この句は東京オリンピックがまだ決定していなかった時のものです。
もう何年も前のことですが、オリンピックを東京でもう一度!そんなアドバルーンを上げた石原都知事への私なりのエールのような気持からの一句です。
何故、そんなオリンピックの話しを今改めてするのかと言えば、最近の世界の様々な二極化の時代に向けて何か共通したものを感じるから・・・そんな大局的な一句だったのかも知れません。
技競い 人は称える 五輪の和・・・
さぁ、この句の最後・・・五輪の輪ではなく敢えて五輪の和としていることにお気づきでしょうか?
五輪の輪の五色は、五大陸や民族の肌の色の象徴だという説があります。
そしてその五輪の輪は、それぞれに繋がり合っている見事なデザインだと思うのは私だけでしょうか?
ところで、私は分厚い哲学書や論文よりも・・・キングカズこと三浦知良選手やイチロー選手、あるいはナデシコジャパンの澤さんやマラソンの有森さんの言葉が大好きな人間です。
何故なら、そこには厳しい孤独な道を歩んで来た者でなければ語り得ない珠玉のメッセージがあり、しかも簡潔だからこそ胸を打つ何かがあるからです。
国を二分するような二極化の決着を、国民投票のような多数決で決めること自体は間違っていないのかも知れません。
但し・・・その後の双方のアフターケアを忘れてはならない筈です。
ケイコ・フジモリ氏のように敗者の潔さもさることながら、勝者の側のアフターケアこそが最も大切なのではないでしょうか?
オリンピックでは勝者が負けた人に対して、ざまぁみろ!というような態度は決してとってはいないばかりか・・・お互いに歩みより、握手をして健闘を称え合っています。
私はここに五輪の和・・・そんな何かを感じていますが、この精神は何もオリンピックやスポーツの世界に限らず、日常誰もが持てないものだろうかとも思います。
今後、数年間は続くであろう二極化の波が押し寄せる時代・・・これはある意味では第三の波と第四の波のせめぎあいの現れかも知れません。
つまり、素晴らしい時代の幕開けというゴールを忘れたら、元も子も無くなってしまいます。
どんなに価値観や望む方向が違っていたとしても、テロリストのような行為は何も生み出さないどころか・・・双方に多大なマイナスしかもたらさない筈です。
天国に憧れず・・・地獄を怖れず、やるべきことは淡々とやり勝っては兜の緒を締める。
他に何が必要でしょうか?
それでは、また近いうちに!
技競い
人は称える
五輪の和。
~アモンの哲句より~