空がどんよりと曇っている
空が聞く
「今聴いている歌 なんていうの?」
「スカボロフェアだよ」
「ふうん いい曲だね」
「でしょ この曲気にいった?」
「・・・うん・・・」
「だったらさ もう少し雲を消してくれない?
そして 夕陽を少しのぞかせてくれない」
「・・・でもさ こういう空で聴くから この歌 いいかもしれないよ・・・」
なんていうことはない
空に教わっている
空のが僕よりはるかに大人なのだ

高村光太郎に似た人が 数日前
電車に乗り込み 僕の横に座った
そしておもむろに携帯を出して 画面に見入っている
お孫さんだろうか?
僕はチラッと画面を見ると
2歳ぐらいの女の子の写真が笑っている
その前の座席に座っている人たちは ほとんどがスマホをいじっている
携帯を見ていたその人が顔をあげ
前に座っている人たちを眺め やがて目をつぶった
そのとき 彼は胸の中で何を感じているのだろう

村上春樹が ノーベル賞を取らなかったので
昨夜 彼の著書の中の一作を再読した
驟雨の中で逃げ込んだ軒先で短編を読んだような気分だ
彼の書いた本の中には 全部ではないけど
文章の中に 雨のように聞こえる部分がある
問いかけても答えない雨の音だ


時々行く公園の椅子のそばに
すり減っていく石がある
それをみてると 時々猫が横を通る
ノラ猫なのに優しい顔をしている
彼にはネズミを捕れないだろうな
なんて危惧しても ここは優しい女性がたくさん来ていて
そっと猫に餌を与えているのだ
ここでは猫はホトトギスの真似をしないで済むのだ

すこしずつ風見の鶏の上に寒さがきている
すこしずつ木の枝が針金になっていく
イムジチの「四季」が好きでよく聴くのだけど 「秋」だけはあまり聴きたくない
これはとても不思議で秋が四季の中で一番いい季節のはずなのに
(僕は)四季の曲の中で、秋が一番好きでない
だから秋に「夏」を聴く
銘柄の器に盛られた 古都 X X X X の懐石料理が嫌いなように・・・

鎌倉に行ったら必ず寄る寺がある
極楽寺の前の坂を登り 紫陽花の季節以外はとても静かな「成就院」という寺です
ここの寺は、いつもさりげないとても小さな花器に 四季の花が活けてある
それを手を合わせたあとに見るのがとても好きで
静かなその時間は 本当に花と会話をしている気持ちになる
「今日は桔梗の花よ 素敵な色でしょう?」
て 花器から言われている気がする


古寺の中には 観光化しすぎて
その寺の池の水が涸れているように その寺の思想も枯れている
読経を団体がバスで降りるとカゼットテープで寺中に流すのだ
仏師が血を流すように時間をかけて彫った仏像でなく
金属の型に入れて作った仏像みたいだ
木という言葉では 語りきれない木の素晴らしは
自然の中で見られるように・・・

まだ4時過ぎなのに もう外は暗い
僕のベットの横に置かれた読みかけの本が 僕を見て誘惑する
「テレビで映画を見る前に 少しでいいから読んでくれない」
でもその前に
柿やりんごやバナナ
そして少しの野菜を買いに行かなくては
そしてノンアルコールのビールもね
しかしあの飲み物はなんてまずいんだ!

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