グローバルにはもう追い付けない。日本・若者の劣化が止まらない | 就活

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いわゆる受験英語というのは、我々の世代では暗記との戦い、圧倒的な物量との戦いでした。

脈絡無しに問われる細部知識、10000語レベルの単語、専攻レベルの文法、その対策の為に徹底して暗記に努めたものです。

昨今の入試問題を見ていると、そうした無駄に細かい問題というのは相当減ってますよね。

換言すれば年々センター試験や共通テストの平均点は上がってなきゃ可笑しいわけで。

グローバル化にも関わらずこの程度の英語力。英語も話せない若者の多いこと。日本の行く末が目に見える。



そもそもグローバル化なんてのは今に始まった話じゃない。

大元を辿れば諸説あるが、モンゴル帝国のユーラシア制覇、大航海時代の航路開拓あたりが起源である。
いわゆる国際経済が、社会の末端たる庶民にすら適時影響するようになったのは、植民地主義の完成した19世紀後半になる。

それ以降国際経済、国際社会と自国、そして庶民一人一人は密接な関係に結ばれている。

グローバル化が進むなんてのは昔から同じ話。進むように見えるのは我々が停止してるからでしょ。日本という斜陽国家が、もはや最前線から置いてけぼりである。

ビジネスの世界では、社交性こそ最高のスキルでしょ。コミュニケーションが出来ない人間に今時居場所は無い。これは日本に限らず万国共通。

つまり英語が話せない日本の若者を見るに、彼らは国際社会とコミュニケーションを取る気は無いようだ。これは即ち国際経済からの脱却を意味する。

日本の食料自給率を知らない若者。鉄やゴムなんかの基本的資源が、身近な製品の何に使われてるのか、それら資源の輸入依存度はどうか。今時の若者は何も知らない。
つまり、日本は輸入が途絶えれば2年も持たない事を若者は知らないのである。どこまで甘ったれれば気が済むのか。基礎学力が無いのは、そもそも学問に対する姿勢の問題。姿勢を身に付けるのは教育者でしょ。その教育はコミュニケーション。ほら、若者の欠点が連鎖的になってる。
大元を辿れば若者の姿勢、社会で生きる一員だという意識の欠如。精神性人間性の問題ですよ。
そういう劣化した若者を作り上げたのは教育であって、教育の根幹はコミュニケーションなんだから、言うまでもなく問題は若者本人にある。

この点、若者の根本的な問題は恐らく体力の劣化。この仮説は何度も記事にするつもり。体力が無いから長く遊べない。長く遊べないから意欲が湧かない。意欲が湧かないから無気力になる。体力が無い子供が無気力な子供になる。
無気力な子供はどうするか?体力が無い子供はどうするか?ゲームやYouTubeなんかに夢中になるんでしょ。だからどんどん体力が落ちる。相乗効果として気力も落ちて行く。遊びの根本は「自主性」でしょ。鬼ごっこにせよ何にせよ、画一的なルールがあるわけじゃ無い。その場の子供達が自分たちでルールを決める。それが無い。家でゲーム漬けネット漬けの子供には、体力や意欲を付ける機会が無いのである。
その代替が、地域のスポーツクラブである。あんなもの、百害あって一利なしでしょ。地域スポーツクラブや部活動が糞の役にも立たない話、これも大量にブログ記事にしようと思っている。

結局、幼児期の体力不足、劣化した精神・人間性。そこから来る社会性の欠如。学問にせよ運動にせよ、若者の劣化は全て幼児期の生育環境にある。


グローバル化が進むなんて表現になるのは、競争から遅れた敗北国の観点でしょ。そもそも競争に参加してない。そもそもグローバル化の流れに乗れてない。止まってるから、周りが離れているように見えるだけ。こんなもん、幼児期学童期の社会性の欠如以外何もない。日本の凋落は人災である。