大阪マラソンの応援に行ってまいりました。3万人の参加とあって、知り合いを見つけることが困難です。スタートは大阪府庁前でしたが、ホームページの説明通りに大阪城公園前駅に行ってしまい、時間がなかったため森ノ宮駅で観ました。
コスプレをしている人の多いこと。スタート直後のポイントのため、15Kmのチャレンジランの参加者も多いからこんな雰囲気なんだ。そう思っていましたが、次に移動した応援スポット京セラドーム前でも、走り難いコスプレランナーが多数。これで42Kmも走ることができるのか。近くの大正駅前は、観光客と観戦客が多く、沿道の飲食店が繁盛していました。一緒に大阪マラソンを盛り上げていました。
その後、ゴール地点であるインテックス大阪へ行きました。ゴール前ともあって人だかりがすごく、活気に溢れていました。応援する場所は、どのポイントも沿道となっており、見にくさ満点です。

約束したこともあって応援に行きましたが、なんだろうと不満が残りました。ランナーを観ているのは楽しかったです。学生のサポーターという名のボランティアも良かったです。ですが、このマラソンを開催している目的はなんだろうと。

参加人数が多いわけですから、観戦客も多くなるのは当然。交通規制もあるため、移動は電車となります。地下鉄はやはり行政と対立しているのか、何のタイアップも組まず、あたふたと誘導・説明をしていました。稼ぎ時であるのにも関わらずいわゆる役所仕事です。機会ロスです。

ゴール地点のインテックス大阪はイベントも催しているとあったので、楽しみにしていましたが、ランナーが見えないインテックス大阪の施設内でイベント。そして大阪マラソン組織委員会の概要PDFを確認してみました。

ご大層に経済波及効果などのお題目が並び、地域の商店街と連携、バルイベント、食べ歩きなどと表記されています。仕方ないとは思いますが、手あかのついたイベントと言わざるを得ず、さらに盛り上がっている様子はまったく見られませんでした。経済的な効果で言えば、大手の取引企業はあるのでしょうが、庶民の感覚として感じることは難しいでしょう。

何よりも、ゴール地点の場所と応援スペースです。ゴール地点はあのインテックス大阪。一本のニュートラムしか通っていないため、ここから帰るのは大変でした。駅から道路と、人がずらーっと列をなしていました。アホらしくなったのでタクシーを利用しました。
またゴール地点前の応援スペースも沿道のみとなっており、背伸びしなくては見えません。どう考えても、簡易のひな壇を設置しておいた方が、ゴール自体も盛り上がるのではないでしょうか。これにそんなにお金がかかるのでしょうか。沿道で出店があるわけでもなく、ゴールするランナーを見るだけ。しかも大半の方はランナーの知り合いや身内。
大阪府の新しい文化イベントとして盛り上げたいのであれば、地域の連携は不可欠。多少はあったようですが、それも大会前日までとPDFに表記されています。うーん、開催目的は何だろう、と思うがホームページやPDFには目的や主旨が明確にされていない。
橋本前府長肝いりのイベントだったはず。今後のイベントは県外民だけでなく、府民も参加したくなるものにしてほしいです。例えば、大阪マラソンの参加者の半数は大阪府民です。大阪府民が大阪の観光名所を回って楽しいのでしょうか。

橋本市長と言えば、日本維新の会が色々と突き上げられています。ま、あんなに節操のない人選であれば当然でしょう。すでに内部情報をとられて危険な人物も立候補を予定しています。
また第三極と呼ばれる新党も合流を重ねており、まるで極太のエビ天を食べてみたらほとんど衣だった、と言わんばかりに本質が覆われてきています。

未来なんとか党などという名称に変え、脱原発を卒原発と変えています、いえ交えています。中身はどう見ても左側の民主党であり、小沢新党です。自称脳科学者や自称生涯ジャーナリスト、自称評論家や漫画家などゆかいな仲間がこの党を賛同しています。
ここのセンセたちの政治資金収支報告書や支援団体を調べてみると、平穏な日常から逃れることをうけあいです。あ、みんなの党も同じです。

