「人類のテーマとネオスタンダード」続編 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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さて、続編です。

人類のテーマとしての豊かさも、もちろん物と心の両方であり、そのバランスは人それぞれという側面もある筈です。

さぁ、では社会そのもののテーマとしての「ネオスタンダード」とは?

資本主義、社会主義、共産主義、そしてグローバリズム、ナショナリズム…。

そのどれであっても、行き過ぎた場合は必ず何かの弊害が考えられます。

今表面化している世界の様々な問題が、実はそのことを物語っています。

グローバルに傾き過ぎたタイミングで、トランプ大統領を皮切りに世界のあちらこちらで急激なナショナリズムへの揺れ戻しがありました。


ところが、これもやはり行き過ぎた場合、歴史は前に進むどころか…何世紀も前に逆戻りしてしまう可能性も否定は出来ません。

今アメリカのみならず、世界中で黒人の命や人権に関するデモが、それこそ人種の壁を越えて起きていることに、私はある種の「希望の光」を感じています。 

自国だけ、あるいはある人種だけのメリット…果たして、そんなことは可能でしょうか?

ある国だけが栄える、ある人種だけが優位に立つ、ある宗教だけが正しい…そんな不自然なことは、長続きしないことを、わざわざ立証する必要があるでしょうか?

私に言わせたら、それほど行き過ぎたナショナリズムは常道を逸しているように思います。


そこで、アフターコロナの今から数世紀は変わらないようなマクロなコンセプト、つまり「ネオスタンダード」という新しいコンセプトが必要になって来る筈です。


「共存共栄」


私にはこれ以外の言葉が浮かびません。

何かだけでなく、誰かだけでもなく…複数の価値観や考え方の共存、そして多様性を否定するのではなく、棲み分けという対処法。

私は、そんな冷静な判断や努力の後にこそ「共存共栄」の共栄があるものと確信しています。


世界は今、コロナショックや黒人へ人種差別問題のあと、凄まじいスピードで正しい未来の価値観を模索し始めています。


そんな時代のキーワードとして、パーソナルな意味では「物心両面の豊かさ」、そしてソーシャルな意味では「共存共栄」、多くの人がその方向に舵をとり始めたと感じている今日この頃です。



地球規模のルネッサンスに向けて、まだまだ私にも何か出来ることがありそうなので、これからも宜しくお願いします!


それでは、また近いうちに!!