哲学に貧しさや豊かさという尺度は、あまり聞き慣れないとは思いますが、私の中では結構当たり前に使っています。
経済の豊かさと貧しさでは雲泥の差ですが、哲学の豊かさや貧しさもそれと同じくらい…いや、それ以上の違いだと感じるのは私だけでしょうか?
例えば、2秒先とかの場合は、直感や本能の働きで危険を回避したりするので、このケースでは哲学の出番はありません。
更に、5分先とか数時間く先のことも普通の思考や計算など働きなので、このケースでも哲学の出番はありません。
ところが数年先とか、この一生をどう使うかとなると…やはり哲学そのもの違いが大きく左右しないでしょうか?
私はこの直感、思考、哲学の豊かさこそが、その人の人生の幸福の度合いに大きな差を生じさせていると見ています。
哲学の豊かさや貧しさ、何故もっとここに注目しないのか、私に言わせたら不思議なくらいです。
そんな想いからの一句です。
普通は直感や哲学よりも、やはり思考で決断する人が圧倒的に多いのではないでしょうか?
ところが、哲学があまり豊かではない場合、果たして思考だけの決断で幸福になれるとは到底思わないのは私だけでしょうか?
筋肉や運動能力を向上させるための様々なエクササイズがあるように、哲学の豊かさを向上させるためのトレーニングやエクササイズも、やはりある筈です。
実は私が575の哲学と称して「哲句」を創り続けているのも、そんな日々の生活中でのトレーニングのひとつです。
哲学の豊かさが幸福を引き寄せるように、哲学の貧しさはやがては禍(わざわい)を引き寄せてはいないでしょうか?
というこの辺りで、もう少し哲学のトレーニングに励んで来ます!
それでは、また近いうちに!!
哲学の
貧しさいずれ
禍に。
~アモンの哲句より~