「名を残す」ということは名誉なことであるが、今日のようにビデオが無かった時代では俳優の名声が映画として残ることは考えられなかった。写真にあるのはロサンゼルスの道路に残ったマリリン・モンローやゲーリー・クーパーなどの手形と靴形である。かつての俳優はこういう形で自分を残した。
それにしても「自分が死んだら何が残るか」と考えるのは、多くの人が晩年になったら考えることではないか。
わが国の若山牧水や種田山頭火は、酒の詩を遺したことで今もって語られることが多い。大酒と詩によって名を遺すのは中国の李白や白楽天ばかりではない。
福島県南白河の寺には、徳利の上に酒盃をかぶせた形で「米汁呑了居士」の名を刻んだ小原庄助さんの墓がある。
