仰天発言といおうか、米国を訪問中の石原慎太郎都知事が、沖縄県・尖閣諸島を都で購入すると言い放った。驚いた人も多いだろうが、石原都知事を知る人は「彼らしい」と感じたのではないだろうか。石原都知事らしさとは、豪腕ぶりや強弁ではなく、真の保守人という点だ。

 先週の土曜日4月14日、我が社をワカノが卒業した。ワカノは次の職場に出勤する月曜日の朝に、我が社に訪れ手紙を置いていった。ヒロキとあたしに宛てた手紙だった。それは、以前の会社を退職してからの3カ月間、ここで毎日お世話になったという旨の内容だった。あたしは、ワカノ「らしい」な、と感じた。

 以前の会社を退社する前のワカノには、この「らしさ」がなかった。10代から勤めた会社を退社するにあたり、自身の人生だけでなく、家族のこと、親のこと、友人・知人のこと、正面から悩み、ぶつかり、解決した。この3カ月間で、他人への配慮という彼「らしさ」が身に付いたのだろう。

 言葉を贈ることは、受け取る側はもちろんのこと、贈る側にも大変意義のあることだ。言葉は思考であり、思考は性格だ。性格は行動を生む。行動はやがて習慣となり、習慣が運命を掴む。これはあたしの持論だが、自身にとってはこの持論が真実だと思っている。

 「らしさ」というものは発言であり行動であり、性格であり、習慣であり、運命まで繋がる。石原都知事は80歳を迎える今でも、花真っ盛りだ。ワカノはまだ、花は咲いてはいない。咲いてはいないが、溶けかけた雪の間から除いた新芽のようだ。
 夜桜見学で、うちの周りの天満橋は人盛りの連日です。ですが昨夜の菜種梅雨で、花見も一反段落といったところでしょうか。
 
 日本人にとって、桜の花は特別なものなのでしょう。時季を告げる花は数あれど、桜の花ほど多くの方が開花を待ち望んでいる花はないのでしょう。
 桜は淡くやさしい。多くの方は、桜の花に何らかの思いを寄せているからこそ、開花を待ち望むのでしょう。
 ある人は思い出を、ある人は人を重ねて。様々な思いが開花と供に、浮かび上がってくるのでしょうか。

 先週の金曜日は、千鶴と飲んだ。ナースとしてはガラクタだが、淡くやさいい。
 差しで飲むとあって、訊きたいことがあった。それは、それ以前に一緒に飲んだ際に、あたしがぽろりとこぼした一言への対応だった。

 「妹、元気しているの」

雨しだれのように、涙がこぼれた。つい先日、亡くなったらしい。
まだ20代なのに。

 金曜日にそのことを再度訪ねると、突然の病気で翌日に亡くなったとのことだった。

 人の思い出は、楽しいものばかりではない。千鶴は、桜の花に何を思い馳せるのだろう。
 だが、絶望ばかりではない。彼女は、27時まで満開で飲んでいたから。$白波ラインダンス
 昨今の政治のていたらくを見て、我が振り直そうと感じる方が多いのではないでしょうか。先日、ヒロキが酔っぱらい過ぎて大騒ぎでした。
 かくいうあたしも、そういう時期がありました。ですが、それはすでに過去の振る舞い。あたしはヒロキに酒の量を自重するように促しました。

 月曜日、西山とモコがそろい踏みで我が社へ訪れました。何やら、自分たちの商いの打ち合わせだそうで、なぜかうちの会社で行われていました。その目的は、当然その後の飲みです。

 いつもの立ち飲み屋で、自重しながら酒を楽しむヒロキを横目に、あたしはがばがばと飲む。
 はい、酔っぱらいの一丁できあがり。ただの反面教師化してしまいました。我が振り見て我が振りを直すことはできません。$白波ラインダンス