色即是空 (9)「わたし」が生まれる仕組み(PC版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

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「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

「わたし」が生まれる仕組み

 

  五蘊では         3)想    → 4)行 → 5)識
  十二縁起では  1)無明 → 2)行 → 3)識   と表現している内容は、
  (無明:思考)が 世界を意味づけて、
  その意味を追求する行の実行主体として:自我:エゴ」 が生まれたということである。

  つまり、世界と 出来事の是非 のジャッジを行い 意味と価値を与える思考
       自分自身に対しても同様に作用して自我を創り、「」 それを守ろうとしているのだ。

」  わたしの 「あるべき姿」 を規定し、 「」  「あるべき姿」 になろうとして努力する
」 とは     その あるべき姿」 のことである。

あるべき姿」は 他者と同じ「普通の姿」 であってはダメで
                                                                             「特別な 何ものか」 でなくてはならない

  自我(識)とは、「わたし」 という感覚
  自分と他人は違っていて自分だけが特別(善)であるという自己中心的な(self interest)感覚
                                         分離・限定され 孤立した 視野の狭い自己イメージのことである。

  そして 誰にとって 「善い」 のかと言うため、経験の意味づけを より強固にするために
                                                                      「わたし」 という主体を 後づけで生みだした

「〜する」  「〜である」という述語だけでは 落ち着かず、   誰々という  主語を持ちだした

  思考にとっても 行サンカーラにとっても主体【識】が必要なのだ

  わたしたちは 主語なしで考えることが難しく、
                                  主語 人類が採用した 思考(言語)システムに必須のものなのだ。
 

「わたし」という概念を創りだし、自然から 「わたし」 を切り分けて、
  世界(自然)を客体 わたし(自我)を主体としたことが 「分離:無明」 の始まりなのだが、
       「主 / 客」 という言葉も また、思考が生みだした 非リアルな 対になる概念に過ぎない。

「わたし()」が、世界は こんなところだと 「思い込み」【
                                                            「あるべき世界」 を目指そうとしている【

  自然を客体と規定したことにより 自然は介入されて操作されるものとなり、
                                                                             農耕・牧畜という文明が生まれた。

  農耕・牧畜という文明の誕生によって  自然は「わたし」 と対立するものとなり、
わたし」 は 自然から排除されてしまい、 
      非リアルなものとなって リアルである 故郷を失、  根なし草になってしまった

  リアルな 「自然性:根」 を なくしたために
              非リアルな あるべき世界  あるべき自分  追求されることになった


  成長の過程で たまたま出会った 特定の状況下の出来事から、
  これは善い正しい)・ これは悪い間違い)・これをしてもいいこれはしてはいけない、
    教えられ 自ら学び 一般化 普遍化して あるべき世界  あるべき自分 を創りあげた

  それを「自分の」 見解・願望・信念とする 条件づけ(洗脳が成立した

  そのようにして こり固まった価値観を創りあげ、
                                                 それに合わないものは 自分を不幸にする と信じ込んでいる。

  条件づけされたもの(思考体系・世界観)は、過去の経験の 積み重ねである。
  そのときは それで善かったかも知れないが、それが  この先も ずっとそうだとは限らない

  過去の経験を適用してはいけないできないいまもある
                                                     自分の人生の 特定の過去の部分縛られては いけない


  そして「快(善い)」に結びつく要素まとめて「わたしとし
                                            「不快(悪い)」を呼び起こすものを そこから除外していく

  そのようにして「わたし」を構成する要素(役割・立場・価値観など)を増やし、または 
  減らして、限定され条件づけされた「ライフスタイルを持った わたし」を創りあげる。

  時代により、家族・社会・国家・文化・言語などにより さまざまに条件づけされ、
                     鎧をまとった  価値や意味の塊としての  表のわたし(仮面)」ができあがる。

  それが自己イメージとなり、承認されるべきわたし」となった。

  条件づけられた考え方が 習慣化して「わたし」の常識となり、
        その「わたし」にとって 当たり前の考え方を基にして 反射的な行動が起きている。

  一度 立ち止まって、その常識・「わたし」の考え方見直してみてはどうか

わたしとは、「わたしの考え方のことであった。

  自己イメージも また
                            自分が自分に付与した  「非リアルな 仮のもの」  でありもとは

「空」であれば、そんなものこだわることもない だろうに。



(最終改訂:2022年11月17日)