まだまだ練りが甘い気がしてならないけれど、
「恥ずかしさ」について洞察していたのですよ。
必要な気はしていたし、なんとなくわかってはいたけれど、今まではうまく理解できなかったというか。
で、ようやくその説を確信できたのでシェアということなのです
オレ自信恥ずかしさを感じる経験ってのはたくさんあって、
というかほとんどが恥ずかしいと感じられるものだらけな人間だったのですが…(^^
よくよく考えてみると、
例えば何か新しい服を着てみたとか、何かイメチェンをしたとか、それを他人に知られるのは恥ずかしいわけで。
でもそれに何の反応もないとなんか、悔しい…
という、どっちなんだよ!!って感覚はわかる人も多いことでしょう
でも、そのイメチェンして恥ずかしい!!ってのも、そのうち慣れるんですね。
そりゃ当然です。人間は脅威的な適応能力(?)がある生き物ですから、そのうち新しい自分も自然になるんです。
そうなればもう恥ずかしくないわけで、というかそんなものは当たり前になりますね(笑)
じゃあなんで、そんなにも「あの時の自分」は恥ずかしかったのか…?
という疑問が出てくるわけです。
なぜでしょうか?
それはどうして?
なんていう筆談みたいなことをして分析した結果、今の自分にはない「本来の自分らしさ」というものを感じているから
という感じです
これはつまり、一つの通過点であり、自分らしい自分に近づくための出来事のようなものだと言えるのではないかと。
「なぜそんなに恥ずかしいのか?」
これにはいくつか答えがあると思うけど、
・愛が溢れてしまうから
・新しい自分(本来の自分らしい自分)にときめいてしまうから
・魅力を感じるから
って感じで、オレが出した答えは、
今までの自分という固定観念を破って、新しい自分らしい自分というものを予感しているから
ということだと思うのです
なので恥ずかしい!!と感じられるものは、実はまだ眠っている「自分らしさ」というものが、固定観念やブロックでせき止められているものを押し退けて、表に出ようとしている!!
というわけです。
なので「恥ずかしい!!」と感じられるものには本来の自分へと近づくための何かが隠されている…
そう考えれば、「恥ずかしいことは悪いことなんかじゃない!!新しい自分へ生まれ変われるという素敵な未来へのサインなんだ!!」
って思えて、その恥ずかしさを受け入れて挑戦してみる価値はあるでしょう?
オレの人生経験上、その恥ずかしさが強いほど自分の中でブロックされてる喜びってのもまた強いと思うんだ。
だから恥ずかしいってのは愛と喜びが内側から溢れて新しい自分が解き放たれそうなんだ、って思えば
嬉し恥ずかしな素敵なイベントみたいに思えてなんだか受け入れやすくなるでしょう?
ハートが開かれて愛が解放されようとしている…それは恋愛の初期状態に似ているなと。
恥ずかしさは素晴らしいものです!!