私には両親はもういません。
母が他界したとき
私を理解し、私をあるがままに許してくれる人が
この世から消えたのだと思いました。
人は誰でも許されたいのだと思います。
母は例え私が罪を犯しても許してくれたと思います。
罪は許すのではなく、罪を犯した愚かな私を許してくれる
唯一無二の存在でした。
母が私を許さないとか
そういう疑いを持ったことは一度もありません。
例え失敗しても、失敗の理由を理解してくれる。
一緒に泣き、一緒に怒り、一緒に笑ってくれて
誰とも比較せずにあるがままに私を受け入れ
無償の愛をエンドレスにくれる人が母親です。
人によってはそれは父親であり
両親ともにそうかもしれません。
親ではなく、兄弟姉妹の方もいると思いますが
肉親の家族はいつまでもいるわけではありません。
方向を見失ったときに
自分を許して受け入れて耳を傾けてくれる人が
人間には必要だと私は感じます。
許してくれる人が傍にいるだけで
前に進むことができるのが人間です。
自分が作る家族も、いつも許しあう存在です。
時に誤解したり喧嘩もしますが
時を重ね、深く共感しあうことを
無償で愛することの意味を
家族から学ぶことが多いです。
友達も同じです。
評価せず私の言動行動に同調するのではなく
ただ共感し耳を傾けてくれる
赤の他人なのに許してくれる人。
それが友達です。
知人ではなく友人との大きな違いは
許してくれるか
あるがままに認めてくれるかの違いだと思います。
自分が愚痴や弱音を吐くときも
評価したり指導せずただ見守ってくれる。
これが大きなポイントです。
そんな友達が
人生でたった一人でもいるだけで
幸せなことです。
友達が話を聴いてくれるだけで
人は前を向いて生きていけるし
人間関係で傷ついた心が再生されていきます。
物や見返りを求めない
ご褒美や罰で動くわけではない
ただ共感して一緒にいて安心できる人
お互いに尊敬しあい助けあう人
私はマメに連絡を取るタイプではなく
飲みにケーションが苦手なので
付き合いもよくありません。
メールはもっと苦手で、連絡がうまく出来ないメール無精です。
そんな私を
友達だと感じてくださる方がいることは奇跡だと思えます。
神様が母親の代わりに人間に与えてくださったのかもしれません。
英語での友の語源は「愛する」ことだそうです。
友達はいつも
無償で私を愛して
大切にしてくれています。
私を信じて
私を理解してくれて
私を許してくれる
友達
本当にありがとう・・・。
心がピンチのときに
私を支えてくれる友に
この場を借りて
深く深く感謝します。
本当に
ありがとう・・・・。
不器用ですが
私もいつも友を愛しています。
日本人なので愛なんていう言葉に照れますが
人間愛友達愛です。
I LOVE 友達
そして
I THANK 友達。
本当に本当にありがとう・・・。