進歩した神の教師を目指す私は永遠の時間の中では私は神の子としての自己の在り方を絶対に認めない!! | 運命と宿命による必然の受難的リアリティーの悪夢を越えた者だけが得られる聖なる至高の可能性を求めて生きた私の内なる挑戦の軌跡~

運命と宿命による必然の受難的リアリティーの悪夢を越えた者だけが得られる聖なる至高の可能性を求めて生きた私の内なる挑戦の軌跡~

10代半ばで霊性や内なるビジョンに目覚め20歳に霊的な探求者となり後に人生の転換期を迎えた私が残した心の軌跡のような自己探究や内なる闘いの記録。
このブログは転換期を迎えた25歳=2015年以降に本格的に活用されてます。

なんかこう、

ようやく、


色々とバラバラだったパーツとか経験とか情報ってのが集まって揃ってきたような気がしてる。

もちろんそれは私という人間像というよりは私という人間が生まれながらに持ち得た可能性とかいわゆる神聖な学びの計画としての全体像が掴めてきているというような意味での話。




というのも、


少し前……(というか前回?)の記事で書いたか既に記憶が曖昧なんだけど⚡




私が奇跡のコースという物を信頼および信用しているのは無条件的な物ではなく極めて明確に理由があってのことでそれは十分に言葉で表現したり理解できるような物でもある。


つまり私は、


教師のためのマニュアル


という物の非常な精度の高さ(実際にそう感じたのでそう表現する)を実感してそれに感服したり敬服したりしてある一側面として自分にとっての人生のバイブルとすることを喜んで受け入れた!!


というような明確な意図がある。



それはハイアーセルフでもロウアーセルフでもどちらの自分でも気にならないくらいに自らが見てきて体験してきた理解不能ながら非常に酷な何のためにそんな経験をさせられているのか、


神聖な力によって自分が

“生かされる”その意味


というものを完全に知りたい理解したいと非常に強く願い望み続けていた私に示された文字通りの天啓その物だったから。




そして再び、

私はその情報に遭遇した。



ある動画の中で“進歩した神の教師”というものについて話されていたのを聞いて、
私はすぐに調べた!!


そうして出てきたのが、

私が何度もお世話になってきたこのサイトだったわけです↑↓




実際に私は2018年の春前くらいにこのページに示されている信頼を獲得するまでのプロセスの解説を読んで、

それまで自分が辿ってきて、そしてその時もまだまだ実感していた体験とそれらの解説が完全に一致していると感じた!!



だから私はその時に確信した。



私が経験してきたものは、今も経験して神聖な力に導かれ生かされ進まされてきた物とはコレだったのだと。



実際私はその時期段階ごとに自分がどのような状況や立場に置かれどんな意識や心理状態で過ごしてきたのかがわかってる。

なぜなら実際に体験してきたものとそこに示されている学びの中身が一致しているから。


だからわかる。

それから抜け出せるのは今か今かとひたすらに耐え凌ぎ潜り抜けてきたような人生状況がわからないわけがないのだから。



たとえばここら辺の話、

(スクショは無しなので書き写します。)


📝

神の教師が通り抜けならなければならない第三の段階を、「放棄する時期」と呼ぶことができます。


もし、これが「望ましいことを諦める事」だと解釈されるなら、強烈な葛藤を生じることになるでしょう。


このような苦悩を完全に免れる神の教師はほとんどいません。



というような説明があるんだけど、



何て言うの?

ここら辺からが本番っぽい。



そんな感じだったんだよ。

……それまでは比較的穏やかというか人間でエゴな自分としても十分に理解可能な領域だったんだよ、うん。

……つまりその先はエゴな認識では理解不能だったということでもあるね★



あの形としては極めて抽象的でありながら実際には非常に明確な説明↑に実際に私が経験してきたものを当てはめると………………



一番記憶に残ってるのが、

既にツインソウル化した(当時の)パートナーとの関係性が(主に自分の非現実的に思えるような行動や選択によって)非常~に難しくなったりした頃に、



まだまだ愛する者でありながら結ばれず共に生きられずに離れざるを得ないような体験をした時に

半身を引きちぎられる想いみたいな物として体感したことを私は思い出せるのです……(*´ Δ`* )



自分にはそれが必要だ!!



