甲子園のスターから、ピンストライプを着るまで。 | stockracerの雑記録

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 プロ野球・ロッテや、MLB・ヤンキース等でプレーした、伊良部秀輝・元投手が、ロサンゼルス郊外の自宅で亡くなった。

正式な死因は発表されていないが、自殺ということらしい。

42歳の若さだった。


 同じヒデキだからという訳ではないが、僕は、これまでも伊良部氏の話題を目にする度に、どうしても松井秀喜選手と比べてしまう。

それは、甲子園のスターとして注目されてから、ニューヨークへ渡り、ヤンキースのピンストライプのユニフォームに袖を通すまでの経歴が、余りにも似ているからだ。


 伊良部秀輝は、香川・尽誠学園時代に、2年連続で夏の甲子園に出場し、プロ注目のエースとして活躍。

試合後のインタビューで、プロ選手顔負けの受け答えをしたことでも話題を呼んだ。

卒業後のドラフトで、ロッテ(現・千葉ロッテ)にドラフト1位で指名され入団。

9年間の在籍期間中、西武・清原との対決で、158㎞/hの日本最速記録(当時)を樹立したり、ローテーションピッチャーとしての活躍もあったが、監督批判など、トラブルも多かった。

1996年に、MLBへの挑戦を希望するも、移籍先を巡ってロッテ球団と意見が合わず、紆余曲折を経て、希望するヤンキースへの入団が決まった。その際彼の残した、「ピンストライプのユニフォームの重さというのは、野球を経験した者にしか分からない」との言葉は、その後、良くも悪くも伊良部氏に付きまとうことになる。


 松井秀喜は、石川・星陵高校時代に、春・夏合わせて4回甲子園に出場し、超高校級スラッガーとして活躍、3年時の夏の大会で明徳義塾から受けた、5打席連続・敬遠(四球)は、社会問題にまで発展した。

卒業後は阪神入団を熱望していたが、巨人の長島監督(当時)がドラフトでくじを引き当て、監督自らが直接電話をかけてくどき落とし、巨人入団が決まった。

1年目の後半からレギュラーに定着し、10年間の在籍期間中、3冠王こそ取れなかったが、MVP3回、首位打者1回、ホームラン王3回、打点王3回等、多くのタイトルを取り、球界を代表する強打者として活躍した。

2002年、FA権を取得した松井は、自らを裏切り者と称し、謝罪とも取れる異例の会見を開き、ファンにメジャーー挑戦を説明した上で、ヤンキース入団を果たす。


 メジャー入団後の松井は、自分の成績よりも、フォアザチームを優先する姿勢でチームメートと打ち解け、ヤンキースの主力選手として活躍する。

大きな怪我で長期離脱することもあり、復帰後は活躍の場を、主にDHに変えるということはあったが、メジャー7年目のプレーオフでは大活躍し、ワールドシリーズのMVPを獲得している。

その後、エンゼルス、アスレチックスと渡り歩き、今も主力として試合に挑む。

松井秀喜を語る時、一番に思い浮かぶのは、その人柄だ。

高校時代にキャプテンを務め、スター選手になってからも、マスコミを邪険に扱ったシーンを見たことが無い。

彼の著書の題名にもなっている不動心というのだろうか、調子の悪い時もふて腐れるふうでもなく、絶好調の時でも浮かれた様子は一切ない。

そんな彼を見ていると、どうしても応援したくなるし、実際に、新聞記事を見ても、他の多くの選手に比べて、彼が不調の時には励まし、活躍した時には称えるような記述が目立つ。

これは、ひいきとか特別扱いというものではなく、人情と捉えるべきだろう。

元々松井ファンである僕にとって、彼の今年前半の絶不調は本当に心配したが、アスレチックスの、更迭された前監督が松井を起用しなくなった時も、試合に使えば結果を出すと信じていた。

松井秀喜とは、この様に、何故か応援したくなるような選手なのだ。


 一方、伊良部秀輝といえば、トラブルの噂に事欠かないという印象があるかもしれないが、僕はこう解釈している。

天才肌の選手にありがちな高飛車な態度が、所属チームやマスコミの反感を買い、批判されることで余計に苛立ちを募らせ、問題行動を起こしてしまうという悪循環に陥ったのだと。

それでも、高校野球や日本のプロ野球では、日本最速を誇った実力でねじ伏せれば何とかなった。

しかし、メジャーリーグでは、エース格といえる立場ではなく、故障や衰えもあって、必ずしも全盛期のような活躍が出来たとは言い難い。

メジャーリーガー達との、プライドとプライドのぶつかり合いが絶えなかったとすれば、次第に居場所をなくしても、仕方が無かったのかもしれない。

だが、どんな窮地に立たされても、天才のプライドを降ろすことができないから、次第に追い込まれてしまったのではないか。

誰か、いいブレーンがついていればとも思うが、妻子とも別れて暮らしていたくらいだから、きっと、誰も寄せ付けず、ひとりで孤独に耐えていたのだと思う。


 溢れる才能をもてあまし、制御しきれなかった伊良部氏と、不動心をモットーに、今も坦々とキャリアを積み重ね続ける松井選手。

ピンストライプのユニフォームに袖を通してからの2人の人生は、驚くほど対照的なものになってしまったが、彼等が日・米を股に掛けて活躍した姿は、永遠に野球ファンの記憶に残る。

大袈裟ではなく、その輝きが、色あせることも、消える事もない。

 伊良部秀輝氏のご冥福を、心よりお祈りします。


 では、また。