激動の時代のキーワード「救いは内側から」 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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また信じられないテロが・・・タリバンとの和平交渉そのものを阻止するかのようなテロで、何の罪もない人たちが犠牲になっています。


足を切断することで命を繋ぐしかない、10歳くらいの少年の目が脳裏から離れないほど、残虐極まる行為です。


さぁ、何故このような常識では考えられない愚行に人間は走ってしまうのでしょう?


もちろん私は、どの宗教が良いとか悪いとかを論じるつもりはありません。


但し・・・過激な行動に走るすべての人たちが間違っていることだけは確かなことだとも思います。


そもそも、天国とか地獄とかはいったい誰が100パーセント証明出来るでしょうか?


テロリストたちに限らず、過激な行動に走るすべての人のマインドを占めているものは「地獄には落ちたくない、天国に行くために私は正しい行為をしている」おそらく、誰もがそう信じている可能性があります。

世界のあらゆる宗教団体や宗派に全く関係なく、何故こんなにもみんな「天国」や「地獄」が好きなんでしょうか?

私は冗談を言っている訳ではありません!!

正直に言えば、天国も地獄も私には全く実感が湧かないからです。

何を恐れ、そして何を熱望しているのか?私には理解しにくいということです。


もちろん私は所謂「無神論者」ともはっきり違うことは、言うまでもありません。

二十代の頃には、神の証明のためならこの命までも惜しくないと・・・実際に三度もそんな行動をとったくらい熱い時代もあったくらいです(苦笑)


そんな私は簡単に言えば、昨日今日のスピリチュアル大好き人間とはキャリアが違う訳ですが、もちろんキャリアが長ければいいという話でもありません。


それにしても、誰が考えても残虐で無謀で信じられない行為も、実は「救い」を求めてのことだからこそ・・・私に言わせたら救いのない話という結論になってしまいます。


仏陀の言葉に「無始無終」という言葉がありますが、これは単純に捉えると始めも終わりもない・・・つまり命は永遠という解釈も出来ます。


さぁ、そんな永遠の命なら地獄よりは天国を望む気持ちも分からないではありません。


ところが、ここにある矛盾点があることにお気づきでしょうか?

無始無終とは、時間の観念からの自由を意味しています、つまり地獄にも天国にも囚われない完全な自由であり「今、ここ、私」に再フォーカスすることだという私のスタンスは、確かに一般受けはしないのかも知れません。

神も仏も信じない、知らないという人間と・・・私のように長いキャリアの果てに「今、ここ、私」という原点に立ち返った人間の違いは分かりにくく、常に誤解がつきまとう訳ですが、私も日々それなりに成長もしています!


そんな未だにハナタレ小僧の私にとって「救い」とは?


神とも仏とも言わなくなりいつの間にか、あっさり「法則」としか言わなくなった私ならではの、この時代へのメッセージはまだまだ簡単に終わりそうにありません!



それでは、この続きはまた続編で!!