しまった~! 見に行くのを忘れてしまった!
警視庁で「最も多忙」なレトロ交番閉鎖 築70年で最古
以下、記事抜粋。
交番があったのはJR上野駅の浅草口。
1932(昭和7)年にできた駅舎の一部で、詳細は判然としないが、遅くとも75年前の46(同21)年7月から交番として使われてきた。
今では東京有数の観光地となっている「アメ横商店街」が、闇市として誕生してまもないころだ。
そのたたずまいは、街中でよく目にする箱形の交番と違い、下町っぽさや「昭和」を感じさせた。駅舎と一体化した構造、石を削ったように見える外壁、大人1人が通るのがやっとの間口。
駅の1日の利用者は平均約18万人(2019年度)で、勤務員は道案内や落とし物の対応、酔客のトラブル対処に追われてきた。警視庁でも最も多忙な交番の一つだった。
恐らく、もう一つの日本一忙しい交番と言われるのが、上野公園1口にある交差点。ここは、旅行客、外国人がよく来るところ。
幼少期のころに父から聞いた話では、戦後間もない1950年頃、上記記事にあるように、今のアメ横には闇市があり、東北から出稼ぎに出てくる人や、戦争孤児、戦争から帰ってきた兵隊さんが、帰っても家がなくて帰るところがない様な人がたむろしていたと聞いたことがあります。上野は危険だから、行っちゃダメだぞって言われていたらしいです。
御徒町あたりでは、金や貴金属の売買のお店が多いですが、それはその名残だそうです。たくましい人たちが、街を作っていったのです。
その後は、復興し、東北からの玄関口として大きく変わっていて、今のにぎやかな街となりました。
浅草口交番、交番で働いてきた方々、お疲れさまでした!