そろそろ私は確信を得たのでしょう、
何かが急にわからなくなったと感じられるような瞬間とは、一定レベルで異なる波動だとか意識レベルだとかに繋ぎ直すべきチャンネルが切り替わる瞬間の体感だったのだと。
……そして、
それを理解して気付いた上でスピリチュアルな技術の一つみたいな感じで使いこなせるようになる必要があるんだろうな
そう思うわけです。
しかしこれ、
繋ぎ直しと一言でいっても、
脳とか意識が一回転させられるような非連続的で断続的な認識や自己認識みたいな物を受け入れ直すという行程が必要になるので、
ちょうど↑のような
行間というか謎の空白の時間とか距離みたいな隔たりがあるような、
やっぱり断続的で不連続的な認識や感覚を受け入れることになるので多分の訓練とか慣れが必要そうだなと思うわけです。
何て言うんですかねそれは、
ある瞬間に急に自分の意識がどこかに飛んでいってしまったり大きく変質したという無意識的な体感が先に来て、
その後にどんな反応をするかで体験するものが変わってくるような。
そんな感じのやつなのです。
意識の浮遊感とか言えばそれっぽいんですかね?
“それまではわかってたはず”なのに、
“何かが急にわからなくなった”ような。
なので大なり小なり混乱するわけですよ、
夢を見てたのに急に意識が覚醒して映像が途切れて無理矢理に目が覚めるような不快感に似てるような気もします。
意識が途切れるような、
意識が途切れさせられるような、
そんな“不自然さ”を体感するわけです。
まぁ仮にそれをマスターするのだとしたら
そのような体感を受ける度に自己を解放してその瞬間のあるべき自分を思い出せばいいだけ、
……とかそんな方法論や“知識”に気付く時、
それまでよりも“今この瞬間”とか言われるものが身近で現実的なものに思えるようになってくる気がしているわけです現在の私は🍀
しかし難しいのは、
早すぎる着地もできないので、
順番に転位する………………一連の流れとして示される波動だとか意識の状態を一つ一つそのタイミングごとに辿っていくということが必要になる上にそれらを同時に認識できないので必ず途切れると同時に繋ぎ直される瞬間には混乱を味わうということ!
そうですね、
ここに書かれているものは読み手もよくわかんないだろうし、
しかしその実、
私が体感して繋ぎ直されてから思考回路が再構築されて理解が追い付くようになるまでの意識の浮遊感とか混乱した感覚は非常に正確に表されているとも言えるわけで(笑)
そういう意味では間違ってないのです。
そこに表されているものは混乱して理解しきれないという感覚である
という認識があるのならそれは実際にはあまり問題には感じない、みたいな話ですね😌
たぶん“そういうの”は私以外の読み手も理解しにくくて(むしろ理解不可能なのが仕様かもしれない)私自身も“しんどい”わけです、
ソレは、
わかんない混乱した状態を実際に体感することで表現できるようになるもの
だから!
コツは集中&忍耐ですかね?
そして霊性に意識を置いて冷静に見極めようとすることを止めないとかそういうダジャレみたいなスタンスとか(笑)
しかしその一見して蛇足でどれほどに不必要なプロセスに見える物であってもたった一つでも例外を認めてしまうと途端に全体も成り立たなくなるというのが事実。
だから“集中&忍耐”なのです。
霊的な進歩をはかる一つの目安に、
どれほど例外を認めずにすべてに霊的な法則性を一貫して望み当てはめることができているか?
というのがあると言われるのですが、
まさにその通りで、
波動も調和的で意識もクリアで高次元な状態を表すに相応しい表現だけじゃなく、
波動も不調和的で意識も混濁してあまり快適じゃない意識を表すに相応しい表現にも、
それでも完全さを自ら望み見出だすことを
選ぶことができるのか?
これはそういう学びの機会だと気付いて活用することもできるのですね、望むなら。
それ自体はあんまり他人様に見せても楽しいとは思わないものだろうけどさ?
うん、
正直面白くないと思う。
だってそれを表現するために認識することになる波動だとか感覚が既に面白くないものなんだから、
そりゃ面白いわけないじゃん?
原理的に考えたら、ね?
