さて、
前回の記事ってどんな感じだっけ?
前回の記事を書いてた時の自分ってどんな感じだったっけ???
という感じで、
色々と思い出さなくなる程度の時間が流れたわけです🌠
そして前日くらいに、
あっちとこっち、
今と未来、
過去と未来、
去年と今年、
そんな感じの物が切り替わるタイミングを越えたのでこうしてコレを書き記しているということなのですね🍀
もっと具体的なことを記すなら、
今月末くらいが私の誕生日なのですが、
個人の年運の切り替わりって基本的に誕生日を境にそこから一年間という考え方があるのですね。
そんな感じで、
私の体感としてはだいたい2週間手前くらいから次の年の流れみたいな物を波動的感覚的に感じ取れるらしいのです。
実際に私の記憶にある物としては、
今年は3月16日くらいに自分の波動とか意識領域に“何か”が投げ込まれたようなダウンロードされたような微細な感覚を受けたということを覚えています。
そして23日、前日になった頃に極めて明確にその曖昧でうっすらぼんやりだった感覚を空気感の切り替わりとして認識できるようになったのですね。
私が言ういつものアレですよ💡
左か右か、
AかBか、
Aかαか、
その具体的な中身や違いまでは理解できないまでも感覚として何かしら2つの明確な違いがそこにあるということだけはわかる!
そういうやつです。
波動的な変化を一番最初に認識する瞬間てたぶんそういう感じだと思うのですよ。
透明で微細な波が駆け抜けてゆくような、
過ぎ去った後では疑うこともできてしまうような一瞬の感覚。
そして1週間ほどして、
私は2024年の自分の空気感
みたいな物がわかるようになってきた!!
気がしているのです(笑)
まだ先の話
ですからね、飽くまでも。
現時点ではいくらでも疑うことができるのですよ事実として証明されてないから。
私はそういうバランス感覚のある人間らしいのです。
直感的にそれは正しいとわかるけど、
でも時間の中では可能性に過ぎない。
私はそういう世界に生きていると言っても全くの言い過ぎじゃないし、
そのある種の矛盾した意識や思考回路が成立しているからこそ独特なバランス感やセンスが成立するとも言えるわけで。
もしそのセンスを得る代償があるなら、
矛盾した自己意識を
常に抱えること。
って感じですかね┐(´∀`)┌
上手にバランスが取れるまでは常に内側で文字通り意見を闘わせることになるのですね。
一人内戦状態ですね!!💥
そりゃ人格も混沌とするわけですよ。
形としてはどうやっても両立し得ない感覚や思考を自分として同時に認識するんだから、
それはソレ、
これはコレ、
どっちも事実だけど
事実以上でも以下でもない。
ってことに気付けるまでが闘いの日々。
……あいつは一体何と闘ってるんだ?
断片的にでも私を見ていてそう思う人間は少なくないと思うの。
何と闘ってるかって?
異なるセンスや意識を持つ自分をどうやって受け入れていけばいいのか?
……そのために
常に
自己矛盾と闘っているのさ。
だから忙しいんだよね~、
存在証明に近いのかもしれないね、
レゾンデートルってやつ?
どれが本当の自分なのか?
たった1つが本物なのか?
他は必ず否定されなきゃならないのか?
そうしなくていいとしたら?
それはどうやったら可能になる?
そのために今の自分に何ができる?
彼の者は、
常にそんな心の戦場にあるわけですよ。
なまじ頭がいいだけに、
それは不可能ではない。
とわかるので、
その答えを求めずには居られないのです。
そんなのはただの理想論だよ、
世の中なんてそんなもんさ。
という言葉や考え方が答えを見つけられない人の考えに過ぎないとわかるので、
そうではない正しい答えを探さないわけにはいかないのですよ。
だってそれはあるはずなんだから。
私みたいなのが語るところの、
“わかる”とか“みえる”とか、
そういうもんなのですよ。
わかってしまったら、
わからなかった時と同じように考えることなんてできるわけないのですよ。
みえてしまったなら、
みえていなかった時と同じように生きることなんてできるわけないのですよ。
まさにそう、
知らなければそんな苦悩を抱え込むこともなかったのに……。
ってやつですね!!