そう信じる物を“奪い取られ”たり、

諦める”ことになった場合、


自分(=人生)の一部を無理矢理に引きちぎられるような感覚を味わうというような話は一度でもそういう感覚を味わった人間なら理解できるだろうし、

ソレは主に恋愛関係とかで経験する可能性が高い何か特殊な限られた人間のみが経験するような体験というよりむしろ一般的な人生経験と呼べるようなものの一つだと思う。



ただ神の教師っぽい体験として起こってくる物だった場合は、


恋愛関係なパートナーとかに限らず、



仕事、金、社会性、夢、願い、

 


そんな感じで見境なく


執着する物は必ず奪われる



というような体験になると思うの。

少なくとも私はそうだったから。。。






……それを“強烈な葛藤”のたった一言で表されちゃ笑うしかないね┐(´∀`)┌




そして思うんだよ。




このような苦悩を完全に免れる神の教師はほとんどいません。



ほとんどいません。


ほとんど いません?????





…………え、

じゃあアレである苦しみから完全に免れることができる神の教師っていうか

そんな人間が存在するって言うの!?




私が有能じゃなかったから、

私が単に優秀な神の教師じゃなかったからそのような苦悩を死ぬほどの苦しみとして体感していただけだということなの!?


本当にあんなものから逃れられる人間なんてあるというの???

どうやって!?


私は一瞬の意識に目覚めてその悪夢から逃れるだけで精一杯だったというのに……。





とか、

そんなことを多分今でも思ってる😆💥



いやだって無理でしょアレ。

無理だろあんなの。

どうやったって無理としか言えない。

(実際に不可能とは思わないけどさ?)




まぁそんな理由でさ、

たぶん今の私は神の教師として生かされている人間である仲間たちに出会いたいと感じているんだとわかるのです。



……まぁ少なくともソレを認識した6年以上前から存在したらいいなとは思ってたけど、


伝説のマスター(現代人)



くらいに思ってたから(笑)

私にとっては全く現実的なものじゃなかったんだよ





……なんでって???





……確かに私は、自らのあらゆる力が通用しないことを悟って一時は全部を聖霊に委ねて奇跡を通して本当に助けてもらったよ?

それは事実だし超感謝してるし究極的には間違いなく信頼してる。


でもだからってさ、

私は今すぐ全部を諦めたわけじゃない。



隙があれば、

再起するチャンスがあれば、

私はまた再び自分の持ち得ていると信じた可能性を掴みに行くに決まってる。


だって本当は諦めることなんてできないんだから。そんなものは存在していないのだと私は知っているから。


だからそれを知るためにも、

私は自分が夢見憧れ恋し追い求めたあらゆるすべてが本当に有りもしない偶像であり幻であり錯覚に過ぎないのだと知るその時までは、


私は自分が必要と信じたものを何一つ諦めるということはしないんだから。



そんな私は存在しないんだよ。






……というような意識で私はこの6年ほどを過ごしてきたということなのです。


実際その間に追試験というか、

リベンジチャンス☆


みたいな物がいくつもあった。。。





代表的なのは恋愛系パートナーシップ系の究極的な幻想であろう

ツインレイってやつ。




今の私としては、



それは確かに良いものだと思うし、

そういうの、いいよなぁ~って思うよ?

