに、先輩方も経験したことがない仕事、自分にしかできない・気がつくことのない部分のある仕事だというプレッシャーをそれまで経験したことがない程に感じながら、新しい舞台で選手がどんどん活躍できるように、部活のこと以外見えないくらい不器用なりにも必死に気を張ってやりきりました。
特に2年生の頃は、飛田コーチとは毎日常に何かしらの連絡をとり、日中はグラウンドで何かしらの確認・相談をしていたような気がします。私は忙しいと顔に出やすいので、飛田コーチからは時には冗談も交えつつ、たくさん励ましていただきました。(お世話になりました。)
ここでの経験はとんでもないくらい私の視野・考えの幅を広げてくれたなと思います。
チームのスタッフとしての仕事に対する考え方もそうですが、私が気が付いたことは立教大学サッカー部の周りからの評価。
東京都リーグの中でも立教大学は会場を貸し出してリーグ戦を運営することも多く、3試合通しで1部~4部の試合まで行うこともありました。涼果さん(2019年卒)、烈さん(2018年卒)と頼れる先輩からしっかりその仕事を引き継がせてもらったこともあり、そこでの安定した運営や、部としての仕事の確立も他の部から評価してもらえることが多く、広栄なことに私はそうした声を直接頂く機会を多く持っていました。
「安心できるチーム」「応援したいチーム」、そう言ってもらえる事が嬉しくて、それを聞くたびに学連の中での立教大学の立ち位置を守っていかなければいけないと感じました。
そして、私が学連として臨む最後の大会を予定していた関東大会。都学連からもたくさんのサポートをもらいながら、我らがヒーローである佐藤大雅(4年/副将/神奈川県立光陵)のゴールで関東昇格を決めた あの忘れられない一戦を終えた後、これからさらに強くなるチームのために、そしてチームが関東リーグに居続けるために自分ができると感じたことは、関東学連に入ることでした。
東京都リーグでの経験を機に聞こえた立教大学の印象を崩したくないという想い。
でも関東リーグに参入してしまえば、実際のところきっと、ほかの大学のように圧倒的に目立った選手も多くはなければ、一般の方からは立教大学ってサッカー強いの?と言われてしまうようなチームです。
41年ぶりにリーグに参入したところで、連盟からどんな反応がくるか なんとなくは予想していました。
それでもちゃんとしているいいチームだって受け入れてもらいたい。でもそういう見方をしている人って少ないんじゃないか、と思ってしまった私は、自分の手で何とかしたいと思ってしまいました。
当時関東学連という役職は選手から2名選出することが決まっていましたが、いろんな人の大反対を受けながら、何度も何度も話し合い、少し無理を言ってやらせていただくことに。
案の定リーグ参入し、開幕7連勝という快挙を成し遂げている最中も、学連での立教の評判は最悪でした。
リーグが大きく変わったことでそのものの仕組みも、リーグ運営の質の高さも全てが変わります。連勝は嬉しい一方で、組織としての未熟さを痛感する日々。そしてそんなチームをよく思ってなかった人たちはたくさんいて、そんな中毎週幹事会に行くのは本当に怖くて、嫌で仕方がなくてすごく辛かったのを覚えています。
それでもそんな状況をなんとかするために自分が学連をやらせてもらったことを忘れず、少しずつ連盟のこと・人を知っていくなかで、少しずつ、連盟での信頼も得ていくことを目標にしてこれまでやってきました。
私が関東学連を担った理由の一つはこうしたものです。ほかにも単純に自分の中で連盟の学生幹事として持っている仕事に対して、運営に対して楽しさややりがいを感じているという部分も大きくありますが、ここでは割愛します。
そして、関東リーグ参入2年目。
4年生になってチーフマネージャーとなるとき、私は決断しなければならないことがありました。
チーフマネージャーとして、関東学連の仕事から手を引くことです。
今でもこの決断をできなかった自分をマネージャーとして本当に情けなく思っています。
最後の1年、関東リーグという環境のなかででマネージャーとして全力を尽くす。後輩に持っている仕事を教える。
そのために私は関東学連を続けるべきではありませんでした。
それでも私がどうしてもやめられなかったのは、まだまだ関東学連と立教の関わり方で改善すべき点が沢山見えていたのが1つと、もう1つは「繋がり」を見ていたいと思ったからです。
大学サッカーって広くて狭いんです。サッカー部に入って、サッカーを通じたたくさんの繋がりを見てきました。
