【原作:Əsərin müəllifi】
ネザーミーイェ・ギャンジャヴィー
نظامی گنجوی
Nizami Gəncəvi
【監督:Rejissor】
ナズィム・メンメドフ
Nazim Məmmədov
【脚本:Ssenari müəllifi】
エドヘム・グルベヨフ
Ədhəm Qulubəyov
【作曲:Bəstəkar】
ジャヴァンシル・グリイェフ
Cavanşir Quliyev
【美術:Rəssam】
ラフィズ・ルザ・オグル・イスマイウロフ
Rafiz Rza oğlu İsmayılov
【制作会社:İstehsalçı】
アゼルバイジャン映画スタジオ
"Azərbaycanfilm" kinostudiyası
Xeyir və Şər (film, 1980) - Vikipediya
ペルシャ人の詩人、
ネザーミーイェ・ギャンジャヴィーの詩、
「七人の美女」(Yeddi Gözəl)に基づく。
ギャンジャヴィーの詩に基づいたアニメは、他に、
既にご紹介済みの「フィトネ」(Fitnə)もあります。
フィトネ(Fitnə)くまとねずみ(Ayı və siçan)アゼルバイジャンのアニメーション
2019年5月17日
「Xeyir və Şər」は「善と悪」という意味になりますが、
登場人物の名前として使われている様なので、
「ヘイルとシェル」と訳しました。
例によって、Wikipediaにはあらすじが出ていなかったので、
原作と思われる物語を紹介している記事も
参考にしながら概要を述べて見ます。
(間違っている所があるかも知れません)
Nizami Gəncəvi. “Xeyir və şər” - Uşaq Bilik Portalı
恐らく原作に近いと思われる、
リンク先のアゼルバイジャン語によるお話とは、
内容に多少の違いがある様です。
王は、自分が亡くなったらヘイルに王位を譲ると約束し、
その遺言通りに王位に就いたとか。
悪役シェルの最期の描写も全く違う様で。
ヘイルは王位に就いた後、シェルを呼び出し、詰問します。
言い訳をしてまんまと逃れたと思いきや、
納得の行かないクルド人が追いかけていってシェルを倒すという。
そして、奪われたヘイルの宝物を取り返しました。
まあアニメでは、残酷な描写を描かない配慮がなされていますね。
ちなみに、話の流れを分かりやするくすため、
シェルが竜巻に巻き込まれる描写を最後に置きました。
本当は、王女が頭痛に苦しんでいる辺りにこの描写があります。
(追記 2021/10/8:何故“クルド人”なのか?考えていましたが、
原作者のギャンジャヴィーの母がクルド人だそうなので、
もしかしてそれが関係している?)
ところでふと思うのですけど、
この世の中、善よりも悪の方が勝っている気がしませんか?
「正義は勝つ」
とか
「悪は滅びる」
と言いますけど、現実はどうでしょうか?
この世の中住みづらくなっている感じもいたします。
悪の力がどんどん勝っているのでしょうか?
「混沌大陸パンゲア」(山野一:青林堂)
を私は所有しているのですけど、
その単行本に収録されている、
「断末魔境伝カリ・ユガ」
なんかは、今の世の中の雰囲気を、強烈に誇張した感じとはいえ、
何となく象徴的に表現している様な気がしてなりません。
「何か今の世の中の壊れっぷり、こんな感じよね」みたいな。
今から30年近く前の漫画ですけど。
青林堂 山野一 !!) 混沌大陸パンゲア(旧装版) - まんだらけ通販
素朴な疑問ですが、
「悪に魅力を感じる感覚」って、何なんでしょうか?
刺激を求めている?
哲学とかスピとか宗教とか、
悪について色んな解釈があるのでしょうけど。
「善と悪は表裏一体」みたいな概念、
「日月神示」辺りにあった様な…。
「善悪二元論」も単純で、
世の中そう単純に割り切れるものでもない、
みたいな話もありますよね。
悪認定された側は、一方的に皆悪なのか?
特にアニメや映画などの物語では、
単純な勧善懲悪の描写は何だかつまらない。
「北朝鮮は悪」とはよく言いますけど、
庶民レベルの人々は、むしろ独裁の抑圧の被害者なわけで、
気の毒な存在。
Twitterでも、意見の合わない人を悪魔化する場面が多々あります。
相手を悪と見做し、正義と正義がぶつかり合う。
分断対立が促進される、何だか面倒くさくて、嫌な世界。
あなたが叩くその相手、本当に叩くべき相手なんですか?
と思う事多々。
ネットを離れれば毒気に中らずに済みそうですけど。
皆が「因果応報」を意識すれば、
誰も悪さしなくなると思うのですけど。
誰も傷付いたり不幸になりたくないですから。
でも、科学的根拠が無いですから、唯物主義者なんか、
誰も見ていないと思うと平気で悪さするかも知れないし。
でも日本人は往々にして「無宗教」と言われていますけど、
(厳密には新興宗教の信者が割りといると言いますけど)
「お天道様が見ている」という感覚、認識は、
良い意味での宗教的というか、
信心深さの表れではないかと。
こういう心が、今の日本人から失われつつあるのだろうか?
だとしたら嫌だなあ…。
という感じの事を色々考えています。
それから、そろそろ薄い本、
「アゼルバイジャンアニメーションの世界」
(Azərbaycan cizgi filmləri)
を作り始めようかなと。
年内に完成できるか?
まあ無理せずに。