希望回復作戦 | リアル異世界おじさんブログ

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滞米14年の研究者から転生して現在異世界で教授生活

ということで、東北小旅行が終わり、先ほど両国に戻ってきたのであった。

 

某市で、学部時代の恩師と会い色々と励ましてもらう。その後、某市でブログ経由で知り合いになった某オタク友達と交流。毎度のように皆ちゃんと社会人として生きているのだなあと感じて、彼ら彼女らは、根無草の人生を送っている私には眩しく見えるのであった。海外生活が長くてしかもちゃんと仕事で結果を出してゴイスーです、とたまに言われるのであるが、それは逆で、日本で生きていけないから「仕方なく」ガイジンとして異国で「無責任な」生き方をしているだけ、なのかもしれない。まあ、それを突き詰めても仕方ないから、これが俺流なのだろう。少なくとも誰にも迷惑をかけていないし(多分)。

 

耳鳴りとフラフラはまだ続いているのだが、八甲田山と岩手山の雄々しさに触れ、宮沢賢治の原稿に励まされ、恩師や新たに知り合った某氏に話を聞いてもらったりして、気持ちは少しは楽になったように思える。少なくとも、少し前のように拒食症のような症状はなくなり、耳鳴りはしつつもフツーの生活が送れるようにはなった。明日一応医者に行くけれど。

 

自分の今後について考える。あるいは、今後の人生に諦観ではなくてどうやって希望を見出すのか、について考える。そういえば、希望、なんて言葉随分と久しぶりに脳に浮かんだような気がする。50歳をすぎた私には「希望」は必要なく、大事なのは金と健康と時間と仕事のアウトプットと忍耐とか諦め、だけだったのかもしれない。希望はなくても大人は生きているのかもしれないけれど、それはとてもつまらなくて意味がないような気がする。だから、希望がなくなった私は空っぽになってしまったのだ。

 

先日会った大学時代の友人にハルキムラカミの「ハードボイルドワンダーランド」のラストは良く分からない、と言われたのだが、私はあのシーンは全ての村上作品で最も好きな箇所であり、それはそこに「勇気」を感じるからである。そして、おそらく希望を抱くには勇気が必要である。

 

なんてことを帰りの新幹線の中で考え、結論としては、つまり(54歳で人生にくたびれてしまった)私は勇気を持って水の底に飛び込む決断をするべきなのだろう。希望を回復するためにはそれしかない。明日から希望回復作戦を始めよう。