地元の友達が、サッカー部の同期とクラブユース時代の戦友だったり、実際に練習試合をしたり。学連でもまた然りで、関東学連を一緒にやっている人が、地元の友達と元チームメイトだったり。
学連の活動で仙台で運営をしていたら、補助学生がサッカー部の後輩と同じ出身だったり。さらに大阪の大会を帯同していたときは、自分が担当していた大学のスタッフの方が前のチームにいたときに都リーグと関わりがあり、立教の都リーグ時代にホーム運営していた私のことを覚えていて、話しかけてくださったこともありました。
立教が関東リーグ昇格を決めた大会は、都学連を通じて繋がることのできたたくさんの人が広報活動に力をいれてくれたり、応援に駆け付けてくれました。決勝点をとった同期の高校のサッカー部員が全員揃って観に来てもいました。
当時の会場となった保土ヶ谷では後に関東リーグでも試合をしましたが、あんなにお客さんが入ったのは未だに観たことがありません。
そんなたくさんの人が観に来てくれた中で関東リーグに昇格が決まったあの試合は私の中でもやっぱり嬉しくて、感動的で、衝撃で、1番印象に残る大きな試合です。彼らは立教じゃないけれど、そんな瞬間も一緒に分かち合ってくれました。
だらだらと挙げてしまいましたが、サッカーに全力で向き合うことを通じて、全国で繋がりが生まれています。サッカー、スポーツの世界ってすごい。実際に自分がその世界の中にいて、そんなことに日々感動をもらいながら2つの組織に手を出していたら、どちらも手放すことが惜しくなってしまったんです。
周りから見たらごく自然な事なのかもしれません。それでもこうした気付きは私にとっては大きな事で、もっと見てみたい・知りたいという思いが強くなりました。
そしてそれは、サッカー部に還元できるものでもあると思ったんです。
いつどこで、誰と誰が繋がるかわからない。私たちマネージャーや学連は学生で、部員ですが、選手とは違って、あくまでもスタッフです。
チームの管理をする側として、私たちの言動がチームの雰囲気や印象、組織としての質にも直結します。少しでも失礼な態度、雑なマネネジメントをとればそういうチームになるし、でもどんな時でもアンテナをはって周りを見たり、挨拶や返事、案内をはっきり徹底すること。それだけでもプラスな印象・関係性に繋げる事ができると思います。
こうしたことに気が付けて、実際に行動に移して伝えていける人はいるのかと考えました。
当然、私以外にもたくさんいるかもしれません。でも、気が付ける機会を2年間ももらえていた自分が、何か行動に移してできることをしなければいけないと思いました。
だから私はもちろんマネージャーも、学連もやめるという決断をとることができず、最後の1年、自分がこれまでやらせてもらえた経験を踏まえて感じたこと、伝えていくべきだと思ったことを伝えるために、両方を続けさせてもらうことにしました。
学連では、4人の部員と一緒に頑張ってきました。
1年間一緒に学連をしてたくさん喧嘩した高野瑛至(4年/副務/MF/立教池袋)はわざと面白くないキャラをつくりながらも学連として積み上げた1年間からチームの信頼を得て、今副務としてチームを引っ張っています。
始めたばかりの頃何をするにも適当で嫌味だらけで1年のうちにどうせどこかで辞めるんだろうなと思っていた陽(3年/青柳陽/FW/学習院高等科)は、学連はブラックだ。今日も帰れない。などと言いながらも大会準備を主力として担い、部会でも上に立つことを決めて、特にこの1年本当に頑張っています。夜遅くまで事務所に残り戸締りをして帰ることに達成感を覚え、終いには趣味とか言ってしまうほど組織にのめりこんでいます。(私は嬉しいです。)
さっさ(2年/佐々木晴也/学連専任/立教池袋)は不器用で心が強くない中でも必死についてきてくれます。
同じ部会でも仕事をしていますが、最近は大会準備を本当に頑張ってくれていて頼もしい限りです。リーグ戦に出たいということを伝えたときも喜んでくれたり、家の方面も同じで一緒に帰ったり。弟のような存在です。
今年一年、後輩二人には慣れないながらもたくさん怒ってきました。
学連という役職はチームからしたらきっと陽の当たらない場所です。チームと関係ない仕事ももちろんしているし、関係のある仕事でも鬱陶しがられることもしばしば。
それでも私たちが立教大学の部員として所属しているのは確かで、立教が関東リーグに残り続けるには、連盟で最低限の信頼を得続けていかなければなりません。
それを崩すのだけが本当に嫌で、仕事や連絡、提出物に対して何度も何度も同じことを言った記憶が鮮明です。(覚えてるよね?)
