まだ時が満ちてないんですよね~。
いやね?
別にそんなに大それたことじゃないかもしれないし、
あんまりそういう匂わせ?
とか預言者気取りみたいな感じってのはどうかと思っていたのですが、
しかしまぁ実際、
この人生ってのはすごく遅い…………
というよりも、
正確には!
緻密に仕組まれている
感じなのですね。
だから、
もし万が一!!
先に必要な体験や学びを終えてしまったのだとしたら、
後はただ、
なるべく楽しいこと気分の良くなることをして遊んで気楽に待てばいいのだし、
早く終わったからって物事は前倒しになったりしないよ。
でも“自分は待ってる”って本当に言いたいのならいついかなる瞬間にでもゴーサインが来た瞬間に爆進するくらいの気概と準備を済ませておくことが必要だね。
って感じなのですね。
そして実際、今もその状態にあるのです。
なので、
近々わかりやすく動くと思います👌✨
………………私は、預言者気取りで何かを知ってるようなそれっぽい意味ありげな表現や言葉を使うのは過去の経験上は避けた方がいいと思っているのですが、
しかしながらこの場に限って言えば、
いくらでも必要と感じることは書き記し表現すると同時になるべく楽しむことができるやり方を選ぶべきなのです。
この場とは基本的に私の心の聖域のような物であるのだし、
そういう意味で他者の意識や思惑とはかけ離れた所にあるものだし、
そもそも目の前の現実的なことよりも、
もっと内面的だったりまだ具現化していないから本当なのかもわからないような話とか、
私が既に知ってる話を誰かに教えたり伝えるために書くことよりも、
私がまだ知らない何かしら新たな可能性を開くためのきっかけとしてまだ見ぬ自分を体験して楽しむための探求の場として活用することを私自身は望んでいるのです🙋✨
だってそれこそが最も高い所からエネルギーだとかリアリティーを呼び込む方法だし、
深い所に隠されている真実性やすごく興味深いユニークなストーリー性が明らかにされるなんかとってもミラクルなやり方だから!!
だから私は無知を恐れるんじゃなくて、
その瞬間にもどの瞬間にも新たな可能性に触れてずっと学び進化し続けてゆけるような、
そんなある意味では超未完成だからこそ可能になる学びに満ちた体験を私はすごく好んでいるし、
きっとそんな人生を愛しているんだろうなって感じられる。
だってそれが私の性質だから。
それが私なのだと知るものだから。
それはすごく心を満たされる体験……。
その満足感があればこそ、
こんな意味不明で人間向けじゃない理解も説明も受容も納得も和解や調和も困難を極める無茶苦茶な人生ってのも
喜んで受け入れられる瞬間や可能性があるってわかるから!!
だから私はこれでいい。
たぶん、すごく合ってるし、
実際、楽しんでる(笑)
嫌よ嫌よも好きのうち……
というよりは単純に、
台本とか仕掛けって感じ☆
そう、
それも鏡の向こう側の世界の可能性。
私にはどうやってもそれは見えない。
まだ見えてはいけない時だから。
でも、
知ることはできる。
見えなくても、
知ることはできるんだよ。
それが形として表れてなくても、
それが真実だと確信できなくても、
それでも知ることはできる。
たぶん私ってのはそういう存在。
そしてそう、
この場は私の心の聖域でありスピリットの力に満ちる場所だから、
意図してもしなくてもこの場に訪れる者もその影響を受けるし、
予定された来訪者だけがこの場に来るんだろうなって私はわかってる。
そうじゃないわけがないんだよ。
私はそう信じたいとか、
だから私はそう信じるとか、
もうそういう時期も過ぎたんだよ🌠
そうじゃないわけがない。
私はそう思ってるから(笑)
これがそう、
言ってみれば、
私が自己の本質である
自分らしさと感じられる自分の性質や扱い方
そうやって自分の力に目覚めるってことなのかもしれないなって。
たぶんそういうことなんだろうね。
ついに私はこの場のカラクリとか隠されていたルールに気付いた気もするし!!🙋✨
私の人生には、
そう、強いて言うなら裏と表がある。
そういう意味では、
この場のコレが裏なんだろうけれど、
しかしやや不思議なことに
順番としてはコッチが先なんだよ🌱
でもやっぱりそれは裏なんだよ(笑)
人の心の中なんて
見てもそんなにいいもんじゃない。
その人が何を愛し
何を恐れているのか?