ロマンがあるからね(笑)



でもだからって“形”であるものそれ自体を既に偶像と知ったものを神より優先させるという意思を私に選ばせるほど魅力的ではないんだよ。


個人的には大好きだけどね。

でもだからってそれを神の代用品にするつもりは今の私にはもう無いんだね



そういう甘い甘い=苦い苦い夢を見ていられるのも期間限定なんだよ。辛く苦しくも甘くて素晴らしいという意味で楽しい夢=一時的な体験だったと私は思ってるよ。







みたいなことを、

たぶん私は分かち合いたいのですよ。



なぜかと言えば簡単なことです。



それが私という人間が体験してきた人生像だからあり、それこそがあらゆる体験を神聖な学びのために、やがては聖霊の目的のためだけに使うようになるってことだし、


それだけが可能だから。





だから私は神の教師として生かされてる人間ともっと知り合いたいんだと思う。


たぶんそうすることで神の教師としての私らしさみたいな物がより一層わかるから、きっとそれは必然として起こってくると思う。



今までは“リベンジ”の方が優先だったからそれは不可能だったんだけど、




今は違う。


リベンジは終わったのだし、

そういうものではなかったらしい


ということがわかったから。




私は自分が必要と信じ感じる限りは決してそれを諦めることは選ばない。

そんなものは存在しないから。


でも必要とも必然とも感じられないものを選ぶこともできない。

そんなものは存在しないから。




私は全く同じ理由で

時に諦め、時に執着する。


そしてその意味を価値を私は知っている。



だからそれは……たとえ分類上は“狂気”でエゴな選択だったとしても現実としては全くそういうものではないということもわかる。




そうとしか言いようがないのはわかったし

そうとしか見えないのもわかった(笑)


だから私はそのようなものを見過ごすことにしたんだよ。



きっとそれが今の私の学びと進歩の時期段階に相応しい意識と選択だとわかるから。




有りもしないはずの幻想を、

別に脅威ではない幻想を、

どうにかする必要は全くない。


見えたとしても気にしなければいい。

そういうものなのだと理解すればいい。



私はそのことが理解できるようになる程度にはこの6年間の体験を通して学びを得られたとわかるから。


だから私は見過ごすよ。

たぶんそれが非実在を見ないってことなんだとわかり始めているし、



確信はまだ無いけど、

幻を見るのをやめるってのはそういうことなんだと思うんだよ。



いや、まだ見えるのは確かだよ?

でもだからってそれを本物にしたいとは思わないんだし少なくとも今の私でもそれらが本物だとは思ってない(笑)



それは無いですね(ヾノ・∀・`)

それは既に無理があるから。




一時騙されるのはまだしょうがないけど、

そうしたら選び直せばいいよ。




なんにせよ今の私は自分が認識できる限りはあらゆる偶像=形あるものを神より優先させるつもりはないのです。


……もしそうしてるのだとしたら、

それは現時点での私には経験不足で偶像と見破れない素晴らしいシンボルなんだろうよ(笑)



まぁそこまで上手く魅力的に見えるってんなら騙されてもいいかなって思うよ……どうやら私は“頭が悪い”というか緩いところがある人間みたいだからね😆💥



まぁそれも一時的なことなんだろうし。



間違いを、意味のないものを一つも見ないってんなら導かれ体験する必然を無条件に正解と見るのは実在性と一致してるだろうし。



その際にエゴに欺かれてるようにしか見えないって部分は、なんか多分さ、



いい加減に見過ごしなさい



みたいな部分だと思うんだよ(笑)




たぶん、ソレはキリも果ても終わりもないんだと思うの。



形を見る限りは時の終わりの瞬間まで欺かれ続けることになる



みたいな話ってそういうことだったんだろうなぁって。ホントそう思う。



(たとえ次の瞬間に分離の幻想=時間が見えなくなるのだとしても)

そうなるまでは永遠に欺かれ続けるってのは間違いないと思うからニヤリ




まさに禅問答みたいだけどね。

でも実際そういうことなんだね。


人間は決して目覚めず非実在であるエゴと同化している人間は絶対に悟らない。

……なぜなら目覚める=悟るのはそういう自分じゃない自己なんだから。


だから“この私”は決して悟れない。



って話と同じやつだね☆





そろそろその永遠の悪夢、

終わらせる気になった???