だとしてもそれを自ら選ぶ価値はある。
それは形を越えた完全性のためだし、
霊的な進歩を表すものだと気付くのなら可能な限りソレを自分から選んで体現することになるから。
そうだね、
この時点で書くべきことがあるとしたら、
残念ながらこのわかりにくい捉えがたいものを捉えるためのプロセスは続くから
まだ集中して耐えてね☆
とかそんな言葉がいいかなって(笑)
実際それを理解するほどに避けて通れないのが現実だと知ることになるんだけど、更にそれを進んでくとそのうちなぜか全く気にならなくなったりしてくる。
だから強いていうならそれが混乱した意識を味わう時間の終わりとか区切りだし、
そこまで意図的に耐える必要がある。
それが現実だと悟るわけです😌
そもそもこれは、
現時点の私では上手く認識できず十分に理解できていない物を理解し識別していくためのプロセスなのだから、それに挑む時に直面し体験することになるのは混乱してたりわからないという感覚であるのは実は当然だったりするのですね。
超冷静に観察すると(笑)
。。。。。。。。。。
実の所現在の私は、
アイアムプレゼンス
という言葉で表現される物について意識が向けられたりソレに向けて引っ張られたりしている状態だと感じているのですが、
目下、
現時点では、
……
その話に辿り着くよりもかなり前の段階にある気がするわけですよ時間軸的な順番とか順路というか直線的な意識認識で進めていくことを選んだ場合のこのブログの現在の進捗度合いとしては!
んで、
それを理解した上でソレを書くことを可能とするためには、
まるで意識がどこかからどこかに飛んだような一応なりとも“それらしい形”を使うことによって意識さえ繋ぎ直せば違和感が無いとも言えるような表現(直線的な時間軸な認識からすればかなり先の話)も可能になる!
というか許容される!
みたいな、
私が常々体感してるような意識の繋ぎ直しの技術とか現実感を前提とした話がここに書かれてるわけです現在のコレとして🌠
でもコレ重要な知識とかテクニックだと私は思うのですよ、意識の繋ぎ直しって💡
一定以上に異なる波動領域だとか感覚感情を味わうとか言葉を使うためには、必ずそれらと一致した波動帯域に合わせられることになるのです実際に。
それらは完全に予定されているにも関わらず基本的に人間の自分には理解できないので実際には全く予期せぬタイミングや実感として経験することになるので、
少なからず繋ぎ直すための時間が必要になるのですよその技術や知識をマスターしていない時期段階の自分ほどにそれらを多く。
そしてその、
必要なタイミングごとに必要な波動領域だとか意識な自己に波動を合わせる=チャンネルを合わせる=チャネリングの技術みたいなやつを頻繁に体験するようになると、
以前みたいに長時間を一定の自己定義や波動帯域で過ごすわけじゃなくて1日ごとだったり早ければ数時間とか数十分ごとにチャンネルを切り替えることが必要になってくると、
もしかしてそんなにいちいち自分を定義付けて固定しておかない方がいいのかも?
とか思い始めるわけですよ!
だって固定するとチャンネル変更の度にいちいち解放することになってその度に混乱を味わうことになると気付くわけですから!!
だからそれならいっそのこと最初から自分という存在を固定せず流動的なあらゆる波動帯域波動領域にも対応していてそれらがいつでも必要なだけ表現され得るのが本来でそもそもそういう瞬間ごとに変化するのが本来の自分なのだと
そう認識した方が無理がなくて自然に感じられてくるわけですよ😃☀️
そしてそれがたぶん、
アイアムプレゼンス
ってやつに類するものなのだろうなと、
そう予感しているわけです💡
……
というような感じで、
いつものように何かが物凄くわからなくなった時に自己を解放したら、
今日はなんかこんな凄まじい熱量な太陽の光で遊んで、
そして“プレゼンス”について調べてみたわけですよ、ユーチューブで👁️
……その検索結果の中から特に信用できそうな極めて中立的な情報を探して一番最初に見つけたのが
コレだったのです
エックハルト・トールと言えばニューアースで有名らしい人。
……私はほとんど知らないです(*ノ・∀・`)
なんとなく読む気にならなくて。
(現在進行形)
それで、次に
アイアムプレゼンスについて調べたのです
ライトボディの目覚めの祈りの言葉の中で出てくるわけで必然として私もそれを唱えたり認識したり受け入れたりしているからなのかその知識が既にあるような気がするようになったのですね最近😃
……それで次に見つけたのがコレでした。
なんてゆーんですかねこの人、
見た目にもマスターマスターしいのに加えて纏っているオーラというか雰囲気からも信頼できる格の高い存在だとひしひしと感じさせられるような何かなわけで⚡
……でも日本語字幕の文章だったり波動なのか単純に今は見る必要がないのか途中で止めました
でも信用できるなぁってひたすらに感じるわけです、スゴイ存在感。
それで私は次にこの人の動画を見ました💡
そうそうスピリチュアルってこういう感じ!
