急に、去年行っていた仕事のことを思い出した。
よくよく振り返ってみれば、それまでに自分が手に入れてきた能力がフルに発揮できていたのなら、何も難しいことなんてなかったのだと、はっきりと理解できた。
でも、その時にはできなかったし、なぜかどうしても頭が働かずに謎の震えや違和感を拭い去ることはとうとう叶わずに、限界を感じて仕事をやめてしまったのだ。
私は、やればできると信じていた。少しずつでも理解が深まり、実際に仕事も上達していることは間違いないことも感じていた。
でも、やっぱり「うまくできない」んだ。
違和感が、迷いが、混乱が、体調不良が、とにかく、とにかくうまくできない!!
…去年はそのような体験ばかりして、ひどく心が疲れきってしまったことを覚えている。そして、2年ほど前からだろうか?
まったく自分も人生も「うまくいかない方向」に進んできたと感じている。。。
最も分かりやすいのが彼女との人生観とスピリチュアリティ、言うなら霊的な視点からの優先順位や価値観がひどくズレるということが度々起こるようになっていった。
その最中にある時にはわからなかったけれど、きっとわたしも彼女も、どちらも間違ってはいないのだろうし、それはお互いの魂の視点だとかそういったレベルから見たとしても正しい選択だったのだと思える。
では、何か?
私が、人生に失敗し、愛を失い、夢に敗れすべてを失ったと感じられるような体験をしたのは、それこそが私の運命であり、真に望むべき道だったのだと、そういうことになるのではないか?
…いや、そもそもそんなことはずーっとわかっていること。しかし、私の人間としての人格はそのような身動きもできずに自ら人生を破壊してゆく様を見続けていることしかできないような世界をひどく恐れ、呪ったことは間違いない。
奇妙な感覚を味わう…自分の考えとは関係なく、最も恐ろしい経験へと自ら飛び込んでゆく意思決定をどのように受け入れれば正気を保つことができるというのでしょうか?
思えば私の人生とはそのような意味で、まったく思い通りにならないことばかりが突き付けられた。
力があれば、賢ければ、強ければ、それらも凌駕し、自ら生み出した流れで世界を染め上げることもできるのだと私は心から信じて疑わなかったから。
でも、さっき、
そう、ついさきほど。
それらは間違いなんかじゃなく、必要な経験であり、神聖な力により導かれた運命の道筋というものであったのだという理解が訪れたのだ。
これは、思考レベルで考える者には絶対にわからないことだけれど、真の理解とは一瞬にして絶対的な確信と共に現れるものなのだ。それが起こってしまったのなら、もはや疑うという意識も消え去ってしまうのだから。。。。。
だから私は認めよう。ようやく認められる。
私は無力で弱い人間だから夢に破れこのような現状に陥ってしまったわけではないのだと!!
ずっと悔いていた。
ずっと虚しさを感じていた。
私は、ただその理解が現れる時を待っていたのかもしれない。人間としての私にできることなど何もないのだから、祈るように私を生ききることしかすることはないのだから。
もし、私の人生に、神聖な力の名の下に、不調和や挫折という体験があるのだとしても、私は構わない。私の本質はそれを非常によく理解し、喜ばしくさえ感じているだろう。
うまくいかないのなら、それがそれで必ず必要で価値があると知ることができるということ。。。そこまで待たずに失敗だ絶望だと嘆くことはもはや不要なのだと、私は知っている。
私にできることはそれくらいだ。
あとは、私の人間としての人格が運命に放り込まれ翻弄され一喜一憂する様を見守り見つめ続けるだけ。
目覚めたとて、できることなんてそれくらいだったのですよ。
そうだよな、だからその神聖さを知る意識に守り導かれ私はこの人生を生きてゆくのです。それはいわゆるハイアーセルフであったり守護天使だったりするものと同質のもの。
小さき人間として一生懸命に生きる私に溢れんばかりの祝福と喜びがありますように。。。
本質が目覚めそれらを理解した、
それなら、俺の方にだっていい影響があるかもしれないよね!?
…とか思うのが人間としての俺なのです
なんていうかな、小さいしアホらしいよね(笑)
でもそれが人間らしさってやつなんだなーってわかってきたよ。みんなそんな感じだわね(笑)
本質は大きくて聡明だから、
人間としての自分はアホでも愚かでも無知でも無力でもいいよね?って思えるようになるのは、割と伝統的な霊的な教えだったりするみたいなんだよね。
そうやって人間としての小さな自分を受け入れられるようになりたいと思ってスピリチュアルを必死こいて学んだり探求してたんだよ。
大成功だね、やったねオレ!!
(*´▽`*)
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