新たに芸人みたいなツッコミが売りだけどまだ学連では大人しくしている金子(1年/日本大学)も入ってくれて、本当はもう大丈夫だ!!と言って引退したかったのですが、正直少しだけ不安です。
1カ月後、私が学連も引退したあと大丈夫かな?と思いますが、この1,2年で目まぐるしく成長した2人の姿、そして今まで一緒に仕事をしてきたことを考えれば、私がいなくなってもきっとしっかりやってくれるだろうと信頼しているので、大丈夫。一緒にやってきたことを忘れないで、安心してやりきってね。
そしてこのブログの本意に逸れてしまい恐縮ですが、学連のみんなに少しだけ。
立教大学をこれからもよろしくお願いします。2年生でアミノ杯に進出した際ひたすらに質問のメールを送りまくったことも今ではいい思い出ですが、3年生から入ったのに私を受け入れてくれた先輩方、そして4年生のみんなやサッカー部の何倍も生意気ででも友達みたいに近い存在で可愛い後輩たち、そしてそして、アイリーグ部のみんな。
最高に居心地の良い居場所をありがとう。アイリーグ部のほぼ同期な2,3年生、なんだかんだ先輩として慕ってついてきてくれてありがとう。Iリーグ全国の準備が立て込んでからは、みんなの前で大切にしていたはずの笑顔や寛大さとはかけ離れた態度や言葉をかけてしまったと思います。
それでも私が去年あんな形で引き継ぐことになったこの大会を、今みんなと一緒にやれていることが本当にものすごく嬉しいです。全員を福島に連れて行くことができずごめんなさい。来年のために、頑張ってきます。
都学連で関わってくれた皆さんを含め、部活に同期の同じ役職の子がいなくて自分を上手く出せなかった私にとって、学連のみんなには何度救われたか分かりません。本当にありがとう。
関東学連もここと同じように、私にとって大切すぎる居場所でした。
話を戻しますが、
マネージャーは学生スタッフとして選手とコーチングスタッフの橋渡しとなりながら、時には授業や睡眠時間を削りながら仕事をしています。
みんなの練習1つ1つ、1試合1試合が1秒も無駄にならないように。
夏場の適度に冷たい水やポカリが出せなければパフォーマンスが低下するかもしれない。
ビニールテープが不足すればいつも巻いている選手のルーティンを崩してしまうかもしれない。
ビデオの撮影や手配、準備、連絡でミスをして一秒でも撮り損なえば、せっかくの試合を選手やコーチが振り返る機会を奪ってしまう。
学連の仕事でミスや遅延があれば、試合に出られない選手がでる。連盟への提出物や試合でのずさんな運営に繋がり、他大学や関係者からの立教サッカー部の評判が悪くなります。
こうした細かな仕事1つ1つの中には理由を後付けできるものもあるし あくまでも可能性にすぎない話で、こうしたことが直接勝敗を左右することはないかもしれません。
それでも私たち学生スタッフのチームへの関わり方、貢献の仕方はこういった形でこそ成されているのだと思います。
小さな仕事1つ1つから信頼を得て、チームに貢献していける。
そんな責任の大きい仕事を任せてもらい、たくさん間違えてたくさん怒られ、時には怒りながら部に関わらせてもらえたことにとても感謝しています。
そんな私がマネージャー間、学連において人と関わっていく中で、私は3つ大切にしてきたことがあります。
1つ目は、挨拶・ありがとう・ごめんなさいを誰にでも言えること。(当たり前ですが)
2つ目は、居心地の良い環境、意見を言いやすい環境か考えること。
3つ目は、「笑っていること」「みんなを見て、知ること」。
160人いる部員・8人のマネージャー、100人近くいる学連・そのなかの15人ほどで構成される部会。大所帯であっても深い関係を持ちながら仕事を与え合い、任せ合い、くだらない話で笑いながら何かをつくっていく。
そんな中で1人1人の性格や意見、得意不得意が見えてきます。
当然、自分とは合わない人、なんなら上手く関係を築けない人ですら出てきます。挨拶とありがとうとごめんなさいなんて人として当たり前すぎることですが、どんな時でも、どんな人に対しても、これだけは大切にしなければいけないなと改めて感じたのでここに残しておきます。
そして、あんなに人がいれば、みんなそれぞれ違うし、誰も代わりにはなれません。だから学年が下だからとか入ったばかりだからだとか、そんな理由でふさぎ込んだり不安に思ったりしてほしくない。大枠を外れずに、どうしたらみんなの良さを活かしていける雰囲気をつくることができるかなと考えていました。
私はもともと、怒ったり人に諭したりするようなことが得意ではありません。辞めてしまった子がいた期間を除いて同期のマネージャーがいなかった私は、上手く言えないので表現は正しくありませんが、雑に言えば一人で仕事をしてきました。
いつも何かと心細かったぶん、後輩をいかに巻き込めるかが重要だったこともありますが、1年生から4年生までがそれぞれのきっかけ・思いを持って、同じ方向を見て入部していて、そんな異なる私たち全員が、意見を持つ・発信していくという点でできる限り対等な関係・そう思える雰囲気でありたい。そんな思いでいました。
そんなこともあり、普段は「あんまり何も考えてなさそう」「悩みがなさそう」と言われることもありますが、この4年間だれよりも部活に対してマイナスの感情を抱いてしまったと思っています。
先ほどもありましたが同期のマネージャーがいなかったことは、私にとっては大きかったと感じます。
4年間を通じて悲しいことや悔しいこと、理不尽なこと、悩みや不安を感じることがたくさんありました。入部してから先輩MGにつくづく言ってもらいましたが、私には自信がありません。だから人より考えすぎて、自信を持てないまま、誰にも言えない。
もともと人に自分の希望や意見をあまり伝えてこなかった私にとって、(学年が下であればあるほどそうですが、)2マネのように話せる同期がいたところでその時その時の状況を大きく動かせたことは少なかったと思います。
それでもどうしようもなく辛いこと、悩んだことがあったときに、それを一方的ではなくてお互いに気兼ねなく共有し、励まし合う相手がいなかったことは、マネージャーをしていて一番苦しかったです。
同期のマネージャーがいたらな、と何度思ったかわかりません。
NEXT…Tomohumi Ushizawa