友の死から1ヶ月が過ぎた。
とても動揺した1ヶ月だった。
小学、中学、高校、そして大学こそ違うがともに同じ街で生まれ、同じ学校に通い、そして上京後も酒を酌み交わし、遊び、喧嘩し、夜通し話した仲間だった。
腐れ縁のようなものだったが、失うと凄く大事な仲間だった事に気がつく。
大学卒業後、留学や就職や転勤、家庭を持つなどお互いの環境の変化から
会う機会は激減した。
決して喧嘩をした訳ではないので、会えばその瞬間から学生時代に戻り、
会話も出来る。無理に話題など考えず、格好つけず、ありのまま近況を話せる。
そういう等身大の自分たちを見せ合う仲という自信があった。
だからいつでも会えると、あえて機会を設けようとも思わなかった。
だが、その自信が痛恨の極みとなった。
最後に会ったのは昨年8月。
小生の父の葬儀だった。
喪主として立つ小生の前に奴が現れた。
場所が場所だけにまともな会話は出来ないが「ありがとうな」と小生が一言伝えると、奴は小生の肩に手を当て「しっかりな!」と一言 声を掛けてくれた。
まさかこれが最後の会話になってしまうとは。
11月のある朝 別の同級生から小生に奴の死を告げるメールが入った。
癌による病死だった。余りにも早すぎる訃報だった。
同郷の仲間の中では一番体格もよく、明るく元気で長生きしそうな奴だったのに、
一番早く逝ってしまった。
自営業だったから、昨年年明け頃 首(喉)に違和感を感じながらも病院に
中々行かなかったらしい。
動いても街医者で風邪とか原因が良く分からないといったいい加減な診断で命を削り、
医大に行ったときにはもう手遅れだったらしい。
余命数ヶ月だったが、懸命に抗がん剤治療に耐えて1年半 家族のために頑張った。
父の葬儀のとき 奴は自分の病状を知り、治療中ながら駆けつけてくれていた。
知らなかったとはいえ、慙愧の念に耐えない。
そして今年11月 ついに力尽きた。
訃報を聞き、病院から自宅に帰ってきた友に会いに行った。
がっしりした体格の男の亡骸は痩せこけていた。
会う機会を作らなかったことや、奴が残したやるべきことを出来ずにこの世を去る無念
などを思うと悔しい思いしかない。
奴は自分の病気を知ると、友に知らせることを極度に避けて静かに家族と過ごしていたらしい。
事故だったら準備も出来ないが、自分には余命1年以上あったからいろいろ出来たと
一部の人には言ってたらしい。
その強がりが悔しいし、悲しい。
奴の苦悩 恐怖に自分は何もしてあげられなかったと後悔ばかりだ。
友の死はこんなにも悲しいものなのか。
1ヶ月たっても引きずっている。
90年代にかなり嵌ったドラマ「私の運命」。
なんか重なるものがある。
あれ以来ユーミンの「砂の惑星」が頻繁に頭の中で奏でている。
命が有限なのは誰でも知っている事ながら、それを実感していない。
だが今回の件を受けて、小生の「命」の考え方が変わった気がする。
人生 賽の目のようにどう転ぶか分からない。
今やれることをやっておくことは大切なことだ。
あまり考えすぎても人生面白くないが、先のことを考えて
時間を使えよと友が強く語りかけてきているように感じた。
思えば10年ほど前だったか 小生も勝手に癌だと思い、苦悩した経験がある。
会社の健康診断。
灰に白い影が映っている。
怪しい咳もいっぱい出ている。
毎日遅くまで残業しながら、1日2箱ダバコを吸っていた。
再検査判定を受けて病院に行った。
頭の中は勝手に肺がんと思い込んでいた。
自分の死を初めて意識した時間だった。
が、結局違い、別の病気だったが、タバコはその日から強制終了で今に至る。
勝手な思い込みによる不安だったが、当時の気持ちを今も鮮明に覚えている。
「助かった 拾った命だ 大切に使わねば」
しかし、友の死により、ややこの気持ちが薄れていることに気がついた。
もう一度改めて思った。
大切に命を使おう。
友のことも一生忘れずいよう。
そして仲間に対していつでも会えるといった驕った考えはやめよう。
出来る限り友を大事にしよう。
なんか原点に返るような友との悲しい再会だった。
小生も そして皆さんも健康に気をつけて 普段会ってないけど大切な人を改めて
大切にしていただきたいと思います。
友よ 安らかに。