そんな感じのものがこの場には記される。
だからそう、
コレを見る者は必ず私のスピリット……本質に触れることになる。
きっとそれはすごく当然のことなんだけど
あらゆるすべてが反転した世界においては
それは裏でしかない。
そしてそこに顕れ得るソレを正しく見るためにも反転を解かなきゃならない。
だからきっと私が表を扱う時、
それは反転している。
それは今の私には避けられないこと。
実際に私の現時点の人生状況も自分も未熟さやそれゆえの不調和感や力不足さを示すようなバランスの悪さが多く残っているから。
そんな状況下にあって、
その影響を受けないのは内なる領域……
つまりこのような場所だけ。
実際にこの場は、
最も苦しく呪い嘆かず自らの存在を肯定するために他者と争わずには居られないような状況下にあっても、
そんな状況とは全く関係ない意識や理解は確かに変わらずあった。
私にはコレが必要だし、
言うなればコレが私の本質であり本体。
私は、きっとそういう存在。
自らの人間としての存在感や具体的な実在感を無視して
自らの本質のみを示す!!
なんかそれは超自然現象みたいなもの(笑)
だから別に私はもうそんなに何も思っていないみたいなんだね☆
コレら、
鏡の向こう側を覗き込むような話だって、
時が経てば的外れな妄想というわけではなかったのだとわかるし、
実際コレの真価ってのは、
先に道を作り出すことにある。
それ以外のことはオマケ。
ただのオマケなんだよ★
なんとかの采配ってやつだね。
人間は生きるために道が必要だし、
それは前や上に進むため。
下や後ろに進むって人間は居ない。
……もし居たらそれはあんまり人間的じゃない何かしら裏側の理解によるものだから(笑)
そして私の道ってのがコレなんだよ。
たぶんソレをようやくしっかりと理解できるようになったらしい現時点の私もあんまり真に受けられるような感じじゃないんだけど💥
コレが道なんだよ。
だからコレが現れるまでは進めないんだよ
道が無いから
実際コレは、
体験の質的な先取りだと言える。
コレは思考による物じゃない、
理解するよりも先に言葉が記されてゆく類のものだからとても早い。
そこに遅れさせるような力がほとんど混ざらないから未来とかも表れ得る、
そういうことなんだよ。
だからそれが顕現者としての私の力。
必要ゆえに必然である能力。
そうじゃないわけがないんだよ。
……
そうして私は、
鏡の向こう側を見ることを認識した。
もしかしたらそれだけで、
私が抱える困難さの半分は消し飛んでしまうような物だったのかも知れない。
私はこの場において私に理解される。
まだ起こり得ない未来的な自己としての自分らしさもあるがままの自分として知られることができる☆
だからここは聖域。
常に変わらずそれが表れ得る所。
私の戻ってくる場所であり拠り所。
……そして残る半分が、
“表”であり現実の世界のこと。
……これは、
正直どうにもならない
💥/(^o^)\💥
知っても知らなくても同じだし、
知ってしまったからこそ避けられない可能性に心を折られることも珍しくない……。
そしてそれも導きであり道。
それがきっかけとなって道が浮かび上がってゆくような仕組み。。。
だからもう疑問は、無い。
あるのは内なる闘いだけ!!
自分が未熟なんだから仕方ないし、
そういう時期段階だからやるしかない。
それらはまったく同じこと┐(´∀`)┌
そういうことなんだねぇ。
ここに記された物事によって、
次の展開が起こってくる。
だからコレをさぼるわけにはいかない。
ソレをやったら私は道を見失うし、
同時に完全な自己としての記憶も失う。
……確かに面倒なのは変わらんけど、
得られるはずのものとか失う物がいくらなんでも大きすぎる!!
だから私はコレをやってるし、
それを知ってるからサボらない!!
実によくできた仕組みだよ┐(´∀`)┌
なんかもう悪魔的ですらある👻
認めよう、
私は鏡の向こう側を見てるんだよ。
ソレは決して私からは見えないもの。
きっとそれはいつになっても同じ。
でも真に望むなら知ることはできる。
そしてそれは見えることと同じ………………
それなら、
もしかしたらそれこそが真に見るということなのかもしれない。
そしてそれは聖なるビジョンに違いない。
……だってやっぱり何かが見えるわけじゃないんだから(笑)
でもわかる。
……………………それはとても不思議。
そして私の理解を越えている………………
だから楽しい!!
大満足!!
そう、
実は私とは、
未知だったり自分が理解できない可能性を恐れる者ではなく、
むしろまだ自分が知らない新たな可能性こそが開かれる瞬間を楽しみにしているような恐れ知らずな存在だったのです!!