って思いました😃💓
この動画は、
ソース/GOD
アイアムプレゼンス
ハイアーセルフ
ソウル(魂)
の違いについて説明してくれている動画のようです。こっちは日本語字幕とか無いので自力な英語力で読みました(*゚∀゚)
(聞き取るとかほとんど不可能だけどかなりハッキリと発音してくれてて音のイメージ?みたいなのもわかりやすかったです👌✨)
一番最後の上記の4つを学校?として例えたものが一番イメージしやすかったです!
ソース/GODが 学校それ自体?
アイアムプレゼンスが 校長とか学長?
ハイアーセルフが教師で
魂が 生徒
……というようなことを言っていたように思いました。
ただ、ある程度の英語読解力に加えて、
十分なスピリチュアルとかスピリットな知識も必要なのでどっちかが足りないと理解できなそうだなって思いました/(*゚∀゚*)\💥
いやでもさ!
この人の動画を見て、英語で発音されるスピリチュアル用語を聴いて改めて思ったんだよ!
ストゥアァシード みたいな音の “スターシード”
だとか、
スペリチュアー みたいな音の “スピリチュアル”
だとか、
本来のスピリチュアルって、
こんな感じ!!!!!
そう、すごく思ったのです。
どこかの誰かが(忘れた)
日本にはスピリチュアルという物は馴染みにくい
みたいなことを言ってた気がするのですが
まさにそれ!!!
(語彙力激減)
だからそう、
私は、気付いたのです。
私が思う“本物のスピリチュアル”という物を学んでゆくためには今回みたいに積極的に海外スピリチュアルとか本場のライトワーカーみたいな人たちの世界観というか質感みたいな物を調べて参考にしたりすることはとても役に立つし結構必要になるんじゃないかと強く実感したのです!
うん、だって、
たぶん日本で広まってるスピリチュアルって遅れてるというか質が違うというか
意図的にズラされてるというか⚡
たぶん錯覚じゃないと思うのですよね~。
それが悪いとは言わんのですが、
そういうのもあってズレてると私個人としては密かにずーっと感じてるわけです。
なんてゆーんですかね、
まず“音”が違うのですね。
“ライトワーカー”って言われると、
“らいとわーかー”だと?
そんなの聞いたことねぇな……
って感じるような、
何かそういうの!!
(伝われ。)
その表現すべき言葉に波動帯域が必ず一致する
みたいなことを上に書いてるじゃないですか私は。だから多分疑問に感じてるのです。
それは言語が違っても同じなのだろうか?
……感覚的には答えはイエスです。
だから意味内容を完全に追うことはできなくてもそれを真に理解した人間の発する音や表現される言葉にはそれだけで理解を促す力がある、
というようなことが言えるのですよ❇️
たぶんそれが私が上に書いたような、
特に信用できそうな極めて中立的な情報
ってやつなのです。
いわゆるそれが“マスター性”ってやつなのかなって思うわけです現在の私は😃💡
それは“光が文字や言葉に宿る”と言われるようなものでたぶん私もたまにそうなってることもあると感じてるわけです😃✨
私が知るコミュニケーションとして、
言語的コミュニケーションと、
非言語的コミュニケーション、
その2つがある。
……という知識があるのですが、
なんかそれも関係あるのかなって!
