高野山参詣で古来利用されてきた温泉旅館「南天苑」へ行ってまいりました。とにかくあたりは山。小川がサラサラと。南天苑には広大な庭園があり、その広さは3千坪となっています。自然の中に居させてもらうといった感じです。
 
 南天苑は大阪市内から南海高野線で「天見駅」下車、徒歩1分。旅行にしては近いと思いますが、その分旅費を抑えることができます。低い予算で楽しめる旅行を探していたあたしにはぴったりです。大阪の河内長野市ですが、あたしのような都心部に四六時中いる人間にとっては、別世界です。
 
 宿泊した東雲(しののめ)の部屋には、プライベートな庭がついており、都会人にとっての憧れの生活を堪能できるようになっています。遠く近くで野鳥のさえずりが聞こえ、その奥には風が抜ける涼しい音色、足下では蛙が歌う、そんな部屋でした。当日は雨が降っており、雨音に奥行きがありました。部屋から眺める景観は、四季折々の姿を見せてくれそうなものでした。
 室内、ロビーとも昨今増えている和モダンではなく、あえて和で統一。却って新鮮でした。
 
 料理は天見の気候風土に育った食材を用いた懐石です。料理はセンスだと思うあたしにとっては、満点と言えます。高級食材ではないにしても、センスによって素材を生かし、また楽しませるものとなっていました。お酒は山田錦100パーセントのオリジナル日本酒・大吟醸南天苑を頂きました。山田錦を使用しているだけあって、折り紙つきの味、懐石料理になじみます。
 

 南天苑の温泉の泉質は、天然のラジウム泉で筋肉疲労や神経痛、動脈硬化などの効能が期待できます。入浴して感じたのは、高い発汗作用です。露天風呂ではありませんが、大型のガラス窓が錯覚を起こさせる程のものでした。

 近くて安くて満足。この条件を満たしている南天苑です。近いうちにまた、行きたいです。そして、この旅のメインであった蛍狩りですが、雨のため見れず終い。来年へのお土産となりました。

 一人一泊1万5,000円、天下茶屋から天見駅まで片道530円。
 ビール大瓶700円、レモン酎ハイ350円、大吟醸南天苑1合1250円。
 土日で訪れても、翌日に疲れが残らない距離で、なおかつ安い。大当たりの久しぶりでした。$白波ラインダンス
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 今週の仕事は主にテープ起こしとライティングの毎日です。先週に訪れた高砂の病院での取材のものです。この仕事を貧相なライターであるあたしに回してくれたのは、編集教室時代からの友達・ウリちゃんです。

 病院の院長や副院長、事務長、看護師部長、看護師の方などなど。日頃聞くことのできない貴重なお話を聞かせて頂き、全く疲れない出張でした。後はライティングが肝心ですが、ポチポチと慎重に進めています。

 昨日、これまた編集教室時代からの友達・大ちゃんから連絡がありました。温泉本の取材、ライティングのお仕事を振って頂きました。うう、みなさんおやさしい。こんなあたしの飲み代のために。

 温泉については、ちょぼちょぼと仕事をしているので、これまた嬉しい。今から仕事が楽しみで仕方ありません。
 病院は、病院というよりも病気マニアなので嬉しかったです。以前、手術が外のモニターから見学できる病院で永遠凝視していました。仕事柄、看護師や医師、薬剤師など、医療に関係する国家資格や、業務内容のライティングはよくします。なぜか好きななんですね、医療関係が。

 あたしもこうして仕事を与えてくれる友達に何か貢献しなくてはなりません。それが大切な仕事です。
 政局活劇に終演が見えてきました。ここのところやたらと叫ばれる「造反」。広辞苑で造反を引いてみると、「中国で、謀反の意」とされており、日本では「体制・権威にたてつき反逆すること」という意味だそうです。各紙ではこの言葉遊びで、社論を展開しているようです。

 あたしも言葉遊びに参加してみて「裏切る」がもっとも適切かと思います。これはいわゆる造反組ではなく、民主の増税法案賛同者に対してです。「裏切る」という言葉をネット上で調べてみるとスイス連邦工科大学の社会学者が面白い論文を発表していました。

 「利己主義と裏切りが支配するノイズに満ちた世界で、突如として協調行動が発言し、優勢になることを確認した」というものです。この度の活劇にぴたりと当てはまる気がしてなりません。

 この論文の基になっているのは「囚人のジレンマ」というゲーム理論がモデルになっているようです。これは、2人の共謀者が逮捕され、それぞれに「自白」と「黙秘」を選択させるというものです。自白、すなわち共謀者を裏切れば釈放され、黙秘を続ければ刑が執行されるというものです。この活劇の裏では、このような取引が行われていただろう、と想像することができます。

 そろそろ、利己主義者にかまっていないで、自身の成すべきことだけに取り組むよう考える必要があると思います。日常の生活に潤いと平安を。これこそが、個人の権利で誰にも侵害させるものではありません。この権利と政局という寸劇を、過剰にも接触させ過ぎているのではないかと思います。