心に映し出される光を見つめて | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

私が目指しているものとは、これまで私が見てきたものとは一致しないらしい。それに気付いたのはつい最近のことだったと思う。もし、私が目指すものとは必ず「あの感覚」を伴うものなのだとしたら、それ以外の時間は、まったく的外れなものを見ているということなのだから。
だとすれば、ほんとうに、あれを見ないで過ごしてきたこれまでの人生のすべての瞬間に同じものが存在していたというのなら、それは本当に、本当に時間を無駄にしてしまったのだろう。

私はそのことに気付いたのかもしれない。もちろん、その私とは通常自分と思っているものではないので、無意識として理解されるものだ。
しかし、急に「見過ごせなくなる」というのは、それはもうこれ以上時間を無駄にするわけにはいかないと私の心が感じるようになったということだと思うのだ。

それは四年前の自分にはまったく意味がわからなかったことであり、去年の自分には知ることのできなかったことだ。


もし、本当に求める世界を自分のものとしてゆくのなら、私は常にそれを選び続けることになる。というのも、私はそれを本気で選ぼうとは思っていなかったと気付いているからだ。
それはまだ先でいい、そう思っていた。

それでも、あの素晴らしさをこの人生に見ることができるというのなら、それを選ばないなんて絶対に有り得るわけがないんだ。だってそれは、今の自分が失ったものであり、過去に何度か目にしただけの輝かしい瞬間なのだから。
私はそれを見つけ出したいから探し求め、それが何であるのか知るために学んできた。それなら、それがどのようなものか少し思い出せただけでも、今までの自分が知っていると信じてきた、本当に無価値でろくでもない世界なんかより、確かに価値があるってわかる。

どうやらそれは本当に場所でも時間でもない、それらは関係のないものらしい。だとすれば、自分が失ったと信じていたものは、ただ見失ってしまっただけなんじゃないか、もしかしたら、本当に今この瞬間にでも見えるものなんじゃないか、
そうだったらどんなに素晴らしいだろうか。

そんなことを思うようになってきた。


私が目指してきたビジョンとは眩しい光のようなものだったけれど、それと同じものが夕闇にも見えることを知ってしまった、それを以前にも何度も見ていたと気付いた時のあの衝撃と感覚が忘れられないのだ……。


この時、私が目指すものとは見た目の形を越えたものになったのかもしれない。
だって、暗闇でしかないものに、はっきりと光が見えたりしたら、もう見た目の闇とか光なんてのは何も関係ないとしか言えないじゃないか。


きっと、もうこの世界に求めるものは何一つないということに気付いたんだと思う。そしてそれと同時に、真に求めるものとは神と共にしか有り得ないということと、それを選んで何一つ失うものなど有り得ないということに私の心は気付いたんじゃないかと感じるんだ。

だから私が見るものはすべて、私たちの目的のために使われる。今の自分がそれを正確に理解していなくても構わない。そしてきっとそれは自分は理解しないものなのだろうとも思う。
それでも思い出す瞬間に完全にわかるのだから、もう、思考は必要ではないし、私という自分の意思も必要ではないのだ。


本当に望んでいたものが本当に選ぶべきものなのだとわかるのなら、それを迷ったりためらうなんて不可能なんだ。なんでそんなことをしなければならないのかまったく無意味なのだから。
だから私はそれを選ぶよ。これまでより確かに、迷わずに。





わたしがこれからの人生、精霊を語り奇跡のコースを語っていくのかはわからない。それでも確かに、完全な行き詰まりの時に導かれ、真の癒しをもたらしたのはそれだったことは間違いない。
それまで悔いのない生き方を願い、それだけを自ら選んできたと言えるし、それで完全降伏したんだから、もう「自分」の力じゃどうにもならないってことだけは本当に、よくわかってる。

それに、そのことが本当に認められるのなら、それまでのすべての決断も報われるってものだよ。ようやくその分不相応な役目を降りられるんだからさ。



それらは経験され、手放されるために選ばれてきたものだったんだよ。
だからそれが終わるまでは決して逃げるわけにはいかなかったんだ。

「そんなものは実在しない、幻だ」なんて言えるのは、実際にそれを経験して証明してきた人だけなんだから。
それが真に望むものなら仕方ない……多少ムリしてでも、とにかく忘れてもダメそうでも、それを絶対に遂行する意思を持たせるだろうよ(笑)


説明は「それは神の意思だから必ず成される」
だけ。


……そんな自分を恨んだりね、ものすごい分裂してたもんだ(笑)
過ぎてしまえば全部笑い話になるんだろーよ。


その時のためにね、過去の自分が闘い続けてきたってんだから、もう感謝しないわけがない。そして助けないわけがない。


これらも通り過ぎてゆくもの。
一つ一つ経験され通り過ぎていけばいい。

そして私は少しずつその道のりを喜びと共に見られるようになっていく。





……そうやって、過去が解放されて、自分には何も見えなくなった時に忘れていたことに気付く。その時初めて、何なも妨げられずに真に思い出せるようになる。

そう、だからこの記事もそのためのプロセスなんだよ。過去を見つめ直す段階から穏やかで居られるようになったのなら、それは本当にすごい進歩と言えるだろうね。


このブログは自分自身のために書かれている。私はまだそれ以外の意味を見ることができない。
このブログは自分にとって本当に価値のある意味のある重要なものだ。でもそれ以外のことは知ることができないのだ。