……それで私は思ったのですよ。
たぶん“プレゼンス”って今この瞬間じゃなくて“臨在”だと。
別にいいんですよ違っても。
外部的な確定済み(?)な知識を得るよりも前の段階だからこそソレについてあれこれ試行錯誤したり可能性を見たり自己の外側にあるものじゃなくて真に内側にあるものだと知ることができるという側面があるのだから、
最初から“正解”を望む必要はないのです。
だってこの世界の体験は完成させること自体が目的なんじゃなくてむしろプロセスで過程の一つ一つを味わい尽くして楽しむことにあるんだから!
そういう意味では最初は不正解を選んで無知で未知を知ってから正しい答えを知るという手順こそが正解なのですから☆
スピリットってそういう見方してるし、
たぶんその、私が言う“スピリット”ってやつがアイアムプレゼンス寄りな上位のハイアーセルフみたいなやつだと思うんだよ。
(たぶん、
↑の動画内で、アイアムプレゼンスが12のハイアーセルフに分かれて、更にハイアーセルフから12の魂に分かれる……みたいなことを言ってたような気が する
この“12”の数字は割とよく魂的な説明の部分で見かけるやつで、144000人とかの仲間なんじゃないかと私は密かに思ってる
)
あとなんか、
かなりノンデュアリティなノットセパレート な感じのことも説明してくれてたように思いました。
なんかたぶんかなり重要な話が多いんだろうなって思ったけど、無理矢理知ることはできないし必要ないし、
そんな感じで私は霊性の道を順調に進んでいるわけです🌠
……そう、だから私は気付くのです。
ライトボディの目覚めを読んで、自分も実際にアセンション症候群って感じの曖昧な肉体的な症状だとか状態よりもまさにライトボディ化の過程で体験するアレコレとか非常に具体的な経験者の話だとかを知りたいなと思った時に、
調べてみても思っていた以上に自分のハチョーに合う人とかそういう意味で信頼できて有力な情報が見つからないという予想外の事実に気付いたというか体験したのです最近!
でもたぶん?
“海外スピリチュアル勢”は日本の人よりも熱心にそこら辺に取り組んでる人も多いだろうから
つまり私は海外とか英語圏なライトワーカーから学んだり彼らの見てるスピリチュアルを知ってゆくことはとても役に立つんじゃないかと確信を得た
そういうことなのです🍀
日本のスピリチュアルが信用できないなら海外の本場のライトワーカーから学べばいいじゃない!
……じゃあ自分も信用できないのかって?
違うから合わないんだよ(ヾノ・∀・`)
日本のやつは“スピリチュアル”じゃなくて
“スピリチュアル的なやつ”
だから。
スピリチュアルって言葉に“的”って言葉を付け足すのはどうかと思う。そう思うけど、
でも実際“スピリチュアル的”って表現するのが正しい感じじゃん?
……そうして私はきっと、
かつて見ていた
スピリチュアルvsスピリチュアリティ
の構図と同じように、
スピリチュアル的なやつvsスピリチュアル
ってミスリードな観念に挑んでそれを活用していくということなのです。
それは実際“間違い”なんだけど、
でも私の体験の糧とか魂な計画としては確かに必要でそういう意味で完全で正しいことなんだよ。
その2つを闘わせない、
その2つを認識しておきながら◯◯する、
そんなノンデュアリティ的な理解や知識ってたぶん一定レベルとか時期になったら当然のように真理みたいな大前提で、
それを理解した上で人間としての自分がどのようにそれと闘わずに受け入れてゆけるようになるのかを模索してゆくんだろうなって。
だから私の話や表現自体がわかりにくかったり独特な言い回しだったとしても、わかるようになればわかることだし、そうなるためのプロセスだとしたら混乱を超えていくためにそれらを置いていくことになるのも必然。
だから私は示そう、
別に私は敬虔なスピリチュアル人としては極めて普通の人間なんだよ👌✨
そうそう、
↑のシルビアさん?
ちゃんと言ってましたよ。
この動画が良いと思ったらチャンネル登録して他のライトワーカーにも紹介してね!
って。
……そんな堂々と“ライトワーカー”って言葉を使うものなのか………………(゜Δ ゜)!!
私は、衝撃を受けたようでした。