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人の心の中は、「意識の座」の上に「感覚」または「思考」という「要素」が載っている
(感覚 or 思考が、 何ものかによって認識されている)
「座」の上にある それらの「要素」を 五つに分類したものが「五蘊」 であり、
五蘊ごうんの 1番目と 2番目が「感覚」であり、3番目が「思考」である。そして
4番目と 5番目は、思考から自我(という わたし)が生まれる過程を表している。
1・2番目の感覚は 現実を反映した「リアル」なものであるが、
3番目の思考以降は すべて 直接の現実を頭の中で変換した「非リアル」なものである。
【名色分離智を参照】
五蘊
五蘊という言葉がある。
五蘊とは、色→受→想→行→識という 五つの概念(要素)の流れをまとめたものだ。
識とは、 「わたしという感覚」 「わたしという意識」 である「自我:エゴ」のことで、
五蘊は 自我発生のメカニズムを説明するために、
色から 識が 生まれる 様さまを、順番に並べている。
「色」とは 体 のこと。そして、体 の 「感覚器官」 のこと。
その体(の感覚器官)が 何らかの刺激を受けると、
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という 五種類のリアルな一次感覚が発生し、
同時に 気持ちいい感覚(快・楽・好き)か、または
不愉快な感覚(不快・苦・嫌い)が 即座に・分かち難く発生する。
もしくは、快も不快も発生しない(不苦不楽)こともある。
この 快(楽)・不快(苦)・不苦不楽 の 三種類の二次感覚のことを 「感受」 と呼ぶ。
この「受」も、「色」という一次感覚に付随する リアルな感覚である。
「受」が発生すると、思考は この「受を生じさせた 状況・出来事・他者 または
自分という人間」を判断・評価(ジャッジ)して、
それに「善・悪」 「優・劣」などという 対になる 非リアルな概念を与える。
この機能(もしくは 与えられた判断)が 「想」 だ。
一般的には「快」の状況は 生存に有利で、「不快」の状況は 生存に不利であるため、
このはたらきは 個人が社会の中で生きていく(サバイバルの)ための戦略の基本になる。
その目的のために、
この善/悪(優/劣)の判断を複雑に組み合わせて 価値観・世界観・思想体系を創りあげ、
人は それをもとに自分の意見・見解を表明し、
そして それを自らの指針として生きていくことになる。
これは あらゆる生き物のなかで 人類だけが手に入れた 生存戦略・問題解決能力であり、
たんに「思考」と呼ぶよりは
「認知機能」 とか 「認知的思考」 と呼ぶ方が 分かりやすいだろう。
「認知」 とは、 対象を概念化し(名づけて)その価値や意味を判断・評価することで
「比較」 し、「より良い」 と思われる行動に結びつけるためのものだ。
そして サバイバルのために、「善」を追求し「悪」を否定しようとする。
この追求 または 否定の意志が「行」である。
この「行(サンカーラ) 」は、
なにか(追求/否定)を行う際の 強力な動機づけ(意志)となり、努力の根拠となる。
それをもとに、みんな一生懸命頑張るワケだ。
「ちゃんと ~しなければ」と、みんな 頑張っている。
「善」は、本来 サバイバルのためのものであったが、その後 独自に進化・増大して、
ときには、日本の「武士道」のように 肉体の死を超える(以上の)価値となった。
そのような、
「価値観」と「努力する意志」を備えた 非リアルな 個人である感覚のことを 「識」と呼ぶ。
この「識(『わたし』という意識)」が「自我」と呼ばれるものである。
そのような 価値観と意志を持つ
「非リアルな主体」 として 定義されたものが 「自我(というわたし)」 であり、
それは 自分で、 「自分とは このように特別な:非リアルな何ものかである」 と思い込んでいる
「自己イメージ」 のことである。
サンカーラは 世俗世間での パフォーマンスを高め、 「世俗的な成功と幸せ」 をもたらしてくれる。
もちろん それ自体が悪いわけではないが、それに囚われ
(つまり、 自分の 「仮の」 世界観が絶対だと思い込んでしまい)
それが「識」全体を支配して 自我が肥大してしまう
(わたし=自我=想と行の成立:同一化・フュージョンの確立:想行識複合体の形成)と
苦悩を引き起こしてしまうことになる。
しばしば 世間的に成功した人が 幸せそうな陰に苦悩を抱えているように見えるのは、 そのせいだ。
(真の欲求でない サンカーラに基づく非リアルな)
努力(を)し過ぎて 疲れ果ててしまうこともあるだろう。
「ちゃんと ~しなければ」と、みんな 頑張り過ぎているのではないか?
サンカーラを生みだすものは、価値判断を伴う 「想:認知思考」 という機能だ。
だから、学校教育などで 認知機能を強化することは 様々な「問題解決」 に役立つ一方、
気をつけないとトレードオフ的に「本当の幸せ」を邪魔してしまう。
したがって「本当の幸せ」のためには、認知機能の過剰な肥大化を防いで、
座の上の要素のバランスを 適正に保つ必要がある。
「考え過ぎない」こと、非リアルに偏り過ぎないこと、
リアルと非リアルのバランスを取ること、そういう必要がある。
世俗的に成功した人は、非リアルに偏っている傾向があるようだ。
意識(心)の座の上には、ある瞬間に、5種類の一次感覚のうちの一つか 思考か、
つまり 六つの要素(六境)のうちの たった一つしか載らない【触】
したがって 認知機能の肥大化を防ぐためには、
座の上の要素を「思考ではないどれかの感覚」 にして 思考から離れる時間を増やしていけばいい。
そうするためのトレーニングが、瞑想なのだ【瞑想を参照】
考えるヒマ があるなら、 何かをする 方がいい。「する」 ことで「考える」 ことから離れることができる。
それもまた、瞑想なのだ【三昧:サマーディ】
考え続けていては イケナイ。 辛くなったら 考えるのをヤメロ。 過去や未来から いまここに戻ってコイ。
瞑想のトレーニングによって 過剰な認知機能を抑えて
非リアルな思考と リアルな感覚のバランスを 適正なものに戻すことで、
「本当の幸せ:平穏」 を取り戻すことができる。
参考ブログ記事1:
心の構造と状態(04)行(サンカーラ)の分類
参考ブログ記事2:
心の構造と状態(05)五蘊のバリエーション
(最終改訂:2022年11月3日)