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カンポンさんの説法 〜流れを超えて〜 1
障害は「機会が訪れた」ということ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私自身の体験を、
皆さまに お分けしていきたいと思います。
私は 今日、
「流れを超える」 というテーマを いただいて、
お話をさせていただきます。
流れを超える というのは、
どういうことなのか?
皆さまの中には、
きっと 話を聞いているうちに、
疑問を生じられる方も
いらっしゃるかもしれません。
なぜなら 私は、 【仏教の経典ではなく】
自分自身の体験をもとに
お話しさせていただくからです。
いくつかの言葉は、
教科書【経典】に沿った言葉ではない
かもしれません。
でも 私は、教科書から逸脱してはいない、
と思っています。
なぜなら、私自身が体験したことを、
ありのままに 素直に
お伝えしようと思っているからです。
【 「悟り」は普遍的なものだが、
「悟り」にいたる道は
きわめて個別的なものだ。
教科書は 参考意見にしか過ぎず、
自我ではない 自らを 島とし・灯明とし・信頼して、
自分の足で その道を歩かなくてはならない。
信頼(サッダー)の反対語は、
五蓋(道を妨げる五つのもの)の中の 「疑い」である】
私は この人生の長い期間を、
通常とは違う体の状態と共に、
過ごす機会を得ました。
皆さま 見てお分かりのように
【カンポンさんは 車椅子で話している】
私の体は 不便な状態で、
この人生を歩んでいます。
こうした人生は、
苦しみに関するあらゆる知識が生じてくる
んですね。
いろんな障害【苦】がありますからね。
そして 心を悩ますようなこと【苦悩】も
生じてきます。
しかし、障害も またよし、
苦しみ【苦】も またよし、
ということも知ることができる
ようになったのです。
障害【苦】を持つということは、
心を 消耗させ、人生を すり減らすことと
イコールではない ということを知りました。
【 「苦悩」は 心を消耗させ人生をすり減らすが、
「苦」 は そうでない ことを知った】
いろんな障害がありますよ。
でもそれは、
「機会が訪れた」ということなのですね。
どんな機会でしょうか?
それは、 「自分自身を振り返る機会」です。
自分自身を振り返る機会が、
たくさん訪れてきました。
【苦しみに出会うことは、
自分を見つめる機会が 訪れたということ。
なぜ、 そう言えるのか? そして、
どうやって 自分を見つめるのか?】
私は 障害を持つ前、自分自身のことには、
そんなに関心がありませんでした。
外側のことばかりに、興味を持っていました。
自分自身を振り返るなんて、
やっていませんでしたね。
しかし 苦しみが生じた時、もう
外側を見ることができなくなりました。
なぜなら、外側に苦しみはなかったからです。
苦しみは、この私自身、私自身の内側に
生じていることが はっきりしていたからです。
【ここがスタート地点。
このスタート地点に 立てるか? どうか?
苦しみは 他の誰のせいでもなく、
過去の何かのせいでもなく、
「いま」 の自分自身の問題だ
と捉える勇気を持てるか? どうか?】
ですから、自分自身を
振り返らざるをえなくなってしまった
【自分を振り返る機会が訪れた】んですね。
【カンポンさんは 16年間苦しんだ後、
自分を振り返る勇気を得た。
その「勇気」は 瞑想によってもたらされ、
振り返る作業を支えたのも 瞑想であった。
そして、
その瞑想に真剣に取り組ませたものは、
16年間の苦しみであったのだろう】
学びました。
自分自身のいのちから学ぶ
ことが できたのです。
自分自身を感じる、ということを通してです。
【 「感じて・学ぶ」とは、
知識(本・言葉だけ)としてではなく
実感として学ぶということ。
「目からウロコ」状態を 「体得する」こと。
苦しみに出会ったときに
多くの人たちのすることは、
本を読む・話を聞く・
頭でどうしようかと考えること。
そうではなく、 自らの実践を通して
そのときの心の在り方から
感じて・学ばなくてはならない。
その実践を担保するものが「瞑想」である。
カンポンさんは
16年後にやっと瞑想に出会ったが、
16年間の苦しみがなければ 本当の意味の瞑想に
出会うことはできなかった のかも知れない】
すると、 人生というもの いのちというのが
何であるのか、理解できるようになりました。
体について 理解し、 心について 理解する。
【体と心 ・ 色と名 ・ リアルと非リアル ・
ありのままの現実 と 概念(意味・価値・解釈…)
を理解する。
その違いを 理解する。
「いっしょくたに(一体化)」しないで、
分けて理解する(名色分離智)
すると、 心が どんどん変化していったのです。
新しく人生が開けていきました。良き方向に、
人生が、 いのちが、 向上していったのです。
【自分なり(だけ)の
世界と自分自身の確信を得ることによって、
人生の在り方が 良い方向に変わって行った】
この人生の価値が 見えてきました。
苦しみに出会うことの意味が 見えてきました。
苦しみは 私に、たくさんの知識と経験を
与えてくれるものとなりました。
【ここでいう「苦しみ」は、
「苦」 と 「苦悩」 の両方を指している】
【多くの人たちが 苦しみに出会っているのに
スタート地点に立てず、
もしくは 立ったとしても
正しく 「感じて 実践して また感じて 学ぶ」
こと ができていないように思える。
人を変え 成長させてくれるものは
楽しい経験ではなく、
できれば出会いたくない 苦しい経験だ。
「苦労は買ってでもしろ」 とよく言われるが、
「成長を目的として、 買ってする苦労」 程度では、
本当の成長には つながらないだろう。
いま 耐え難いほどの辛い経験をしている
人がいたとしたら、 きっと その経験こそが
その人を成長させてくれるだろう。
今は信じられないだろうが
諦めさえしなければ きっと、
その人は 成長して
新しい自分と世界を手に入れられる】
(最終改訂:2024年3月28日)