空即是色(13)「悟り」は特別なことではない(PC版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

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「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

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「悟り」は特別なことではない


「悟り」 を 生涯の目標として修行し目覚め そして それを深めた人、
  または   突然のように強烈で不可逆的な 目覚めを経験した人は、
     「スピリチュアルティーチャー」 となる道を選ぶか または選ばされることが多いようである。

  そして「悟りを伝える」ことが 彼らの 「目覚めた後の 悟りの生き方」 となるのだが、
                                                                             その 「伝え方」 は  人により様々に異なっている。

  一方、目覚めなど必要としない人々もいる。        目覚めや悟り という言葉を使わず 
    特別な修行などしなくとも、「人生において もっとも大切なものは何か」 と 誠実に追求して 
            それを理解し、 「普通に暮らしている人たちが いる。 それもまた 「悟りの人生」であろう。

」 非二元」 を理解せずとも、 つまり「目覚め」ずとも、
                     人間として「正しい(適切な)生き方(悟りの人生)」送っている人たちが いる


  ホモサピエンスは  思考:虚構という能力を使って、生に付随する  を克服しようとしてきた
  それが文明の進展の形であるとも言えるだろう。文明は、 非リアルな虚構とともに発展してきた。

  しかし「は 減ったかも知れないが、 代わりに「苦悩が 増えてしまった
  結局のところ  人類の営みは、  たんに 「」  「苦悩」 に変換し続けてきただけなのかも知れない。

  そのように文明に翻弄されてしまった人たち」 には、「目覚め」 が必要になった
  だが そこに巻き込まれることなく、目覚めなど必要としない人たち も たしかに存在している

文明毒された 目覚めが必要な人たちには、
          そのような 目覚めが不要な人たちの真の姿が見えていない。

  だから、周囲の人たちを凡夫と呼んで  一括りにしてはいけない。
  凡夫は 目覚めてはいないかも知れないが、 
                                          その中には すでに正しく生きている人たち」 がいるだろう。

  しかし 文明の進展とともに そのような人たちは少なくなってしまったのかも知れない。
  文明(思考・虚構)が 「目覚めを必要とする人たち」 を増やし続けているように見える。


  大切なのは目覚めではなく、 「悟りの方 なのだ
悟りとは  小難しいことではなく、
                             「人間として正しく(適切に)生きる」 という  それだけのことである

「わたし」 は 文明に毒され、虚構の中に生き続けて
            「正しい生き方」 を知らない凡夫であったが、他の人たちもそうだとは限らない。

  平凡な日常の中に悟りがあり、 その日常を正しく暮らしている人たちいるではないか。

  自分が 虚構の夢から目覚めると、周囲の人たちが すでに悟っていたことに気づく。
  非リアルな虚構の世界を構築することなく   たしかな リアルな日常の世界に留まり続け、
                                             リアルな   適切に対処して 生きている人たちが いる。

  そのように 目覚めなど必要としないで 悟りを生きている人たちいることに 気づく。

  その人たちは、  「小さな苦」に適切に対処しながら
                                              「小さな悟り」を少しずつ積み上げてきたのかも知れない。

                         目覚め」 は   悟りの必要条件ではない


サンカーラ承認欲求)」を 肥大させ過ぎてしまった人たちや、
  あまりにも過酷な外部環境の中で とても辛い出来事に出会ってしまった人、
  そのために リアルな 「苦」 から目を背けて 非リアルな 「虚構の夢」 中に入り込まざるを得ず
」 苦悩」 に変えてしまった人たちが、 「苦」 ではない「苦悩という 苦しみ」 の中にいる

  そのような「苦しみの中にいる人にだけ、  「虚構の夢」 からの「目覚め」 が必要なのだ


悟りは特別なものではないし、  声高に叫ぶものでもない。
                                                           難しいことは 何もなく、   本当はシンプルなことだ。

(理屈で分っている)当たり前のことを(骨身にしみて)「当たり前だと認め
                         24時間・365日  忘れないでいて、ただ それを実践するだけのことである。

                    「悟り、 再び「承認欲求の手段 と化してはならない



(最終改訂:2024年3月11日)