それが“なまじ頭がいいだけに”
という言葉が意味するものです。
……もっと賢ければ、
それかもっと愚かな人間であったなら、
違う生き方もあっただろうにな。
って思うやつですね(*´ Δ`* )
ホント困ったことです。
私にとってはその極性に囚われず自己の視点を保つことができるという資質は、
中途半端さや未熟さと表現することができるものでもある。
もっと多くの可能性が見えたなら、
もっと狭い視野しか持たなかったなら、
そんな中途半端さに悩むこともなかったのかもしれない。
相応しい進むべき道を見つけて、
そしてそれはわかりやすく好ましい物だったのかもしれない。
私の立ち位置って、
そういうものなんだなって。
少しだけわかった気がしてる。
希少価値?
珍しいサンプル?
1つの見本?
……言葉にするとものすご~く微妙な感じになっちゃうけどっ、
でもだいたいそんな感じな気がしてる。
実際、今回のこの記事の内容みたいな物が一番私という存在をダイレクトに表してるようなものだと感じてる。
私の存在感ていうか、
私という人間の正しい使い方というか、
それは現代な世の中の枠組みに当てはめるよりも、
1つの何かしらのシンボルのような物だと捉えた方が無理とか不自然さが無い。
……お前はそれでいいのか?
人間というよりシンボルでいいのか?
って問われたとしても、
いや実際自分の内側としては既にそういう感じになってるからなぁ……今さらそんなこと言われても困るというか、
とりあえず人間らしく
困ったフリ
でもしておこうかな?
というか(笑)
あ~、うん、
私はこれでいいんだなってのがわかっちゃった気がするんだよね?
だからその一見して微妙な感じ?
最初の方に書いたような、
一番最初に一瞬だけ感じ取れるような微細な何かみたいな感覚のような。
なんかそんな存在感でもいいなって☆
なんかね~、
だって外側の動き…………物事の背景にはかなり明確な意図というか緻密に仕組まれてるようなロジックとか手順とかが歯車が噛み合うように全体像を構成して動いてるんだな~ってのが先にわかっちゃったらさ?
その歯車を無理矢理に動かそうなんてバカなことは考える気なくすじゃん?
何も間違ってないし、
順調に動いてるんだよ。
ただ全体を構成してるから
その変化はゆっくりゆっくりなんだよ!!
┐(´∀`)┌
そもそも、
私がこの世界の流れ(?)が遅いのが気に入らなかったこと以外に、
問題だらけの状態で宙ぶらりんにされる。
という現実感があったから、
私は時間の流れが遅いのが嫌だった!!
だからさ?
問題がなくなった状態なら???
いくらでも宙ぶらりんにされても何も問題にはならないのでは???
私が時間の中での未熟さや不完全さを責められないのなら、
どれだけ外側の世界の変化が遅くても私は何も困らないのでは???
だって順番に進んでるんだし、
間違ってないんだし、
着実に進歩してるんだし。
なら何の問題もないのでは???
