







フランス語で金細工師という名の彼は、父・ステイゴールドの仔としてのエピソードが多い。サラブレッドの親子・兄弟は、かつて、繁殖牝馬イットーとその仔等が、華麗なる一族の血を受け継ぐものとして注目を集めたように、主に牝系の事を指す。しかし、彼の場合は、デビュー戦でゴールした後に按上を振り落とすなど、やんちゃな気性が父そっくりで、厩舎サイドも、母・オリエンタルアートや全兄・ドリームジャーニー(GⅠ3勝)との関係よりも、ステイゴールドの仔として接しているという。
ステイゴールドは、GⅠでは2,3着が多くなかなか金メダルには届かず、それでも走り続ける姿が共感を呼んだ人気馬だ。その息子で、同じ「金」という言葉を名に持つオルフェーヴルが、圧倒的な強さで勝利を積み重ね、ついに三冠を達成したのだから、ロマン派の競馬ファンにとって、これ以上の喜びはないだろう。かくいう僕もその一人だ。
オルフェーブル三冠達成 2011.10.23 第72回 菊花賞(GⅠ)
芝・良 7枠・14番
だが、テレビの菊花賞・中継で、彼の三冠達成を見届けた時、真っ先に思い浮かべたのは、ステイゴールドでもドリームジャーニーでもなく、一頭の葦毛馬だった。その馬の名は、メジロマックイーン。稀代のステイヤーであり、オルフェーヴルのブルードメアサイアー(母の父)だ。僕にとって、オルフェーヴルの三冠は、マックイーン抜きでは語れない。そこには、僕のステイヤーに対する強い思い入れが関係してくる。
僕の競馬との出会いは、中学生の時、当時、テンポイント、トウショウボーイと並んで3強と謳われたグリーングラスが、春の天皇賞(3200m)に勝利した場面を、偶然テレビで見たことに始まる。その印象が、余りにも強かったので、後に馬券を購入できる年齢になって競馬を始めてからも、長距離レースで強さを発揮するステイヤーには拘りを持ち続けてきた。中でも、以前のブログにも書いた、僕が馬券を買わない、見るだけファンになる理由となったライスシャワーと、メジロマックイーンには特別な想いがある。
ライスシャワー最後のレース 1995.6.4 第36回 宝塚記念(GⅠ)
芝・稍重 8枠・16番
競馬を始めた頃、職場の年齢の離れた先輩の影響で、ギャンブルとしての競馬に留まることなく、山野浩一氏や寺山修司氏、大橋巨泉氏などの本を読み漁り、競馬週刊誌に投稿したり、オッズを利用した独自の予想法を研究したりと、競馬に関して幅広く見識を高めたいと考えていた。笠松の星・オグリキャップの縫いぐるみを車の後部座席に乗せてみたり、華麗なる一族の末裔・ダイイチルビーが、スプリンターだとの理由で年度代表馬に選ばれなかったのはおかしいと、何度も投稿するなど、感情移入してしまう事も度々あり、サラブレッドを擬人化することの是非を巡って、競馬仲間と議論を戦わせることもあった。そんな時期に、僕の前に現れたのが、メジロマックイーンだった。
彼を始めてテレビで見たのは、菊花賞と同条件のステップレース、嵐山ステークス(京都・芝3000m・外回り)。古馬相手に、直線前が詰まって行き場を無くしながら、大外へ持ち出して2着に食い込んだ(1番人気ではあったのだが)。そのレース振りと、首を上下に大きく使う独特のフォームに惚れ込み、菊花賞で勝つのは彼しかいないと確信するのと同時に、その血筋にどんな馬がいるのかを調べ始めた。
菊花賞への道 メジロマックイーン2着 1990.10.13 嵐山ステークス
芝・稍重 5枠・5番
すると、父・メジロティターン、祖父・メジロアサマと、2代に亘って3200mの天皇賞を制しているステイヤー血統であることが分かった。しかも、メジロアサマの父・パーソロン産駒には、あの7冠馬シンボリルドルフの名前があった。だが、僕の目を引いたのは、マックイーンまでの3代続けて、葦毛で晩成型のステイヤーであること。グリーングラスの天皇賞に感動して以来、求め続けていた理想の馬に、ようやく出会ったような気がしていた。
~以下、その②に続く~

では、また。