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カンポンさんの説法 〜流れを超えて〜 19
気づきを高めるのは、
ポジティブ思考になるためではありません
前回の18話の内容は、
ポジティブな見方が幸せにつながる ということだったが、
今回の話の内容は、
ポジティブ or ネガティブという 「二元の見方」 を超えること
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今日もそうですね。
みなさん、
私が 最初にこの壇上に上がった時には、
みなさんのお顔、とても険しかったですよ。
この障害者、何を話すんだろう?
と思っていらっしゃるような顔でしたね。
でも 今のみなさんの顔、
さわやかに 明るくなっていますよ!
私は さっきと同じように
ここに座っているのですけどね(笑)
あらゆる物事を より良く受け止め、
とらえることは 可能なんです。
逆に、悪くとらえることも 可能。
ポジティブに受け取るか
ネガティブに受け取るか、いずれにせよ、
それらは 正しいものではありません。
なぜなら それは、
仮なるもの、だからです。
【ポジティブ/ネガティブというのは
二元的な(片方の極を示す)見方。
非二元的な視点では、
二元的な視点は「仮のもの」 であるから
「正しくない:真実でない」とみなす】
私たちは、
【二元的視点である】ポジティブ思考でも
ネガティブ思考でもなく、
【非二元的視点である】真実思考をしていく
【にシフトする】ことが大切です。
真実とは なんでしょう?
良い悪いは、
常なるものではありませんよ。
【仮なるもの:無常です】
ですから
その【善/悪の】いずれにも執着しないこと。
【が真実思考です】
【真実とは、
[善/悪・優/劣などという評価・判断は
移りゆく 仮のもの(無常)であり、
実体のないもの(無我)であり、
思考が創りあげた 「虚構・幻想」 である]
ということである。
真実である 非二元的視点が理解できれば、
二元的視点である 良い/悪いに
執着しないでいられる。
二元的世界(世間という日常生活)において、
良い/悪いという視点を
完全になくすのでなく、
執着しないということ。
「完全になくす」ことと
「執着しない」 ことの違いは
とてもとても重要である】
正しい ー 間違っている
良い ー 悪い
徳 ー 不徳
善 ー 不善
それら【対になる 対立する価値概念】に
しがみつくことはできません。
それらは、
それらのままにして【価値に執着しないで】
おくのです。
それらの【に基づく】感情を 超えていくのです。
【決めつけを】超えていく ということ。
【適切な喜怒哀楽を超える 貪や瞋という】感情、
それは 思考にはまりこんで
良し悪しを 決めつけてしまうこと
から生じます。
【貪や瞋という】感情、
それは この【二元の】世界の【でのみ発生する】
ことです。
しかし
もし 私たちの気づきが間に合えば
【以上のことをしっかりと理解していれば】
ポジティブにも、ネガティブにも
執着することはありません。
世界【世間】の、
その上にいることができます。
【 「世界の流れ」 を 超えることができる。
ネガティブだけでなく ポジティブにも
執着しない 非二元的視点を得ることで、
二元的世間を「超越」することができる】
気づきを高めることは、
この世界の真実から学ぶということです。
気づきを高めていくと、 智慧が生じてきます。
この世界の真実は こういうものなんだと
知ることができます。
すると、
そこに しがみついて
苦しむことが なくなります。
手放すことを 知ります。
世界に振り回される、
その上にいる【二元の世界を超越する:
善/悪という評価・判断を相対化する】ことで
心が自由になっていくのです。
【わたしたち(と その世界)は、
二元と非二元という 二つの視点からなる
二重構造をしている、
という真実を知ることが智慧。
非二元を知ることも 智慧(A)だし、
二元と非二元の二重構造を 知ることも
智慧(B)だが、
Aの智慧は 途中の智慧であり、
Bの智慧が より重要な 最後の智慧である。
この智慧があれば、
しがみついて 振り回されることがなくなり
(つまり、 手放すことが できるようになり)
自由になる(解脱できる)
Aの智慧だけだと
世間を失い 世間から失われたままだが、
Bの智慧があれば
再び 世間に帰還して 生きることができる。
わたしたちの生きる場所は、
この 「世間という形」 でしか存在し得ない】
気づきを高める瞑想法の基本は、
【無理にではなく】努力精進し【待ち】
気づき:サティ と 正しい知:サンパチャンヤ を 持ち、
この世界の良し悪しを 超えていく
ということです。
【正しくは、
気づき(正念)と 受容(正定)が 瞑想の基本。
「正知」は その結果 智慧が生まれること。
智慧が生ずれば、
この世界の良し悪しを超えていける】
気づきを高めるということ。
それは 私たちの心を、
平安な、平常な心へとケアしてくれます。
良し悪しに条件付けられた
【貪瞋という】感情に頼る必要はありません。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
浦崎感想
ポジティブ思考でも ネガティブ思考でも
ない【二元的思考を超える】真実思考!
私は修行を始めた頃、
瞑想修行をすれば
すべてがポジティブに受け止められる
ようになって幸せになるのだ、
と思い込んでいました。
【非二元的視点を持てば、
「仮の二元的視点」を
自由自在に変えられるようになるので、
「仮に」すべてを
ポジティブに見ることもできるようになる。
そういう意味で、
二元的世間を 「幸福」 に生きることもできる。
だが 真の「幸せ」は、
「非二元的視点」を得て、つまり
ポジ/ネガに拘らず・二元の視点を超えて
すべてがありのままでOKだ と知ること】
なので、
瞑想修行をしても まだネガティブな思考に
惑わされている自分はダメなんだ、
もっと修行をして
ポジティブな自分になろう!
という思いでいました。
しかし、そう思えば思うほど、
ネガティブさが許せず、
かといって
自分がポジティブになっている時も
妙な明るさに酔っている感じで、
疲れていました。
【これが
ポジティブ思考に「囚われている」状態】
だんだん 心のその微細な動きに
気づけるようになってきた時、
このカンポンさんの
いずれでもない 【非二元的】真実思考、
という話を聞き、
目から ウロコが落ちまくりました。
その時の、 何と 心が軽やかになったこと!
【 「こだわり・決めつけという 重荷」
を降ろすと 心が軽くなる】
ポジティブにも はまりこんでしまうと、
自分を圧迫し、他者を圧迫するものとなる
のだということを、身にしみて感じました。
ところで、
ブッダの教えの大切なポイントは、3つ。
1)悪しきことをなさず
2)良き ことをなし
3)心を 清めていく
1)と 2)だけではなく、この 3)が
まさに カンポンさんが
おっしゃっている部分だと思います。
【 1)と2)の二つは、
二元の世間で生きていくときの「指針」
もう一つの 3)の「心を清める」とは、
二元論から離れて 非二元の視点を持つこと。
3)の 非二元の視点を持った上で、
もう一度 二元的な
意味・価値に色どられた(彩られた)
世間(色)において(戻り)
悪しきことをなさず 良きことをなしていけ
と、 そう ブッダは言いたかったのだろう。
だから 本当は、
大前提としての 3)を 最初に置くべきだ。
3)なしに、1)と 2)だけだと、
その悪しきことと 良きことに「囚われて」
苦しんでしまうことがあるだろう。
つまり ブッダが 真に言おうとしたことは、
「善悪二元論を離れた上で
悪しきことをなさず 良きことをなす」
ということになるから、
それが どれほど難しいかが分かるだろう。
これは いくら頭で考えても、 分からない】
(最終改訂:2022年6月1日)