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山本祥一朗の酒情報

山本祥一朗の酒情報

「野坂昭如の酒」については拙著『酒つながり』(社会評論社)の中に書いていて、当人にも贈ったが、その酒から身の回りの細々としたリハビリのことについては、夫人の野坂暘子さんが『リハビリ・ダディ』(中央公論社)に書いている。これが面白い。

野坂からの求愛で、宝塚の乙女時代から作家の女房に転身するも、野坂は直木賞を獲ったかと思えば、歌手として紅白歌合戦を目指すといったり、キックボクシングやラグビーをやったり、参議院、衆議院に立候補するなどいろんなことに首を突っ込む。

その挙げ句が要介護で78歳を迎えた時点での手記である。この手記を読むと、元気な頃のダンディーだった野坂のプライドを、傷つけないように心しながら介護する夫人の心情は実に見事である。

夫人は赤坂で画廊を経営し、その場所で月に2~3度、宝塚時代から唄っているシャンソンを披露しているとか。


『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーになっていちやく有名になった北杜夫氏だが、その本を書くことを勧めたのは、当時、中央公論社にいた宮脇俊三さんだった。

そんなことから二人の付き合いが始まり、その後、宮脇さんの家の隣りに北氏が引っ越してきて、夜な夜な二人で酒を酌み交わした話を、北氏が『マンボウ夢のまた夢』に書くなどしている。

その後、宮脇さんが中央公論社を辞めて、専ら旅また旅の旅行作家に転身されて、幅広く活躍されたことも広く知られている。

下にあるカットは「新潮45」に掲載された私と宮脇さんの対談で、この話は拙著『酒つながり』(社会評論社)の中に話の概要を収めてあるが、この時はお茶の水ホテルで行われた。こういう対談はおおかたがその場で出演料をくれることが多い。宮脇さんが私に「いくらでした?」と訊くので、「○○ですね」といったら、「わたしも同じです」という。酒杯を傾けながらの話

だから、気軽なものだ。その後、二人で一軒まわって帰った。


4月5日にホテルメトロポリタンエドモンドで「地酒祭り春の陣」が開かれ、雨天にもかかわらず、たくさんの参会者だった。この会は800名限定としているが、それを上回る希望者がいることでも知られている。

下の図にあるのが参会蔵元の配置図である。蔵元の中には「どの御蔵も年々出品技術が上手になられて、抜きん出るのも大変です」という声があった。

酒仙人コインは、10枚で1000円となっていて、このアイデアもいい。海鮮珍味、錫容器の工房も出て、この酒器で味わう酒の味や、大妻女子大学とSSIとの交流のアイデア……など、多くの出展が酒の味をいっそう盛り上げる。

唎酒師こと日本酒のソムリエ、焼酎のソムリエなども続々と登場して会の厚みが増していることも心強い。

なお、次回の今年10月2日に開かれる「地酒祭り秋の陣」では、今回の酒仙人コインで使い切れなかった分も使える由。