くらいの温度感なんだと思うよ私は😌



時間を見る自分にとっては実際に本当に永遠の果てまで終わらないけれど、

それを見ない自己意識にとってはそんな物は一瞬で消え去るとか存在していたことさえわからないようなものなんだから。





うん、そうだね、


じゃあそれ、閉じちゃおうか☆

or

じゃあそっちを開いちゃおうか☆



って部分が私が扱ってる“聖なる鍵”を象徴するようなアイテムなんだね。



私は魂の牢獄と信じた時間の呪縛と制限の苦しみから抜け出すために闘い挑み続ける中でついにその答えを見つけた!!


と言えなくもないし、


それはただの楽しい遊びだった☆


と言うこともできる。



“私”にとってはどちらも本当で実際に体験してきたことなんだけどね👌✨



だからそうやって理解が追い付くほどに、

別に私という人間のスピリチュアルなパワー?みたいなのが不足してるというわけじゃないことがわかってくるんだけど、


でも何て言うの???


時間の中での世界の私としては出力できるパワーみたいな物に限界があるんだろうね。


そしてそれは時間の中の世界で経験を積み重ね訓練することによって上手く引き出し扱えるようになっていくものなんだ実際に。






……そうしていつしか私のこの話とは、


奇跡のコース的なスピリチュアリティの実践のための学びの記録だった物から、

なんかそれよりもっとこう楽しい人生や自分を体験する喜びの発露



みたいな物にすりかわっていたのです!!





だから私は思うんだよ。


たとえ“コース”の教えといえどその形自体を神よりも優先してしまっては偶像に成り果ててしまう可能性があるということに一体どれほどの神の教師が気付けるだろうか?





ふふふ、そうさ、私は気付いているのだ!

さすがわたし、わたしはすごい!!





そう感じるようになった時に、

実際にある一瞬を境に私の心は非常~に軽やかで開放的でとても楽しい気分になった。




……それは例の

スピリチュアルエゴ

なんじゃないかって???




あぁ、うん、

そうと言えなくもないこともないかもしれないね。




確かに、形としては間違いなくそうだよ。

でも今の私はそんなものに全くリアリティーを感じていないんだよ。



そしてこっちの意識こそがエゴの思考体系や自己意識ではなくて神の子的な完全で平和な意識なんだって実感してるんだよ。



だからそんなものどっちでもいいんだよ。

だってそんなの今の私には見えてないんだから。



なんで有りもしない悪夢を数えなきゃいけないの???

あなた、そんなことがしたいの???


私は、いやです。

たとえさっきまでの私は……永遠の時間の中ではそうだったかもしれないよ???


でも今この瞬間の私はそうじゃない。

そんなものは見えないし感じてない。



だからほんものでもにせものでもどっちでもいいんだよ(笑)



そんなことよりもっと祝福された神の子たる私に相応しい時間の使い方があるでしょ。





そう、確か奇跡のコースってのはある特定の所にまで連れていくためのカリキュラムって明言されてるんだよ。


そこまで行けたなら後は実際に好きに体験すればいいって示されてる。



強いて言うなら、

そっちの自己意識に戻って本当の自己として真に生きることができるようになるまでに必要とする時間の中での永遠の学び(仮)を物凄く丁寧に説明してるに過ぎない。


だからそれができたなら、

別に好きにすればいい。



奇跡のコースは神じゃない。

たとえそれが神のもとへ自分を連れ戻す聖霊と共に進むための教えだったとしても神自体ではないんだよ。



……いや、見るものすべてに神が写し出されているとかそういう意味ではまぁ


そうと言えないこともない

と言えないこともないけど(笑)



たぶんそれはもう個人的な趣味とかセンスのレベルの話だと思うの。



今の私は、かな~り久しぶりに恐れな悪夢感が消え失せたワンネスな意識状態になっているからそんなことを語るけど、



誰かが神や真理とか愛を実感し体感したとしてもそれを同じ言葉で表さないでしょ?