そもそも私が時間の中で闘い続けたのは、
自己の不完全さ未熟さの実感による自己存在肯定感の欠如みたいな物があったから。
それさえ無くなったなら、
別に、
どれだけ世界の流れが遅くても、
どれだけ自分や誰かが間違いを犯しても、
何の問題もないわけで。
それが赦しだってんなら、
そういうことなんだよ。
私は何かをもっと良くするためにもっと救うために生きる必要は無くなるんだよ。
お役御免てやつさ。
これまでの私の人生状況……タイミングにおいてはそれさえ許されなかったのだろう。
無条件の否定、
無条件の苦しみ、
無条件の罪と罰、
なんかそういう物が成立していたんだな~ってことはわかるし、
それに気付いていたから私は必死になってそんな悪夢な現実感から何とかして抜け出すために生きてきたんだってこともわかる。
いやもうホントお疲れ様なことだよ🍀
生きることは闘い、
存在するための闘い。
自己が自分となるために、
いつの日か真に生きられるように本当の自分を獲得することができるようにひたすら闘い続ける……それが人生。
…………クッソ重たい言葉ですね。
涙の出る言葉ですね。
そんな人生なんなんですかね、
もうやんなっちゃいますね😂
でもそういうもんです。
先に知るってのは、
そういうもんなのですよ。
ひたすらそこに戻るのです。
戻るために生きるのです。
自己を取り戻すために生きるのです。
取り戻すために失ってゆくのです。
そのためには休んでいられない…………
という表現は正しくないんだけど🙅
少しそれっぽく表現するなら、
毎日毎日、
休まずに進み続けるのですよ。
1日に進められる量やペースなんて本当にたかがしれてる。
でもやらないわけにはいかない……
たとえその挑戦がほとんど意味を成さず無意味な試みに思えるような時間が長く続くことがあったとしても、
それでもサボるわけにはいかんのです。
その1日を抜きにしては成立しなくなってしまうのですから。
だからそのためにその日を生きるのです。
今は全く力も及ばずに、
全く時も満ちずに、
なんの成果も得られないのだとしても、
いつか訪れる日のために、
ひたすら今を生きるのです。
………………そんな私が、
目の前の現実を愛するわけがないだろう?
目の前の現実なんてのは、
いつかの栄光のために差し出された犠牲であり忍耐のためにあるものなのだから。
だからそれ自体に意味なんてないんだよ。
……いや、正確にはきっと素晴らしい意味も価値もあるのだろうけれど、それをその瞬間に気付くことは不可能に近い。
だから迷いや恐れに直面しながらも無様でもいいから続けるんだよ。その時に必要なことは華麗にこなすことじゃなくて必要な経験を1つ残らずに得ることなんだから。
目の前の現実を生きるってのはそういうものなんだよ。
今は全く時も力も運も何もが満ちないとしりながらも日々を重ねるってのはそういうものなんだよ。
そんな状況の中で何ができる?
何が示せる???
そうだ、
できることはあるし、
もちろん示せる物だってある。。。
ただそれを自らが得ることはできない。
本当にあるのかもわからない物を、
ただの可能性に過ぎないかもしれない物を苦難に耐えてまで実現しようとすることに一体どれほどの価値があると言えるのか???
自分でさえ信じられないものを、
一体誰が認めてくれるという?
これが精神の地獄か………………
って思う話だよね┐(´∀`)┌
そんなのはもう本当に人間卒業試験とかでいいと思うの。
私は悔しいのかもしれないし、
私は怒り狂っているのかもしれない。
それは事実なんだろうし、
実際私はそう思う。
……しかし、しかしだよ???
それらがもう過去の話なのだとしたら、
もはや何の問題にもならない。
それらがホットな話題なのはそのような体験こそが目の前の現実として起こっているような時期のことで、
終わってしまえばただの過ぎ去りし記憶。
それをわざわざ思い出してまで味わう必要があるのだろうか???
結論から言って、
私は別にそれはどうでもいい、
っていうか、
事実ではあるんだけど、
事実以上でも以下でもない
そのくらいの物だと思ってる。
そんなクッソ重い精神修行の日々な記憶が掘り返されることに一体どれほどの意味があるというのか?
素直にそう疑問に思ってる。
厄介なのは、
それが現実として目の前で展開され体験されているタイミングのことさ。
本当に、
どんな聖人であれ人間である限りは完全にはその苦しみや困惑から逃れることはできないのだし、
仮にもしそれができたとしても、
やはり見た目の振る舞いとしては苦難に放り込まれ天に見放された人間のソレになってしまうのも避けられないのだろう。
私はそういう話をしているのだよ。
君にはそれがわかるだろうか?
そんなものに気付いてしまった人間は一体どのように生きればいいと思う?
そんな可能性を認識してしまった人間が自分だったらどんな風に生きることを選ぶ?
そしてそれ以上のものに気付きながらもソレについて語り示す機会も認識する機会も滅多に与えられない中で自分には何ができる?
