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山本祥一朗の酒情報

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日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会 オフィシャルブログ
上にある「日本酒からの手紙」は、日本酒で乾杯推進会議が発足した際のスローガンのひとつで、「ニッポン人には日本が足りない」とは上手いことを言ったものである。 しかし、これは世界でもあちこちで言われていることで、フランスではワインの消費が落ちているし、ドイツでのビールも昔のような元気がない。 日本では日本酒の伸びが思わしくないのに比べて、思いの外にワインが伸びている。 では、輸入洋酒の面からウイスキーはどうかといえば、英国のスコッチウイスキーの場合、フランス向けが最も多いといっても対前年比では25%も落ちているし、日本向けなど世界全体では18位という状態で、昔のようなスコッチ神話は無くなった。これには日本の国産ウイスキーが充実したこともある。 いずれにせよ、酒の嗜好の移り変わりは近年になって目まぐるしく変わってきた。どの国の国民も国に対する愛着心が足りなくなったのか?


以前にこのWebで東宝で撮影中の石原慎太郎のことを書いたが、先頃に出した拙著『酒つながり』(社会評論社)では野坂昭如のことを書いた欄で昔に出した『作家と酒』のことに触れ、そこでモデルにした19人の作家のうちで今も健在なのは石原慎太郎だけ、ということを書いた。 その石原が月刊誌「正論」7月号に「国民に告ぐ――聞け!暴走老人の遺言を」と題して勇ましいことを書いている。そこでは都政から国政へ再度出ることを決めたのは、90歳になる戦争未亡人のうた「かくまでも醜き国になりたれば、捧げし人のただに惜しまる」に深い共感を覚えたからだ、といっている。 さらに靖国神社のことや尖閣諸島のことなどにも触れているが、今年で81歳にしては気が若い。昔にいろんな意味で書いた『作家と酒』では、石原慎太郎を「酔の男の酔狂のすすめ」と題している。 文壇へ出て間もない頃に三島由紀夫が、「石原君は滑っている感じだなあ」と評している。この「滑っている」というのは言い得て妙な言葉で、時代のヒーロー的なデビューやその後の執筆ぶりは確かに「滑って」いた。 その頃の石原は「この世で一番になりたい職業は何か?」と訊かれたら、「闘牛士だ」と答えていた。それは男らしく、キザで美しい男は他にない、ということでもあった。 今、「老境」と自称する石原にはとても想像できない若さゆえの発言である。 さらにその頃、「酔い」から遠ざかろうとする実存主義だった友人が自殺したことを挙げて、「酒を飲めない奴」「酔から遠ざかろうとする人間は信用できない」ともいっている。「酒は飲むべし、乱れるべし」とよく言っていた石原慎太郎である。この人のことなどを詳しく書いた『作家と酒』は久しぶり再版してもいいかと思っている。 写真は太陽族ブームの頃に映画の監督をしていたもの。

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久しく行っていない韓国だが、拙著『お酒の今がわかる本』(実業之日本社)の韓国語版がよく売れているようなので、行こう行こうと思いながら、国内のことに追われてなかなかチャンスがつかめない。 写真にあるのはソウルの南40㎞のところにある「韓国民俗村」だが、韓国へ行くと必ず寄るところだ。何しろ22万坪ほどのところに昔の風俗をすっかり再現したところで、官吏の家があれば農家もあり、鍛冶屋があれば居酒屋もある。その数は200軒ほど。中でも見学お断りのところは昔の醸造所。一般には見学できないが、私が同行したSSI会員のグループには見せてくれた。 この詳細は拙著『海外酒事情』(時事通信社)や『美酒探訪』(同)などにも書いているが、造りの原点を見ることが出来る。 若しも韓国で日本酒の評判が上がっているところや民俗村の見学を希望する人が多ければ、ツアーを組んで久しぶりに行ってみたいと思っている。 写真は右上が醸造所内も仕込の袋を乾しているところ。その下が仕込み甕。右上は民族衣裳でサービスする女性。その下は抱きまくらで、暑い折にはこれを抱いて寝ていた。下の集合写真はかつて民俗村を団体で訪ねた時の記念写真を玄関口で。

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