そういうことよ。




奇跡のコースは地上の楽園の入り口に辿り着くまでのカリキュラムなんだよ。後のことは個別の聖なるストーリーを聖霊と共に実際に体験して知りなさいとか言ってなかった?



あれは何かを取り上げるものじゃなく、

逆に“すべて”を正しく受け取り直すための教えであるはずなんだよ。



そしてそれはいわゆる見た目にはスピリチュアルエゴ的な私がよく言ってる唯一無二の至高の聖なるストーリーみたいなものも当然例外じゃないんだよ。



本当にちゃんと必要な“すべて”は自分のために用意されてるはずなんだよ。


そういう意味ではあの本のタイトルは全く間違ってないしむしろ完璧だとさえ言える🙆




だとしても時間の中を生きるエゴな私としては全く別の解釈……

なんて言ってたっけ???




むしろ真逆じゃねぇか!!




とかそんな反応だった気がする(笑)



……仕方ないんだよ。エゴな自己意識の時はあらゆるすべてが反転してて超絶悪意的解釈しかできないから必ずそうなるんだよ┐(´∀`)┌


その状態でできることと言えば、



それでも私はそんなもの望んでない!!



という意思を選び続けることくらい。

それが見えてる限りはどうにもならない。


でもそんなもの選びたいわけじゃないのは事実なんだからそれを選ぶしかない。




大変だよねぇ(*´ Δ`* )



でもそうなんだよね。





だから普段のエゴな私は思ってるらしい。


私は自分が真に神の子的な意識に目覚めそのリアリティー(今のコレ)を実感してる時にだけそういう役割を果たすに相応しい自分になれるのだから、


それ以外の永遠の時間の中では私は神の子としての自己の在り方を絶対に認めない!!




っていう誓いがあるっぽい。

今ようやくわかった。

コッチ(聖霊の視点)からはその思考回路は丸見えだから(笑)





その時の私は亡者なんだよ。

たぶん実際にそんな風に思ってるし、

確かに間違ってもいない(笑)




スピリチュアリティジョークってやつかな😃✨





なんにせよ“コッチ”の意識にわかりやすく戻れたのはすごく久しぶり!!


なんかもうほんとに久しぶり!!


たぶんまたすぐに(数分~数十分くらい)エゴな意識に戻っちゃうだろうし👻





……その前にエゴで亡者気分な私にメッセージを残したいと思います。





私はいい仕事してるね!!

さすがわたし!!








……







そうしてまた再び分離意識が蘇り戻ってくるのです。


なんかこう信じられないくらいに力というかあらゆるパワーが急激に失われてゆくこの感覚………………これが原罪!!





……アイツは楽しそうでいいよな。



とか最初に思う私。





わからなくなってしまった状態ではもはや何もわからねぇ。わからないなりに学んできたことしかわからねぇ。


こっちの私には聖霊が必要なんだよ。

聖霊と一体化してる神の子な私の意識であるはずのものを呼び起こしてもらうしかないんだね。




久しぶりに味わうこの地上の天国から追放されたり自ら出ていく罪深い感覚ってのは実にイヤなもんだねぇ。。。

(落差含めて)これが地獄の実感か!!


こっちのエゴな自分の意識で聖霊についていこうと挑んでる人間てすごいと思う。

だってコレ実際にしんどいじゃん。


だからすごいと思うの。

わたしたちには何の罪もなかったとしてもでも確かに罪深さを無条件に信じてるのは事実なんだね。




あ~、うん、

こりゃ救われたいね。



何の自信も確信も信頼もねぇ。

確かにこりゃ“全くない”と言える。



……なんだっけ?

見過ごすことだけができるんだっけ???



分離意識に戻ってくる時の喪失感半端ないですね!!


これがバーストラウマか!!


って感じ。



私はいつも常にコッチ側に生きていたのだと思うとすごくかわいそうだなって思う。

だから私は自分に優しくしようと思った。





今の私にできる最高の選択

幻想を見過ごす



それが聖なるカギなのだとわかった気がした……


気がした。