そう、
コレはそういう意味で生の声なんだよ。
そんな人生なんて
御免だね!!
って私は客観的にも思うんだけど、
面白いのも確かなんだよ、
まだまだ苦しみの体感の割には全然合わないけどねっ!!
実際にそういうのを体験することになった人間の記録としては素晴らしいと思うんだよ😁
思い切りの皮肉も込めて★
こんな意味わからん人生を体験するってんだからソレらすべてを無駄なく使いきってやらないと納得いかないだろう?
少しでも無駄にしちゃったら文字通り私が浮かばれないってもんだよ!!
いやもうホントに。
こんな理解し難い人生があるんだから、
このくらい理解し難い表現が表れたとしても何もおかしくないんだよ。
私という存在の下から上まで、
ピンからキリまで、
光から闇まで、
悪夢で怨嗟な叫びからスピリットの威光と栄光まで、
私はどうせなら全部欲しい。
私という存在に許されている可能性のすべてがどうせなら欲しい。
……そう、
私は結局全部が欲しかったんだよ。
そしてその中には無限回廊をさ迷うような精神修養で霊的なイニシエーションも欲しかったってことなんだよ。
結局私は全部が欲しかったんだよ。
全部じゃないとダメだったんだよ。
だからそれを望んだのは私だったんだよ。
ネガティヴとかネガテイビティの果てを知るってのはそういうことだったのかもしれないなって今思ったよ。
それは性質として重く苦しくしんどい全く楽しくない物だけど、全部を得るためには絶対に必要な半分なんだよ。少なくとも真のパワーを求める者ならどんな手段であれその果てを知らなきゃならないものだよ。
代償は苦しみを得ること。
……でもそれが目的だから仕方ないんだね┐(´∀`)┌
苦しみを得るために
苦しむんだよ。
だから当然苦しい!!
そうやって苦しみを限界まで得るのさ。
人格が砕け散って廃人になるかどうかはその力量次第(設定)なんだろうよ。
なんだって得るものなんだよ。
苦しみを得る、
憎しみを得る、
喪失感を得る、
……失ってるようにみえて、
しっかりと得ているんだよ!!
失うことによって、
得ているんだよ!!
失うことを得るために、
失うんだよ。
……何も得られないじゃないかって?
マイナスを得る
ってのはそういうもんさ👿
それはほとんど何も得られないけど、
しかしながら意図的にやらなきゃ絶対に得られないものでもある。
これが難しい。
いやだって必ず悪夢で地獄な体験になるのはわかりきってるし?
そこまでして
マイナスを得たいのか?
……私はそれにYESと答えた側の者ということになるね。
その代償=成果があの苦しみというわけだ。
いつ終わるとも知れぬ、
自らの力の及ばない所にある絶対的な苦しみ……
なんかもう狂気だね!!
いや、一応わかるんだけどさ!?😂
……って感じで、
このような悪魔的修行を通して得られるのが
マイナスって実は
望まないと得られない。
という説明しにくい知識でした★
……これをも少し違う表現で言えば、、、
それはいつでもどこにでもあって
きっと誰もが知っているものでもある。
そんないつでも感じられるような何かであるはずなのにその真の姿を知る者は少ない?
なぜだろうか?
なぜ苦しみを苦しみのままにしておくのだろうか?
なぜそれを根底から引きちぎってやろうと思う者はほとんど居ないのか???
……そんなものは理想論だから?
……そんなことは非現実的だから?
なるほど。
そういうことなんだよ。
私はそういう理想論的でむしろ非現実的と思えるような生き方をすることになった人生を持つ人間なんだよ。
だから私にとってはそれが現実だし、
事実だし普通なんだよ。
私は理想主義者みたいな人間でもあるし、
見てしまったものを見なかったことにはできない。
知ってしまったものを知らなかったことにはできない。
たとえそれがただの可能性に過ぎなくても。
それを諦めるにはあまりに惜しいだろう?
