この論文は、本来「随筆・評論」の項目に入れるべきだとは思うのだが、言葉を「冗談アート」にする試みもしているので、それは「自作美術品」の項目に入れなくてはならない。
でもそれだと煩わしくなるので、言葉に関しては、新たに一つ項目を設ける事にした。
それでは本題に移る。
私は、中学生の頃から、言葉の改善欲求があった。例えば、何故漢字は、常用漢字しか略されないのか?とか、ギリシャ文字の小文字は何故フリーハンドみたいないい加減な感じなのか?などの疑問を抱き、不満気に思っていた。
そういった疑問を1999年1月発行の個人誌「とくがくいちねんせい」で述べた。
一応同誌はミニコミ書店の「模索舎」に置かせて貰ったので、不特定多数には発信したつもりだ。
殆ど反響は無かったけど。
年明けて西暦2000年、個人誌の第2号の為のネタを紙に書き綴っていた時、「そういえば、『L』と『R』は何故同じ『らりるれろ』で表記されるのだろう?」と疑問に思ったのだった。
結局個人誌第2号は未だに作られていないが、この問題は何気に凄い問題だと思う。
でも、こういう問題が議論されているのを見たことがなかった。
「L」と「R」は、似ているようで、かなり違う。
「R」について、イタリア語の場合はそんなに違いが分からないが、英語のは「わ」の様な浮ついた感じ。
スペイン語やロシア語の「R」は、舌が振動して「ルルルルル」という感じ。
ドイツ語やフランス語、デンマーク語では、日本語の「らりるれろ」には似ても似つかない、喉の奥から擦り出す様な、どちらかというと「が」に近い発音だ。
そこで私は、次の様な新表記を思いついた。
La Li Lu Le Lo = らりるれろ
Ra Ri Ru Re Ro = ら゜り゜る゜れ゜ろ゜
ドイツ語やフランス語
Ra Ri Ru Re Ro = ら゛り゛る゛れ゛ろ゛
しかし残念なのは、この問題を訴える発表の場が無かったことだ。
個人誌第2号は、色々な私生活の問題の為に作れなかった。
翌年の2001年、偶然にもこの問題について述べている論文を雑誌で見た。
「月刊日本」(K&Kプレス)2001年6月号での根内章生という学者の「国語の怠慢――国語表記法への提言」である。
彼の提唱した「L」と「R」の区別表記法は、私の唱える区別表記法とは真逆だった。
すなわち、「L」の表記の時に「らりるれろ」に半濁音を付けるべきだというのだ。
これは恐らく、今まで「らりるれろ」のアルファベット表記に「R」を用いていたからだと思う。
「L」は、厳密には日本語の「らりるれろ」とはちょっと違うのかも知れないが、「R」よりは遥かに近い。
でも、今まで「R」を「ら行」に用いていたので、例えば、私の唱えた方法を採用するとなれば、PCにアルファベットで日本語を打ち込む時のシステムを全部作り直さなければならない。
というのも、「L」「A」と打ち込んでも、「ら」にならないからである。
2005年にインターネットをやり始めて、もしかしてネットでこの問題についてを取り上げている人がいるかも知れないと思い、「L」「R」「表記」で検索してみた所、幾つかのBlogで取り上げているのを発見した(敢えてそのBlogは紹介しない)。
しかし、これといって目を見張る様なものを発見する事が出来なかった。
只、「『R』はら゜り゜る゜れ゜ろ゜でいいんじゃない?」「フランス語の『R』はら゛り゛る゛れ゛ろ゛でいいと思う」といった、私と同じ提案をしているコメントが多かったと思う。シンクロニシティか?
後は、「厳密には『R』や『L』は、日本語の『らりるれろ』とは違う」という事を言っている人がいたと思う(記憶違いだったらすいません)。
それよりも少し前の同年夏、偶然にも、「2ちゃんねるクラシック板」の「???固有名詞でモメるスレ???」で同じ議論をしているのを発見していた。
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/classical/1120962884/
まあ結局、この問題はどうなるのだろう?
最近、「V」を「ヴ」と表記するのを発明したのは福沢諭吉だという事を知ったのだが、もし、福沢諭吉が、「L」と「R」の区別表記も考えていたら、その表記法が現在普通になっていたかも知れない。
Blogをやり始める前にmixiの日記で既にこの問題を取り上げています。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=346895429&owner_id=9401873
最後に一言。
私は、言語学の全くの素人です。