まぁそれも、
ただハイアーセルフの基本的な感覚ってだけの話なんだけど☆
でもそれが裏と表の話なんだよ。
私はまだそれくらいズレてるんだね~。
そうやって私は私を理解できる。
しかし時を満ちさせることはできない。
きっと私はそれがず~っと越えられない壁として抗い挑み続けてきたけれど、
もうその必要もない気がしてる。
だって私は理解されることができる。
目の前の現実を変えられなくても、
変えなければいけないというその想いを消し去ることはできるから。
真に恐れがないのなら、
物事はあるがままが一番いい。
私はそれを知ってるし、
この場においてはそれは真実。
……ソレを現実の私が言葉にしてもとにかく嘘臭かったり自分が置かれた人生状況がそれを否定することも否定しようがない┐(´∀`)┌
だからそういうもんなんだよ(笑)
天は二物を与えないって感じで、
完全無欠な私のスピリットに対して、
まだまだ私の人生状況は乱れて整備されてなかったり不毛に近い道なんだろうよ。
でもそれでもいいんだよ別に。
それが最善で、
それ以上は有り得ない
ってわかるから。
だからそれ以上を願い望むのは、
実際にはマイナスになる👻
それが、私が知る理解。
すべてを言葉にすることはできないし、
別にその必要もない(笑)
私は必要なことを完全に記しながら、
ほんの一瞬の隙を見て楽しむだけ☆
この人生ではそんな二面性の完全肯定が必要だったんだろうね。
真に無罪性や聖性を知るのなら、
どれだけ罪業にまみれるように思えたとしても実際には何の問題にもならない。
鏡の世界はそれを示さないかもだけど、
望むならその先にある何かを知ることはできるんだから。
たぶん、
そこから逆流するようにして、
鏡の世界は変化される……
一掃されるんだろうなって。
だってそれが私の意思だから、
世界のすべてを染め上げる
コレがそのための下準備で、
仕掛けの内容みたいなものだから、
それはきっと可能なんだよ。
だって私にはそれが見えるから!!
たぶん、
私はそうやって現実を制することができる人間なんだろうなって。
それは一般的な男性的なやり方とはものすんのく違うけれど、
実はそっちを望んでる男性も多いはず。
いやだって、
男に生まれたんだもの。
愛することこそが生きる喜びを実感する術だから!
その本質が同じと知るのなら、
どれだけでも変化……
変態?とか変容?させられる。
そゆことっ。
私の意思は届く。
なぜならスピリットだから、
スピリットであるわたしに届くから☆
……そんな私が、
自我持つ人間に対しては強敵みたいに感じられるのも無理ないこと(笑)
だって私も同じなんだから。
恐れを知らず純粋に愛するスピリットなら
そんなこと絶対に有り得ないとしても、
恐れを見る人間にとっては
脅威そのものだからっ!!
だから大丈夫なんだよ。
誰かが恐れるなら私も恐れるんだし、
わたしが恐れなければ誰も恐れない。
なら、
私はそれを選べばいいだけ。
……それが可能なのは半分だけだとしても、
半分だけしか持たない私だとしても
全資質や能力を解放した私の半分の魅力や輝きだって実に十分に他者を魅了したり励起させるはずなんだから!!
だからもう別に、
現実がついてこなくても嘆く必要は無い。
それはソレ。
コレはこれ。
ここには私の実像があるし、
ちゃんと神聖さや聖性も顕れてる☆
まずはそれに感謝したいと思うし、
たぶんソレこそが反転させる力なんだよ、
絶対に見えないものを、
絶対に越えられない壁を、
容易く崩し消し去ってしまうそんな奇跡のような威光。
そう、
だから私は既に半分を持っている。
その自負と確信で密かに
堂々と勝負していこう
と思うんだね!
密かに堂々と。
コレほど私に相応しい言葉もあるまい。
このやり方なら実績や成果を示せずともスピリットの威光で鏡の世界を制することももしかしたら反転させて逆転(?)することもできるに違いないから!!
……何よりそのやり方なら、
表面的な物事だけを見る人間にとっては大人しく分相応な振る舞いをしているように感じられるだろうし、
それ以上のなにかを見てくれる者にはそっちを感じ取ってもらえるから!!
そうして私は密かに堂々と生き始めたのだった。
コレこそが鍛え上げられた内なる力によって世界を逆転させる聖なる術なのだっ!!
本当にそうだったらいいよなぁ~って
内心では思ってます(*´ Δ`* )
ちなみにコレも“表”的な話、
わかりやすく本題っぽい内容、
コレとか↓
コレとか↓
に対して言うなら、
飽くまで裏側の話なのです。
なので表面的には
ただの寄り道だよっ☆
って答えます(笑)
だってそれが正解だとわかるから🌠
そして私もそう思う😌🌸
不思議なことにソレは嘘じゃない。
でも真実を語らずに事実を語り示しているだけなんだね★
ソレが今できる最高の仕事なんだよ。
人(存在?)によっちゃ、
わかりやすく美しく神聖な感じのソレよりも私だからこそ示せるこの難度高めのプロセスにプロとしての憧憬を見出だしてくれる存在もいるのかもな~って感じてます✨
だってわたしはそっち側の人間……
今の私の実像は裏だけに現れるから👻✨
私は半分だって十分やれるってことを証明してやりますよ!!
飽くまで数値的には半分でもシフトチェンジしてもう半分も扱えるんだから実質100%なんだって密かに思ったりしながら!!😆❇️
そう、
コレが私の一番面白いところ。
妙味なロジックを展開して支配する。
威光で染め上げるってそゆこと。