だから私はそれを真っ直ぐに目指してる。
もし私が知る可能性が嘘でなかったのだとしたらやがてそれは加速度的に明らかになって現実として反映されてゆくだろう。
いつそうなるのかは知らんけどね💥
私が理想論的で非現実的に見えるのなら、
それこそが純粋ということなんだよ。
私自身の意志をねじ込むこともできないような神聖な領域や力ってのが自分の中にあるってことなんだね。
私はそれについていくので精一杯だったけど少しばかり余裕も出てきたし、やはりそれは加速度的に楽になってゆくはずさ。
何しろ私は苦しみの果てみたいな物を知っているから。それはどのような感覚でどのような所にあってどのくらいの持続力や拘束力や誘惑力みたいな引力や強制力があるのかどのように扱えばそれは少しずつ霧のように薄れ消え去ってゆく性質なのかを知ってるから。
そう、
私はきっと理解したんだよ。
私という人間を言葉で説明して理解してもらうのは止めにしようと。
……だってそれは非現実的で理想と純粋さをはき違えたようなとてもじゃないけどすぐには理解できないような物だから😁
それに別に私が理解されなくてもそんなに困らないし、
時間の中で解決してくって物を無理矢理どうこうするのは無駄に苦しいだけ。黙って快適に宙ぶらりんされてた方がよほど賢いし幸せだと言えるだろうよ。
そう、
内側で心の聖域を展開しながら見た目には宙ぶらりんされときゃいいんだよ。
外側の物はどうにもならないし、
どうにかする必要もない。
なら、
どれだけ抵抗も不可も少なく快適に楽しく宙ぶらりんされることができるのかを考えた方がよほど賢明だろう?
実際できるのってそれくらいじゃん???
無駄に苦しむ必要ってないんだぜ?
それは糧を得るための選択だから。
だから、
信念を持って苦しもうぜ!!
どうせ抜けられない苦しみなら、
迎え撃った方がいいでしょ。
そして負け続けてるように見えるような状況の中でも糧を得るんだよ。それを知ってるのは自分だけだとしてもさ、
それはそれで面白い挑戦だろう?
それは楽しくはないかもしれない。
でも面白くはあるんだよ。
そういうのが、できること。
それが糧を得続けることで動けない動かない人生状況下にあっても人生を無駄にしないコツなんだよ👍️✨
どんなものでも価値は見出だせるし、
やがてはそうしてくことになるんだから。
9割はクソみてぇな人生だと思いながらも
1割くらいは面白くて価値ある人生だと思っておけばいいんだよ。
勝てない時ってのは必ずあるさ。
そんな時は糧を得る負け方をするんだ。
そもそも目的は勝つことじゃない。
より多くの糧やカギを得て力を高め可能性を引き出すことなんだから。
私もすっかり人生の冬を越えられるようになった人間が板についたもんだよ。
現代では人気のある役割じゃねぇだろうけどそのマニア的な面白さや満足感はかなり高いのも事実なんだよ(*´ Δ`* )♨️
そうそう、
確か前回の記事 かその少し前らへんで
自己満足と祝福
って概念を見つけたんだよ💡
私はその2つの違いってのをわかってないんだろうし、その2つが異なるものじゃないのだとしたら私が自己満足として追い求めてきたあらゆるものも祝福になりえるわけで。
そうしたら私もエヴァンジェルできるってことなんだね!
そう、
私はまだまだものすご~く学び成長してゆく可能性を持つ人間だから現時点ではバランスの悪い部分や未成熟な性質がいっぱい残ってるんだって気付いてる。
そしてそれも時間の中で育まれ解決されてゆくものに違いないから、
私はこうして日々を積み重ねるわけです🍀
できることはあるし、
その片鱗を宿し示すことならいつだってできるんだよ。
難しいのはそれを自分で認めること。
自分を真に認めさせるための辻褄合わせや壮大なストーリーが用意されてるだけと考えたって的外れではないわけで。
自己完結型な人間である私はそういうことがよくわかるんだよ。
私はまだまだ未成熟で発達途上だけどとても稀少で面白い人物って感じなんだね。
それなら無理ないね👌✨