駅前や住宅街で見かけるお菓子の移動販売や、突然自宅にやってくる飛び込み営業。

 

そう、リンク上の記事でも書いたものです。

 

「若いのに頑張っているから」「外国人や障害者支援になるから」と財布の紐を緩めてしまう人が後を絶ちません。

 

 

はっきり言いますが、その「買わされる善意」は全く美談ではありません。

 

あなたの罪悪感や同情心に付け込み、相場以上の価格で売りつける計算し尽くされた営業スクリプトです。

 

だいぶ前の話になりますが、親戚の家でも呆れるような出来事がありました。 

某ネコ宅配便の配達員が「障害者の方が作ったパンなのですが、買いませんか?」と持ちかけてきたのです。

お人好しの親戚は「支援になるなら」と、相場より遥かに高いパンを疑問も抱かずに買ってしまいました。

 

 

「同情」を盾にした押し売りの構図

障害者施設や福祉事業所の基盤は、すでに公的な補助金や助成金によって支えられています。

それにもかかわらず、「障害者が作った」「頑張っている」といった属性やストーリーを前面に出し、適正価格を無視した値段で買わせようとするのは、もはや支援ではありません。

 

消費者の「断ったら冷たい人間だと思われるのではないか」という心理的な隙に漬け込んだ、強引なねじり込みです。

もう、ねじりパンです。

 

 

本当に支援を目指すのであれば、必要なのは同情に甘えた販売ではありません。

地元の商店街にあるパン屋のように、技術を磨き、責任を持って確かな品質のものを適正な価格で提供することです。

 

 

 

私たちが支払うべきは「商品の価値」

本来、商売の基本は目の前にある商品を見て、その価値に納得して金を払うという至極シンプルな原則に基づいています。

 

地元の個人店で買うパンに満足できるのは、職人が作った商品そのものに価値があるからです。

客は「職人の技術と商品の品質」に対価を払っています。

「誰が作ったか」「どれだけ苦労しているか」というストーリーで品質の低さや高価格を誤魔化すのは、健全な商買の否定でしかありません。

 

「可哀想だから」「応援したいから」と提示された価格に見合わないお金を差し出す行為は、優しさではなく、善意を搾取する悪質なビジネスモデルに資金を提供しているだけです。

 

怪しい訪問販売や同情ビジネスを失くし、日々責任を持って本物の商売をしている事業者を守るためにも、私たちは冷徹に【商品そのものの価値】だけを見てお金を払うべきです。