子供の頃のように、ニュースを報道されるままに、「そんな事があったのか、これからどうなるんだろう」という感じで、聞き流すだけの時はいいのだが、ある程度の年齢以上になると、自分の主義・主張のようなものが確立されてくるので、ネタによっては、それに照らし合わせて、賛同したり、反発したりするようになる。
そんな時に、知識の補完や判断の手助けになるのが、各メディアに登場する、コメンテーター(ニュース・キャスターや、活字メディアにおける論説委員やコラムニスト等を含む)の存在だ。
大震災以降、テレビを付けても、新聞を開いても、インターネットを見ても、評論家、学者、元・官僚、ジャーナリスト等、専門的知識を活かした職業コメンテーターの姿を見ない日はない。
復旧・復興の問題のみならず、原発、経済から政局に至るまで、あらゆるメディアから発せられる殆ど全ての情報に、彼等の解説・論評が付いてくる。
事実、その解説や論評によって、何が起こっているのか、どういう状況なのかを、素人にも簡単に理解できるようになるメリットは大きい。
しかし、解説者として、中立・公平であるべき彼等が、解説にかこつけて個人的な思想や政治的立場に有利に働くようにするために、情報操作や世論の誘導に繋がる発言を繰り返しているとしたら、メディアからしか情報を得ることのできない大多数の一般国民は、何を信じればいいのだろうか。
彼等の中には、社会的に影響力が大きく、多大なる発言力を有する者もいる。
そこまで上り詰めるということは、称賛されるべき実績をあげてきたからであり、僕自身、リスペクトする数人の知識人が、もしこのような行為に及んだら、コロッと騙されてしまうかもしれない。
ここに、空恐ろしさを感じるのだ。
震災後、御用学者という言葉をよく耳にするが、ネットでは電波芸者などという辛辣な表現まであり、その位、コメンテーターという立場を利用して、世論を煽り立てる行為が氾濫しているということではないか。
そして、その陰に、政界、財界など、様々なステークホルダー達との癒着が見え隠れしているのではないのか?
こう言うと、「誰がどんな思想に基づいているかなんて、発言内容や書いたものを見ればわかる。その判断を含めて、情報の取捨選択をすれば、全く問題はない。それが分からないのは、お前が勉強不足だからだ」とか、「思想・良心の自由や、信教の自由は、憲法で保障されている。メディアで自らの信じるところを主張して何が悪い」との批判を受けるかもしれない。
そう指摘されると、反論する手立てがなく、だから、規制を掛けるべきだと言いたいのではない。
例えば、政治家なら、何党の何処のグループの誰であるかはハッキリしている。
それどころか、タカ派だとかハト派だとか、憲法解釈や、その他どんな事柄についても、過去の政治活動や発言を調べれば、大体の人となりは把握できる。
オープンとまで言えば語弊があるが、少なくとも主義・主張は明らかになっている。
それと同じことを、たとえ民間人であっても、影響力のあるコメンテーターという立場にある者は、公に対して明らかにすべきではないかと思うのだ。
最低限、支持政党だけでも分かるようになれば、ニュースの見方が随分変わるのではないか(土・日に放送されている、ニュース・ショーや討論番組を見る時にいつも思うんだよなぁ)。
そうすれば、世論の誘導も、政・官・業いずれとの癒着も難しくなるはずだ。
何よりも、一般国民が、より深くニュースを理解できるようになると思えるのだが。
では、また。