原発やTPPなどが選挙の争点と垂れ流されているようですが、庶民としては、被災地の復興と経済問題、この両者への取り組みがもっとも重要な争点だと思いますが違うのでしょうか。原発と言えば、坂本龍一氏をはじめとしたいつものメンツが撤廃を求めています。この理由は非常に単純なもので、簡単に調べることができます。自身で調べて、自身で選択しましょう。

あたしもその日までよく検討します、そのためによく調べます。知識なんてものは、調べればつくものだからです。
 テレビがつまらなくなって昨今、若手が活躍するための場が少ないと言われています。ですが過去と比較すると、必ずしもそうと言い切ることはできません。特に関西出身の芸人にとっては、関東進出の畑が十分耕されています。結局、大御所が最前線にいる限り、若手の時代というものはやってこないのでしょうか。

 きのう、ついに石原慎太郎東京都知事が都知事の辞任、および国政への進出を表明しました。超保守派で知られる御大が再び政治の世界に戻ってくる。日本は昨今、右傾化が進んでいると言われています。ですがどう考えても、左傾化から真ん中近くに戻ってきているに過ぎないと感じます。保守としての政権を望むのであれば、まだまだこれからといったところでしょう。

 あたしは石原慎太郎ウオッチャーで、毎週都知事の定例記者会見を観てきました。観てきたたくさんの人は毎週、心揺さぶられる想いに駆られていたと思います。ですが石原慎太郎氏は80歳。先日の健康診断で再検査があり、その後精密検査で問題はなかった、と自身で語られています。ですがあまりにも高齢であることに違いはありません。

 どの世界でも先人が未だ仕切っている。そして年長者に頼っている現実。政治が大きく動くことは間違いありませんが、この動きを政界として見るだけでは、この後の10年、何も変わらないでしょう。高齢者が若年者よりも動く、働く。若年層にも意見はあると思います。ですがこの度の表明から得るものは大きいと感じています。それを自身の毎日の生活にどう活かすか、それこそがひとり一人に委ねられたことだと実感しています。
仕事の忙しさのあまり頻繁に立ち飲み屋へ行く。連絡が入れば即対応、小さな会社にはそれなりの魅力が必須だからだ。そんな日々に不満はない、が問題は立ち飲み屋だ。
他人の話が嫌でも耳に入ってくる。耳に入るのはまだよいが、脳の中を占拠し始めると熟読しているはずの本の内容がすっ飛ぶ。

おっちゃんたちがここ最近、熱をあげているのは国、政治の話題。立ち飲み屋でのヨタ話に意味を帯びさせる。ここ最近感じるのは、国民と呼ばれる人がしきりに声をあげることで何に変化があるのか。体勢に変化がなくても、自身の生活にどのような影響を与えているのか。
この手の話題では、とどのつまり、選挙だ。現政権になって生活環境が悪化した、と答える人が多数を占めるだろう。そしてこの環境を換えるためにはまた総選挙、4年間待たなくてはならない。では、4年の間も、多くの国民はヨタ話を続けなくてはならないのか。

意味を持たせることの危うさだ。日常生活に直結しているとは言うものの、あしたの食費にこのヨタ話が影響を与えるとはとても感じられない。何事も意味を帯びさせることに、躍起になり毎日が意味なく消化されている。

歌を作ったり、仕事でコピーや文章を作成したり、これらの落とし穴は持たせる意味が重すぎることだ。あたしのような三文ライターは自己顕示欲のためか、重すぎる言葉を羅列してしまう。言葉の意味が重すぎるため、受け手の想像を阻害する。想像、すなわち新たな思考を阻止することは何も生まないとも言える。

ヨタ話しかり。意味などなくてよいのに。もともと何事にも意味を求めるのは、脳の奢り過ぎた欲だ。反対に、存在するものすべてに意味があると言えば、相対的にすべては意味を持たないことと言える。

すなわち考え過ぎはよくない、ということ。脳が人ではなく、自身すべてが人である。そしてこれらの文章も、所詮言葉で遊んでいるに過ぎない、と思っています。